ホンダ、CB92は1959年、125ccバイクです。
125ccという事は、第二種原動機付自転車。
フェンダー後部にはこんなマークが書かれていました。
原動機付自転車・・あまりの時代錯誤は、もうお笑いですね。
ホンダ(本田技術研究所)は、本田宗一郎が築いた企業です。
本田宗一郎は、ホンダブランドを世界一にするんだという固い思いを持っていました。
ホンダという名前を世界中に知ってもらう最短距離は、
世界的なオートバイレースで優勝する事です。
その最高峰のレースが、イギリスで行われる、マン島TTレースです。
ホンダはマン島TTレース出場を宣言したのでした。
と言っても昨日今日の新参者ホンダがいきなり勝てる筈はありません。
ホンダはまず1954年の国際オートレースに出場します。
これは欧州メーカーに全く歯が立たずでした。
次は翌1955年の国内レース、浅間火山レースに出場します。
浅間火山レースは、創成期のオートバイ界でトップに位置するレースでした。
ホンダは期待されながらも、ヤマハに敗れました。
1957年に第2回全日本オートバイ耐久レースに出場しますが、勝てませんでした。
1958年の全日本は中止。
1959年に、第3回全日本オートバイ耐久レースに出場。
そしてやっと優勝の栄冠を勝ち取る事が出来たのです。
これの為に開発されたのが、CB92だったのです。
当時、日本のバイクは125ccか、250cc全盛の時代で、
大型バイクというと白バイの750ccくらいしか見かけませんでした。
ホンダは125ccをベンリイ号(便利から採った)
250ccはドリーム(夢)と名付けていました。
そしてCB92の、CBはその後、ホンダのスポーツバイクの名前として継承されていき、
初めてCBを付けたのは、このCB92からでした。
ホンダ初のスーパースポーツとかも言われるみたいですが、
基本は普通バイクのC92と同じ、神社仏閣と言われたプレスフレームだし、
フロントフォークは、真のスポーツとは言えないボトムリンクでした。
本当の意味での本格スーパースポーツは、
翌1960年11月の、ドリームCB72と言えるでしょう。
とは言っても、私も数回見かけましたが、
あの深紅のフレームに角ばった燃料タンクは、凄いインパクトがありシビレました。
今、このバイクを駆って東名高速を走り、
サービスエリアにこいつを停めたら、きっと人だかりがするでしょう。
今更1300ccだ2500ccだなんて珍しくもない。
たった125ccの、この美しいバイクはそれとは次元が違うのです。
あの、本田宗一郎の(夢)が見えるのです。
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