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四家文子

2020-10-19 14:24:58 | 音楽
峠の春 四家文子


子供の頃、家のすぐ近く(徒歩2分)に歌手の四家文子(よつやふみこ)さんが住んでいました。
母から「あの家は四家文子の家よと」教わっていました。

東京都品川区荏原7丁目。
幼友達の天理教の協会の息子、ミミちゃんの家の道路の向かいでした。
小じんまりとした洋風の品のいい家でした。



しかし、私は彼女に出会った事は一度もありません。
というか、もし出会っても分らなかったのでしょう。
母からも「四家文子に出会った」という話は一度も聞いた事はありませんでした。
その頃もし会っていたら、彼女は40代後半、50歳に近かった筈です。

四家文子は、
1906年(明治39年)~1981年(昭和56年)75歳。
昭和初期の歌手、声楽家でした。



音楽学校を首席で卒業。ビクターに入社します。
その頃のビクターは佐藤千夜子(ちやこ)がトップ歌手で、
ヒット曲を連発していましたが、
四家文子は「音楽学校卒業者が低俗に走るのは良くない」と、
パッとした存在ではありませんでした。

しかし、その佐藤千夜子が周囲の猛反対を押し切って渡欧してしまったので、
結果的に四家文子が世に出る事となったのでした。

四家文子_銀座の柳 (1932)


四家文子、最大のヒット曲は1932年(昭和7年)の「銀座の柳」です。
他にも様々なヒット曲がありますが、
戦後は流行歌手として生きる事に見切りをつけ、
声楽家として活躍しました。

それにしても、四家文子と反対側、徒歩2分には、
私が養子になり損なった演劇評論家の戸板康二の家があったし、
隣家の伊達さんは、伊達政宗子孫の豪邸だったし、
今にして思うと、錚々たるメンバーが住んでいたんだな~。
平民は俺んとこだけ(笑)








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