河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

ブログする為の人生なの?

2017-02-24 09:10:29 | 日記
2014年11月21日からブログを始めて、2年3ヶ月経ちました。
日数は単純計算で、820日です。
その間に書いた日記は、「エリカの日記」を除いて、
私のだけで、463編ありました。

我ながら、ホントによく書く男だとあきれるくらいです。
2日に一篇以上書いているのですから・・・
現在でも、80編以上の待機があり、
最初の頃のストックに至っては、
「はて、何を書こうとしたんだっけ?」だったりするのです。

ストックは溜まる一方で、
日常生活の、ある瞬間に(ふと)思いついてしまうので、
毎日・毎日ブログを書き続けてなければ一向に減らないのです。
でも、ひとつを書くにしても、やたら時間のかかるものも有る反面、
その場の思い付きで、すぐに書けてしまうのもあったりします。
それに連日連夜など、書いてる訳にもいかずですね。

思えば、以前入っていた「新ハイキング」でも、
毎月の投稿コーナー「せせらぎ」が、そんな状態でした。
私の短文は、ほぼ80パーセントが採用になっていたのですが、
一年、12編の文章のストックが、ほぼ10年分あったのです。
つまり120編くらいが、出場を待っていたのです。
しかし「新ハイキング」は退会してしまったので、
10年分のすべてがパーになってしまいました。

さて、今日・明日・明後日と、
またまた歌声喫茶3連チャンの日となりますので、
そんな忙しいさなかで、ブログを書くのも、これで結構大変なんざんす。

あ、そ~だ、22日に初めて行った、広尾の歌声。
ダークダックスの生き残り(失礼)ゾウさんの主催とかの歌声喫茶。
そのゾウさんは、毎月来る訳ではないらしく、
その日はいらっしゃらなかったのですが、
私達がいつも行っている歌声喫茶とは雰囲気が全然違っていましたね。



場所が、都内では多分、最も外国人の多く住む街・広尾。
そんな事もあって、ハイソサエティー。
ハイカラさんばっか。

私は行かなかったのですが、
以前、エリカさんが行った恵比寿で行われた「音無美紀子」の歌声喫茶。
そこは、広尾に比べて「華やか」だったみたいです。
どっちかと言うと、芸能人の「追っかけ」みたいな感じだった様です。

さて、それはそれとして、
世のブログの殆どが、「真面目」にやってるというのに、
私のは、どうして「何となくオフザケ」が多いのでしょうね。
顔を見れば判ると思うのですが、
人生を極めて真っ当に、生真面目に生きている男の顔なのにね~。

こんな事で世間が許してくれるんだろうか?と心配になったりもしますが、
ブログなんてもんは、結局「やったモン勝ち」という部分もあるので、
ま、こんなもんじゃないの~。

歌声喫茶に行くと、
「朝起きると、まず河童さんのブログを見る」なんて奇特な人も居るので、
そういった人の期待に応えなきゃならない人生を私は背負ってる訳で、
もう、ホントにたいへ~ん。

これから私は何を書き、これを見てくれる人達の期待に、
どう応えるのか・・・あ~悩ましい人生だ。


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高速バス事情

2017-02-22 07:40:24 | 自動車


歌声喫茶にはまってから、私達夫婦は高速バスを利用する事が多くなりました。

その大部分が2か所の歌声喫茶に通う為です。
千葉の久留里の歌声。
それに仙台・バラライカです。

久留里には今まで47回行き、仙台には26回行ってます。
合計73回ですから、往復ではその2倍の146回になります。
146回の内、何回を高速バスで行ったかの記録はありませんが、
久留里に関しては、その殆どがバス。
仙台は、52回の内、10~15回はバスで行ってると思います。



