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北斎展・「神奈川沖浪裏」の彼方




幸か不幸か、わたしの葛飾北斎・原体験は、永谷園のお茶漬けのりにリンクしている。

めったに食べさせてもらえぬお茶漬けのりの退廃的魅力に比べ、トランプ大の「富嶽三十六景」は魅力に乏しかった。

あの浮世絵のプリントはサイズが小さすぎ、印刷も良くなかったのだ。

さらに70年代に子供時代を送った身にとっては、江戸時代の風景というのは、なんとなく現在(70年代)と地続きで(明治生まれの祖父母世代が健在だったからか)、断ち切るべき因習であるように感じていたのだ。

それよりも「ベルサイユのばら」、ロココなべルサイユ宮殿最高! みたいな。

わたしのようにブルボン朝のゴテゴテしたアートに狂っていた小学生は別としても、当時は北斎の評価は決して高くなかったと思う。

日本における北斎作品の最初の文化財指定は「潮干狩り図」のひと幅が、1997年になってからだと聞いたら驚きませんか?


北斎かっこいいと感じ始めたのは、外国の目を通してだと思う。
西洋で、特に印象派の連中に高く評価されたと知ったからだろう。外国(パリだったか)で北斎展を見たからかもしれない。
「こういう芸術を高く評価すると知的である」とズルいことを覚えたからかもしれない。
はっきり覚えていない。


それが今はもう文句なしにかっこいいと思うんですな。
ブルボン朝の文物に目を輝かせていた自分が信じられない。趣味悪い。不思議だ。

それが証拠に先日も「葛飾北斎の本懐」というあまりおもしろくない本もウキウキ読了した。

この本のことを日本に住む親友に話したら、彼女が「もうすぐ大英博物館で北斎展やるんじゃなかった?」と教えてくれたのだった。



大英博物館で開催中の北斎展は想像以上に盛況で、金曜日の午後も早いというのに人いきれでむせかえっていた。
いろいろな言葉を話す観覧者たちが熱心に見入り、感嘆の声をあげ、熱く意見を交わしていた。


そもそも西洋絵画と日本の絵画はベクトルが違う。
初めて日本の絵を見た西洋人は、ルネッサンス以来、西洋が希求開発してきた遠近法と色調の明暗と光の対比によって平面上に三次元的な空間を創造するイルージョン技術をあっけなく否定され、「絵画は一枚の平面にすぎない」と指摘されたと感じ、目から鱗が落ち、そりゃものすごいカルチャーショックを受けたでしょうな!


わたしもたっぷり3時間以上かけて見学した。
特に闘鶏の肉筆画、まるで神話のようだった!


北斎自身、70歳以前の作品をすべて駄作であるとし、73歳くらいからなんとなく生き物の摂理が分かってきた、努力を続けたら80歳でもっと熟練して、90歳で奥義を極められるにちがいない、100歳になったら神妙の域に達し、100何十歳かで一点一画が生きているかのように描けるだろうと言った(「富嶽百景」初編の跋文による)。

臨終の様子を伝える「葛飾北斎伝」にも、もしもあと10年生きられたなら...いや、もしあと5年生きられたら、正真正銘の画工になれるのになあと嘆いたとある。


彼は「造化」(創造主)を目指したのだという。

芸術が「造化」、つまり「完璧」を目指すのは分かる。
しかし、芸術は完璧でないからこそ芸術でありえるのだ。

それでもそれと一体化することを夢見ない芸術家がいるだろうか。
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