ヨーゼフ・ゲッベルスはナチスの宣伝相でした。
ヒトラーを取り巻く側近は何人か居ました。
副総理・・ルドルフ・ヘス
親衛隊長官・ハインリッヒ・ヒムラー。
空軍相・ヘルマン・ゲーリング
海軍元帥・カール・デーニッツ
こういった側近の中で、最後までヒトラーに忠誠を貫いたのは、
ヨーゼフ・ゲッベルス、ただ一人でした。
1897~1945(47歳)
ヒトラーより8歳年下。
母親はオランダ人でしたが、彼はこれをひた隠しにしていました。
純然たるゲルマン系ナチス・ドイツ人であるべき自分が、
ドイツ人以外の血である事など許されるべきではなかったのでしょう。
ちなみにヒトラー自身も、ユダヤの血が入っていたとの情報もあり、
ヒトラーはそれ故に(何でよりによって俺がユダヤなんだ)という無念さがあり、
徹底的にユダヤ人を憎み、排斥したのかもしれません。
4歳で小児麻痺を患い、手術。
その後、発育が著しく遅れ身体障碍者になります。
いわゆるビッコ(放送禁止用語)
その為に身長が165センチというドイツ人の中では極めて小男でした。
ちなみにヒトラーも身長175センチという、あまり大きくはない男でした。
頭脳は優れていましたが、
ビッコでチビの彼が人より上に行くのは大変で、
自分を大きく見せる為にその頭脳を使いましたが、
それ故に同級生からも教師からも嫌われ者だった様です。
1914年、第一次世界大戦・・
彼は軍隊に志願しますが、勿論、不合格。
そういった事は、男としてのプライドをひどく傷つけます。
1923年(26歳)頃より、貧困に苦しみ、
反ユダヤ主義を芽生えさせます。
(それ以前は、ユダヤ人に同調的だったのですが)
1924年(27歳)頃より政治活動に踏み出します。
翌、1925年にヒトラーと初めての会見をし、
ヒトラーに魅了されます。
この事が彼の運命を決定ずける事になります。
ヒトラーは演説の天才と言われました。
初めは、ヒトラーに反対派の人であっても、
演説の最後になると、ヒトラーに心酔してしまう程、演説の天才でした。
そのヒトラーには及ばないまでも、
ゲッベルスも演説が上手かったのです。
ヒトラーはその才能を買います。
そしてナチス権力者への階段を登っていったのです。
ゲッベルスというビッコの小男は、
ヒトラーという天才の元で、その才能が花開いていったのです。
その事はゲッベルスも充分に承知していました。
自分は、自分だけの力では何も出来ない、
ヒトラーという大輪に寄り添う事で、花開くのだと承知していたのです。
ゲッベルスはマクダという女性と結婚します。
彼女は再婚のバツイチでした。
ゲッベルスは、その権力を下に、恋多き男でもありました。
また、妻のマクダも彼一人だけの女ではなかったみたいです。
しかし、彼等の間には一人の男の子と5人の女の子が生まれます。
生涯独身だった(最後は結婚しましたが)ヒトラーには、
彼等夫婦が、ナチスとしての鏡みたいな夫婦に感じます。
ゲッベルスもそういった事を感じ、
真相は仮面夫婦であっても、ナチスとして理想的な鏡となる夫婦を演じます。
彼等、家族はプロパガンダになり理想像を映画に撮らせるのでした。
しかし、戦争は悲劇的な結末を迎え、
とうとうヒトラーは愛人と共に自ら命を絶ちます。
その翌日、
ゲッベルス夫妻は、6人の子供に毒を飲ませます。
長女は13歳であったので、それを飲むという事がどういう事かを悟り抵抗します。
その為に彼女の顔は殴られて傷を負っていました。
彼等の子供6人は、
自分たちの両親が、どういった地位に在る親かも知らず、
自分たちが映画に撮られ、それが当時のドイツ人達にどういった影響を及ぼすかなんて、
知る筈もなく、すくすくと育っていきました。
子供って、本当に可愛い。
子供には、何の罪もありません。
子供を泣かせる奴って許せませんね。
子供は親を選べない・・そこが可哀想。
あくまでもヒトラーに忠誠を貫いて彼は逝きました。
彼だけが、最後の最後まで忠実だったのです。
しかし、彼の家族にとっては、はた迷惑な父親でした。
権力というのは本当に怖いものですね。
それが故に極楽浄土の夢を見たのでもあるし、
それが故に、地獄も見なければならなかった人生。
戦争というやつは・・人生というやつは・・・
私達、歌声の人生は、それほどの夢ではないかも知れませんが、
そこそこ、いい人生でありたいですよね。