さて、そんな高速バスですが、
最近は以前とは事情が違ってきています。
まず2012年に関越自動車道で高速バスが事故を起こし7人が死亡。
2016年には軽井沢で夜行スキーバスが事故を起こし、15人が死亡。
やはり、電車に比べて、特に夜行バスは安全性に信頼が持てず、
乗っていても何となく不安感がぬぐえません。

そして、私は個人的にですが、
バスがその構造上に発する胴震いが嫌いなのです。
何かのはずみで、ブルブルッと車体が震える、あの感覚がイヤなのです。
それは電車には無いものですから。

私達は夫婦2人で行く訳ですから、
特に私達は殆ど、話しっぱなしという事もあるのです。
家でいくらでも話は出来るのに、バスに乗っても話は尽きない夫婦なんですね。



以前は、こういった4列シートばかりだったので、
隣り合って話すには便利で都合が良かったのです。

しかし、高速バス利用者の殆どが、実は一人の客なのです。
ですから、見ず知らずの他人同士が隣り合う状況は、段々と敬遠される様になっています。
いつだったか、久留里の帰りのバスで、
隣り合った他人同士が、何となくお話を始めたのです。
つまり「何処からいらしたのですか?」的なお話が始まったのです。
そういった状況は他の人からは、鬱陶しい限りなのです。

「あ~、始まっちゃったよ、その先の話は・・あ~なって、こ~なって」
そんな事を考えたらもう大人しく寝てられなくなっちゃうじゃんか。
その時、その近所に居た人から、
多分「休んでいきたいので、おやめください」と注意されたのです。
それからの話はもう無くなり、近所の人達はホッとしたみたいです。

高速バスといったって、それは旅行じゃなく、殆ど通勤みたいな人が多いのですから、
やっぱり、そういった旅行感覚での「お話」は鬱陶しいのですね。
私もその時はホッとしたクチでした。



そんな事で、最近は3列シートが格段と増えてきました。
もう、赤の他人同士が隣を気にする事なく、安心して乗れる様になったのです。
特に、若い女性客の安心感は絶大かと思われます。

それは良い事なのですが、
私達には良くなかったのです。
もう会話が出来ない状態になってしまったのですから。
通路越しにお話しをすると、それはもう他の人達には迷惑至極なのです。

そういった事もあって、
久留里は兎も角、仙台に関しては「もうバスはやめよう」となってしまいました。
夕方の歌声に行く為には、高速バスで時間をかけて行くと、丁度良かったのですが、
そんな事はもう無視して、新幹線で行く様になってしまいました。

確かに、料金は安いし、使い様によっては電車以上の便利感はあったのですが、
もう、まず利用する事は無くなってしまいました。

それが、最近の私達のバス事情です。

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俺は忘れ物をする為に生きてるんです

2017-02-21 06:41:58 | 日記
私の、ってゆ~か、俺っちの忘れ物など、今に始まった事じゃ~ござんせん。
遠くには・・・
小学校の頃、近所の銭湯に行くのに手ぶらで行ったとか・・・
風呂屋の番台で初めてな~んも持って来てないのに気付いて、
「エッ、俺って何しに来たんだっけ?」と気づき、
家まで洗面道具を取りに帰ったとか・・・


小田急線の柿生駅で初めて独り暮らしを始めた私の家は、
小高い丘の上に建つワンルームマンション。
見晴らしが良くて気持ち良い環境。
いや~快適でしたね~。
独りって事が楽しくってしかたなかった。
そんな時に知り合ったのが、中国人の妻。

まさかワンルームで一緒に住む訳にもいかず、
相模原のマンションに引っ越しをしたのですが、
その引っ越しの日、床のカーペットを剥がしたら、
出てきたのが一万円札10枚。
そこにしまってあった事を、私はすっかり忘れてたんです。
いっぺんに妻の信用を失くしました。


初めての中国旅行は、妻の里帰りを兼ねての家族旅行でした。
中国、初日の泊りは、天津市の郊外。
義姉の家は狭くて、私達家族3人は泊まれないので、
近くの国営ホテル(とても汚い)に泊まりました。

