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丹波哲郎

2022-06-14 15:09:36 | 映画


私の好きな男優に、丹波哲郎がいます。
如何にも男っぽい、にやけた所がないいかつい顔。
私は、いわゆるイケメンとかハンサムとかの男優は全く好みではありません。

丹波哲郎(本名・丹波正三郎)は、
1922年(大正11年)~2006年(84歳)
東京、新宿で日本画家であった丹波緑川の3男として生まれました。
親戚が総長を務める中央大学法学部に無試験で入学。

第一回学徒出陣で入隊しますが、
態度がデカい事と、身体がデカい(身長175センチ)事が原因で、
他の人の3倍の体罰を受けたとテレビで話していました。
そうでしょうね~、テレビなんかで観ても、
ホントに態度がデカく、そしてそれが憎めない不思議さがあります。
こういう人って得ですね。



昭和20年、大学に復学しGHQ(米軍が日本占領中に設置した司令部)の、
通訳のアルバイトをしていましたが、
本人いわく、「英語は半分程度しか理解できず、トイレに逃げ込んでいた」そうです。
全く人を喰った男ですね。

その後、俳優を志し1950年(28歳)劇団文化座に加入。
それから新東宝に入社しますが、
態度がデカい事から中々役に就けませんでした。

1960年頃から「豚と軍艦」「丹下左膳」
1963年、テレビ「三匹の侍」などでスターとしての地位を確固たるものにします。



1967年「007は二度死ぬ」で国際的に認知されます。



1968年から始まったテレビ「キイハンター」は、
視聴率30%を超える人気ドラマになりました。



1974年には映画「砂の器」で刑事役を演じました。

後年は生涯の研究テーマである「死後の世界」を研究し、
映画を製作するなど話題になりましたが、
2006年、肺炎の為に84歳の生涯を閉じました。

丹波哲郎は実に多様な人間性で語られる事が多かった人物でもありました。

〇 映画監督の石井輝男氏は、最も信頼できる俳優として、
  「文句も言わずひたすら黙々と演じる」丹波をいつも誉めていました。
〇 007の撮影中、いつも遅刻して来る丹波に、ショーン・コネリーが、
  シビレを切らしてホテルを訪れると、
  「ショーンが迎えに来てくれたんだから行かねばならない待っててくれ」
  などと得意の調子でやりくるめ、皆が苦笑したそうです。
〇 妻の貞子とは1949年に結婚。
  後年、貞子が車椅子生活になると、丹波は献身的に介護したそうです。
〇 台本を読まない事で知られ、この為に撮影の時は、
  あちこちにカンニングペーパーが置かれていたそうです。
〇 深作欣二監督に「自分のセリフくらい家で覚えて来い」と言われると、
  「俺は家庭に仕事は持ち込まない主義だ」と返したそうです。

全く、豪放磊落というか、ノーテンキというか、
顔に見合った態度のデカさと、それでいて憎めないという、
私から見れば実に羨ましく思える人物です。





ホントに、にやけた所が全然なく、
いかつい身体、いかつく野太い声で、侍みたいでいいんですね~。

今、こういった俳優は居るんでしょうか?
ま、そのうち出現する事を願っています。

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