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おいでイスタンブール




うらまないのがルール...


わたし、完全に春の行楽モード入ってます。旅のことばかり考えてます。


今日はこの記事を読んだが最後、眠りにつくまで庄野真代の「飛んでイスタンブール」を口ずさんでいただこう。
いや、よくできた歌謡曲ではありませぬか。

この歌が発表されたのが1978年(ウィキペディア調べ)。
わたしもまだ可憐な小学生だった。

イスタンブールと言えば「飛んでイスタンブール」と人々に刷り込まれるほど大々的にヒットし、今でもイスタンブールと聞くと自動的に頭の中であのメロディーにスイッチが入りませんか。


まだまだ海外旅行が特別だった時代、79年から放送されたNHKの「特集・シルクロード」人気、久保田早紀の「異邦人」の大ヒットとも絡み合い、西アジアの国々はアメリカやフランスなどへの気持ちとは違う種類の遥かな憧憬をかきたてたものだ。
神秘的で謎に満ち、豊かな歴史と文化に彩られた遠い遠い国。国境を楽々と超えて行く商隊、謎の文字、失われた文明、千夜一夜物語の自由闊達で絢爛なお話、「マカーム」と言うのだろうか、トランスを誘うような音楽...等々。

わたしもその憧憬の虜になった1人だった。だからプラザ合意を待たずに2つ下の妹と2人きりで出かけた個人旅行で選んだのもトルコ・イスタンブールだったのである(この時は地中海文明に溺れていて、ギリシャ、トルコ、エジプト、フランス、イタリアを周り、またギリシャにもどって日本へ帰国した)。
これが両親抜きで行った初めての海外旅行だった。父がよく許してくれたものだと今になって思う。


その後、90年代の初めに友人と訪れたきり。
今春は長い春休みを利用して20年ぶりに彼の地を訪れることにした。

きっかけは、夫が「スカイフォール」の冒頭で見て(笑)。そしてブルージュで世話になった/なっている、ケンピンスキの某マネージャさんにケンピンスキ・イスタンブールのロケーションを一押しされたこと。


20年前、親切にしてくれた絨毯屋の親父は今も元気かなあ。
あちこちで甘いお茶を頂き、買い物のときは値切ったつもりになり、岸壁のボートから揚げたての鯵(鯖?)を買って食べたい。数学的なオスマン様式の美をさまよい、黒海まで行く遊覧船にも乗りたい。


久しぶりにヨーロッパ文明から抜け出られて清々するに違いない。


おいでイスタンブール

人の気持ちはシュール...
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