その翌日、義姉の家に行ってから、
私はホテルのベッドの枕の下に一か月分の旅行費用(約100万円)を、
置き忘れてきた事に気付きました。
一瞬、総毛立ったのを覚えています。
義兄が自転車でホテルまでぶっ飛ばして行きました。
あったんです。
そこが、やる気の無い国営ホテルだった事が、幸いしたのでした。
私は妻の信頼を、一瞬にして完璧に失ってしまいました。

これが民間のホテルだったら、
その当時の中国はまだ貧しかったので、
彼等にすれば100万円は物凄い大金ですから、もう無くなっていたでしょうね。


その妻とも離婚し、横浜の実家に戻った私は、
ある日、部屋の中の大掃除をしたのですが、
捨てようとした封筒を何気なく見たら、出てきたのが一万円札2枚。
「エッ!」っと、あわてて捨てようとしてたゴミをもう一度見直したら、
更に封筒から一万円札が一枚出てきた。
都合、3万円を私は捨てるとこだったのです。

そんな事を当時やっていたミクシーに書いたら、
女性陣が色めき立って「河童さんの家に大掃除に行くッ」となったのですが、
結局、誰一人来なかったんです。
私が人畜無害の男だという事を女性陣は知っているので、
面白味がなかったのかもしれませんね。(ウソ~ッ)
みんなでツアーを組んで来りゃ~良かったのに・・・


ある日、キャンプに行きました。
キャンプ場に着いた時、はて?・・何かが足りない気がする。
その時、妻のエリカさんが言ったのです。
「まさかの坂は無いよね?」
その瞬間、私は頭をハンマーでぶっ叩かれた気がしました。
家のベッドの上にタープを置き忘れて来た事に気付いたのです。
テントはつまり寝室。
タープというのは、居間の屋根、これが無いと雨が降ったらずぶ濡れの食事。

キャンプ場の方に訊いたら「タープのレンタルは無い」との事。
仕方なく、車で買いに行ったのですが、
最も近いホームセンターで売っていたのは、
いわゆるパラソル・・これじゃ話にならない、・・と、
向かった先は20キロも先の甲府市内。
甲府のスポーツ用品店で、
テントとタープが一体になっている小型のテントがあったので、
それを買い込み、どうにか事なきを得たのです。
それにしてもタープを忘れるとは・・いやはや。


久留里の歌声喫茶に合わせて、その地元のキャンプに行きました。
そのキャンプ場からは、徒歩で久留里の歌声喫茶に行かれるのです。
さて、キャンプ場に到着してキャンプ道具を降ろし始めたら、

「エッ?・・テントが無いッ」

あのね~、キャンプでしょ、テントの無いキャンプってあるの?
そんなのある訳ないじゃんか、バ~カ。
さて、ど~したか?
戻ったんですよ、横浜まで。
東京湾アクアラインを150キロでぶっ飛ばして戻ったんです~。
で、又150キロで久留里へ・・・いや~速かったね~。
そしたらね、捕まっちゃんです、覆面パトカーにね、よくある話。
そんなもん、よくある訳ね~だろ~が、バカッ!


それで、も一度、久留里。
そこで忘れたんです、カメラを。
家に帰ってから久留里のJOYさんから電話。
「河童さんカメラ忘れて行ったでしょ~。」
そこで初めてカメラを忘れてきた事に気づいたのでした。
カメラは宅急便で送ってもらいましたが。


歌声バス旅行では、ホテルに傘を置き忘れてきたし、
北海道旅行では、ホテルにジャケットを忘れてくるし・・・


新宿ともしびには、歌詞を見る為にパソコンをいつも持参して行くのですが、
ある時、パソコンを立ち上げる為のパスワードを忘れてしまったのです。
何種類かの記憶にある数字を打ち込んでもダメ。
結局その日、パソコンは使えずじまい。
後になって気づいたのですが、
そんな事になると困るからと、パソコンの裏側にパスワードを書いてあったのですが、
それを書いてあった事も忘れてたんですね。


