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Brugge Style
さまよう心
先日書いた「門2012」について、日々さまざまな社会的役割を果たされている男性女性からメッセージを頂いた。
心からお礼申し上げます。
それで分かったのが、「もっと何か他にできることがあるんじゃないか?」「何かやらなくちゃいけないんじゃないのか」「チャレンジし続けなくてはいけないのではないか」という気持ちを抱えることは、どういう立場にあっても起こりえるようだということだった(もっとも「今やっていることが最高に好きで他は一切考えられない」という幸せな方もいらっしゃるとは思うが、そういう方からはメッセージを頂けなかったのかも)。
「もっと何か他にできることがあるんじゃないか」と胸がざわついてしまうのは、わたしは精神上健康的なことだと思う。人間が旋回しながらでも前方へ進んで行ける燃料のひとつだからだ。
「やりたいことがありすぎてあれもこれも」という一見ポジティブなケースも敢えて言うが「もっと他に何かできることがあるんじゃないか」が能動的に現れているだけで、根は同じだと思う。
なぜこのように感じるのか。それは「自己が完全に満たされた状態」とは、将来のいつかどこかで実現する可能性開花の瞬間ではなく、今現在抱える「可能性からの疎外感」としてしか実感できないものだからだ。
ドーナツみたいなものと言えばいいのか(今、わたしの目の前には頂き物のクリスピィ・クリームのドーナツがある)。
ドーナツの生地の部分が「現在抱える可能性からの疎外感」で、ドーナツの穴が「自己が完全に満たされた状態」。
ということは、われわれは自分の疎外感や欠落感をばくばく食らいつつエネルギーに代えながら、ドーナツの穴を「それだけで」存在するものとしてなんとかつかもうとしていると。でもドーナツ(疎外感)を全部食べてしまったらそこに穴(満たされた自分)は残らない。疎外感が消えたら(ドーナツを完食してしまったら)、そこには完全に満たされた自己像(ドーナツの穴)も残らない、と。
わたしはこれからクリスピィ・クリームをただのお菓子と見なすことができないかもしれない(笑)。
そういえばこういう記事があった。
「気が散ってばかりいると不幸になる?米ハーバード大研究
「一瞬に集中しなさい」とはヨガの指導で使われる言葉だが、これには
従った方がよさそうだ。米ハーバード大学(Harvard University)の研究者らが米科学誌
サイエンス(Science)に発表した論文によると、人間は何かをしている間、その時間の
半分近くを別のことを考えたり、他のことを始めてみたりと絶えず気が散っており、その
「さまよう心」のせいで不幸だと感じているという。
心理学者のマシュー・キリングワース(Matthew Killingsworth)氏と
ダニエル・ギルバート(Daniel Gilbert)氏は、iPhoneアプリ「Track your happiness」を使い、
「どのくらい幸福か」「今何をしているか」「現在している行為だけについて考えているか、
楽しいことやつまらないことなど別のことを考えているか」などをリアルタイムで報告してもらい、
2250人分のデータを集めた。
このデータを分析した結果、何かをしていても「心がさまよっている」時間は平均46.9%だった。
「今」に集中し、気が散らない傾向が最も強かった行為は「セックス」だった。
幸福度が最も高かった行為は「セックス」「スポーツエクササイズ」「おしゃべり」で、
幸福度が最も低かった行為は「自宅でパソコンを使う」「休息」「仕事」だった。
現在の行為の内容が幸福感にわずか4.6%しか寄与していなかったのに対し、
「さまよう心」は10.8%も寄与していた。
論文は、不幸だから気が散るのではなく、気が散っているから不幸になるのではないかと指摘。
「心がさまよっているかいないかは、幸福度の重要なバロメーターになる。現在進行している
出来事以外に思いを巡らすことによって人間の認知能力は高まったが、感情面は犠牲になった」
とキリングワース氏は話している」(AFP の記事 2010年11月21日の記事)
論文が指摘するように、われわれにできるのは胸のざわつきはそれはそれとして、目の前にある仕事をこつこつ丁寧に仕上げて行くことだけだ。やりがいや自己実現度とは関係なしに。それでいつか「ああこういうことだったのか」と何か腑に落ちる日が来るのかもしれない。
門をくぐるというのは「何かやってやるぜ!」と勇ましく行動に移すことではなく、そういう気持ちから離れて涼やかに日常の積み重ねを送る覚悟の門をくぐることであると思う。
もちろんわたしは何かに果敢にチャレンジすることを否定しているわけではない。しかしそのチャレンジを「自己の完全に満たされた状態」への手段にしてもおそらくは上手く行かないのではないか、チャレンジするならするでそのこと自体に集中し、こつこつ地味で徒労の多い作業を続けるのみだ、ということが言いたいのだと思う。
天才と呼ばれる人たちも、その多くは地味な仕事をこつこつと何があっても絶対に止めなかった人たちである...らしい。
この記事の最後に、今日はこの曲をあなたに捧げます。Wonderful Life - Black
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