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昔、陸王という大型バイクがありました

2021-09-29 07:53:53 | バイク
幻の日本製ハーレー陸王750RT2、足かけ2年、約500万円を費やしフルレストア、車検取得して41年ぶりに公道復帰するまでの物語。ビンテージバイク、レトロバイクは面白い!


「陸王」
この名前を知っているという方は、かなり少なくなったと思います。





私が少年時代の陸王を見るのは、白バイでした。
白バイと言えば、それは陸王に決まっており、
白バイ以外の一般の陸王など記憶にもありません。

現代の白バイが、普通のバイクと同様の、
やや前傾姿勢で運転するのと違い、
陸王は胸を張って、ややそっくり返った(エラソー)な姿勢でした。
そこがまた白バイらしく堂々として実にカッコ良かったのでした。

箱根駅伝の先導白バイ姿に憧れて白バイ警官になった人は多いみたいですが、
昔は、そっくり返ってエラソーな威風堂々姿に憧れて白バイ警官になった人は、
想像するに、かなりいっぱい居たのだと思います。
アメリカ国内では1200ccが多かったみたいですが、
当時の白バイというか陸王は、
身体の小さい日本人に合わせて、750ccだったと思います。
後に(ナナハン)と言う言葉が一般的に普及する様になりますが、
元祖ナナハンは、あの頃の陸王からだったのですね。



陸王なき後の後継車種は、メグロとかになりましたね。

昭和初期、輸入バイクには多額の関税がかけられていました。
アメリカからハーレーダビットソンを輸入していたのは、
製薬会社の三共でした。
多額の関税の為に高価なバイクであるハーレーダビットソンを、
日本で現地生産する事をハーレーに申し込みを三共はしました。
ハーレーは日本以外の国に輸出しない事を条件にこれを許可します。

陸王と言えば、ハーレーの偽物、真似っこ、まがい物と、
恐らく殆どの人はそう思っていたのかも知れません。
他ならぬ私もずっとそう思っていました。
しかし、それは大間違いで、
実は正式なライセンスを持って生産されていたのです。





1934年(昭和9年)
ハーレーからライセンスを受けたバイクの本格的生産が始まりました。
その当時の社名は(三共内燃機)でしたが、
日本製のイメージを高める為に、公募で「陸王」と名付けられました。

第二次大戦の為に日米関係は悪化しましたが、
生産は続けられていました。
しかし、敗戦により一旦生産は停止します。

その後、生産は再開されましたが、大型バイクはあまり売れず、
1949年(昭和24年)陸王は倒産。
昭和飛行機が介入しその資本下で、陸王モーターサイクルとして事業は継承しましたが、
その頃になると国産バイクメーカーが雨後の筍の様に林立し、
もはや大型でメカが旧態然とした陸王は生き残る事が出来ずに、
1959年に生産打ち切り、翌1960年(昭和35年)に倒産しました。

私の卒業した品川区立城南中学校は、
第一京浜国道(新馬場駅)そばから山手通りに入って、
すぐの場所にありましたが、
そのすぐ先で目黒川と並行して東海道本線をガードでくぐります。
その横に、(陸王製作所)の工場があったと聞いた事があります。
目黒川の対岸にあるのは、かつて陸王を輸入していた三共製薬の工場で、
それは今でも在るみたいです。

今でもたま~に(笑)見かける事がありますが、
それは、かなりの偏屈オヤジでしょう。
又は、若い頃、白バイ警官でもやってた人かもしれません。
そんな奴が走ってたら、スピード違反でそいつの前を走れば、
ひょっとしたら反則キップ切られるのかもしれないよン(笑)

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