一昨日も新宿ともしびで、大いに飲んで唄って帰る時、
新宿駅の京王線ホームまで来たら、さっきまで一緒に居た仲間からの電話。
「河童さ~ん、一番大事な何か忘れてるよ~」
はっと気づきました。
パソコン持ってくるの忘れた~。
戻ったよ150キロで・・・そんな訳ね~か。
結局行って帰って30分のロス。
酔っぱらってるから、ゆ~ゆ~と歩いてたしね。


ホントに俺って、忘れ物をする為に人生やってる気がする。
でも、妻のエリカさんは、一度も文句も言わず、
黙って付き合ってくれるから、本当に感謝してるんです。
いっつもありがとね、
これからも度々やらかすと思うけど、ヨロチクね~。

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歌声喫茶の最新事情

2017-02-19 08:16:23 | 歌声喫茶
私が歌声喫茶というものを知ってから、足かけ10年になります。
その間に行った回数は、先日1000回を越えました。

歌声喫茶というと、知らない人は「喫茶店」で行うものだと思うかも知れません。
そうは思わないにしても、それに近いムードだと感じているのでしょう。

しかし、現実は「喫茶店」とかの飲食店でやっている所は殆ど無く、
公民館だったり、民間の会場を借りてやっているのが実態です。
そういった会場になると、「喫茶」とは言いながら、
飲み食い禁止なんていう会場がとても多くなっていて、
どこが「喫茶」なんだとか思ったりもします。

そういった様々な「歌声喫茶」を、
私はおよそ55か所前後、経験してきました。
何か所かがハッキリしないのは、
そこが果たして「歌声喫茶」と断定していいのかどうかの基準が曖昧だからです。

仮に55か所だとすると、
単純計算、一か所で18回くらい通った計算になります。
しかし、一回こっきりで二度と行かない場所も多数あります。

今現在、私がスケジュールとして計算に入れているのは、
15か所くらいです。
ところが、ここ数年、いつもの「歌声喫茶」のムードは、
以前とは違ってきています。

最大の原因は(人数が減ってる)のです。
以前だったら、かなりの盛り上がりだった場所が、
何故か盛り上がらなくなって来ているのです。
「はて、何でだろう?」と眺めて見ると、
昔に比べてはっきりと客が少なくなっているのです。

「以前はあんな人が来ていたよな~」と思っても、
彼等はもう来なくなっていたりするのです。
年齢的に来られなくなってしまった人は多い様に感じます。
また病気とか体力的に来られなくなってしまった人も居ます。

それとは全く別の意味で客が少なくなってきたという事があります。
(歌声喫茶が増えた)のです。
団塊の世代とかが、定年を迎え、
「若い頃によく行った歌声喫茶を自分でもやりたい」と思ったというのか?
私が歌声喫茶を知った後からの後続組が、あちこちに立ち上がっているのです。
そうなると、どうなるかと言えば、
(足の引っ張り合い)に当然なるのです。

以前は、その日にその歌声喫茶に行かなければ、
他に行く場所が無かったので、一生懸命行った人も、
今では、毎日何処かで歌声喫茶はやっているからと、
必死こいて行く必要がなくなっているのです。
この現象は、まさに過当競争と言えます。


それとは別な現象があります。
若い頃、歌声喫茶に通った人達は、
(革命歌・労働歌・ロシア民謡)などを知っているし、好むし、よくリクエストします。
しかし、そういった若い頃に歌声喫茶を経験しなかった人達が、
どんどん歌声喫茶に入って来たのはいいのですが、
彼等は(ニューミュージック・フォークソング・演歌)とが好み。
革命歌・労働歌・ロシア民謡などは、あまりリクエストしないのです。
これが決定的に、いわゆる歌声喫茶のムードを阻害します。

