1982年~83年にかけて私は、丹沢・鍋割山の記録映画を撮りました。
30代半ばだった私は、10週連続で鍋割山荘に行くほど、はまっていたのです。
鍋割山へのボッカをする鍋割山荘・小屋主の草野さんと、
結婚前の、当時は佐々木恵子さん。
鍋割山頂上から南アルプスの山々の説明をする草野さんと常連客たち。
浩宮様が鍋割山にいらっしゃいました。
その前には宮内庁職員が事前見回りに登って来たそうです。
常連客の中にジャパンタイムスの社員の方がいて、
その縁でジャパンタイムス誌に英語での鍋割山の紹介記事が載りました。
しかし、それを読んで登って来た外人さんは誰も居ませんでした。
私の歌声喫茶の原点がここにあります。
つまり、この山小屋で手拍子で山の歌を唄うという事がよくあったのです。
ブルーガイドブック「丹沢」の著者・奥野さんが登って来ました。
この少し前、草野さんはヒマラヤに登山をして、
凍傷にかかり、足の指7本を切断。
塗り薬を塗布してもらうのに、とても痛がっていました。
30代半ばの私。
自分が写るなんて普通はあり得ないので、チョッと嬉しかった。
鍋割山の登山口にあるロッジ(峠)のオーナー後藤さん。
ロッジ峠は後藤さんが手造りで造った小屋でしたが、
この数年後にガンで亡くなってしまいました。
時にはギターを弾く人がいて、それで唄ったり。
本来が音楽好きな私には、とても忘れられない山小屋での夜でした。
ある正月、小屋主の草野さんはヒマラヤの練習に北アルプスの鹿島槍に出かけてしまい、
私達3人が正月の小屋番を任されてしまいました。
そんな正月でしたが、こういった若き女性たちが登って来たんです。
この素敵な女性は草野さんとの仲を噂されましたが・・
彼を射止めたのは、恵子さんでした。
この女性を鍋割山荘に連れていったのは、他ならぬ私でした。
彼女は常連の男性客に大いにモテたのですが、
最終的に彼女を射止めたのは右から2人目の男性でした。
私は・・勿論、彼女を気にはしてましたが・・・
この娘さんは高校生でしたが、
何故か私を好きになってくれて、デートした事もありました。
山小屋で飲むというのは最高でした。
終電車の心配もなく、上に上がれば布団が敷いてあるのですから。
とことん心行くまで飲みまくったのでした。
みな若い男女でしたから、当然、恋心など、そりゃありました。
私も何人かの女性から胸の内を打ち明けられたり、あったんですね。
かなり前から皆は噂していたのですが、
ある日、草野さんから婚約の発表が正式にありました。
彼等の仲人は、常連客の夫婦でした。
結婚式の当日、山に集まった仲間達。
小屋主の草野さんは、丹沢に草野ありと段々有名になりました。
そのボッカ力の凄さは半端ではなく、
最高で120キロくらいの荷を担ぐ超人。
若い女性たちは草野さんに憧れて、いっぱい小屋に登ってきたもんです。
その中で最終的に草野さんの心を射止めたのは、恵子さんでした。
結婚式は鍋割山荘で行ったのですが、
当日は大雪の中、参加者が100名を越える大盛況。
小屋から溢れた人の中には雪洞を掘って寝た人もいました。
その頃はビデオなど無く、8ミリカメラでしたので、
暗い所はバッテリーランプが無いと撮れず、本当に苦労しました。
でも、こういった映像を残せた事は一生の宝物です。
あの素晴らしき日々を私は忘れる事はできません。
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