私は、若い頃に歌声喫茶に行った事は、ほんの数回。
昔の歌を全然知りませんでした。
でも、歌声喫茶にはまって、色々な歌を知り、
昔の人が好んだ歌も大好きになり、リクエストもよくします。
でも、そういった歌をまるで覚えようとしない人達が最近は多くなっています。

その結果どうなるか・・・?
歌声喫茶に行っても、面白味が無い、盛り上がりに欠ける。
一緒に語り合える人が少なくなっている。
これが実に歌声喫茶をつまらなくさせているのです。
「以前はあんなに盛り上がったのにな~」とため息が出てきます。

また、昔をよく知っている人達で、
歌声喫茶から足を遠のけて(合唱)に行ってしまう人がいます。
彼等の様な人達には、歌声喫茶に残って居て欲しかった。

そんな中でも、盛り上がっている歌声喫茶は・・(有ります)
これが救いです。
そこが何故、盛り上がっているのか?
はて?一体何でなんだろう?
最大の要因は(客層)だと思います。
一緒に居て楽しい人達が周りにいるからです。

しかし、主催者側は客を選べないのですから、悩ましいですね。
主催者というか司会者には、
「来てくれたお客さんがに(楽しかった)と言って帰って欲しい」
その事を頭に置きながら司会をして欲しいですね。
いわゆる(黒子)に徹しられるか・・・

そういった司会者だと客はそれを敏感に感じとりますから、
きっと盛り上がる歌声喫茶になって行くのでしょう。

さて、今日も私は歌声喫茶に行きます。
今日で3日連続。
何だかんだ言っても、やっぱり歌声喫茶って楽しいし、
サイコーなんですね。



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いよいよ、憂鬱な季節がやって来ました

2017-02-18 09:09:32 | エリカの日記
朝、ベランダのガラス戸を開け、
冷たい風を感じた途端に、クシャミの連発おまけに鼻水・・・
とうとう花粉症の季節到来。



私に初めて花粉症の症状が出たのが、今から22年前・・・
阪神淡路大震災(1995年)のあった年でした。

その数日前にデパートでアルバイトをしていた頃の仲間6人と、
我が家で食事会をしていた時、
「もうじき憂鬱な花粉症の季節がくるのでイヤになる」
という人がいたので、
「私は何ともないもんネ~」と自慢気に言ったら、
その人達から「自分は大丈夫なんて言ってる人が、ある日突然始まるんだから、楽しみ~。」
とイヤミを言われてしまったのですが、
まさか本当になってしまうとは・・・(トホホ・涙)



私が花粉症になってしまったみたいと、
アルバイト仲間に話したら、みな笑いながら、
「だから言ったでしょう、おめでとう」と、
花粉症仲間が増えた事で絶大なイヤミを言われて喜ばれてしまいました。

ただ1995年のこの年は、
阪神淡路大震災だけでなく、
地下鉄サリン事件があった年でもあるのです。

丁度、その頃年度末でもあるのでデパートの事務職のアルバイトに来て欲しいと言われて、
厚生課へ勤務していたのですが、
その日の昼頃、警備の方から、
「新宿店からの連絡で、地下鉄に毒ガスのサリンがまかれ、
大変な騒ぎになっているよ」と聞かされました。
オウム真理教で未だに人生を狂わされてしまった方が、大勢いるのですよね。

それにしても花粉症なんて、
クシャミ、鼻水くらいなら我慢できるけど、
目がゴロゴロして痛かゆいという変な症状で、
私はよく「目玉を取り出して洗い流したいよ」と言ってました。

あ~あ、2ヶ月以上はこの憂鬱な気分が続くのか~!

杉の木なんて全部伐採してしまえばいいのにネ。
でも、最近は無花粉杉というのが育てられているというけど、
取って代わるのは、いつの事になるのかしら・・・




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