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映画・青い山脈 

2023-11-15 13:09:13 | 映画
青い山脈  神戸一郎・青山和子


この名曲は歌声喫茶でもよく唄われる定番曲です。
石坂洋次郎の小説「青い山脈」の主題歌として、
また服部良一作曲の名曲として、一世を風靡する歌になりました。

時代が昭和から平成になった時、
歌謡曲界で(昭和)を代表する1曲として最高の支持率だったのが「青い山脈」でした。
私が最初に買ったレコード(ドーナツ版)もこの歌でした。
また結婚した中国人の妻に「日本を代表する名歌」として教えたのも「青い山脈」でした。
私の中でこの歌はそのくらい、心に残る歌なのです。

そして、映画になった「青い山脈」は、
1949年(昭和24年)・・1957年(昭和32年)・・1963年(昭和38年)
・・1975年(昭和50年)・・1988年(昭和63年)と、
実に5回も映画化されているのです。

その中で私が最も夢中になったのは1963年(昭和38年)の、
吉永小百合主演の映画でした。
なにしろ、その時高校生だった私の心は、吉永小百合に恋していたんですから。
(彼女は私より2歳年上だったのが無念なんですが、
とに角その可愛さは群を抜いて、俺の、俺だけの恋人でした。
尤も、彼女に恋をしていた高校生は日本中に溢れていましたけどね(笑)



初めて映画化されたのは、1949年(昭和24年)
まだ日本は敗戦の混乱から立ち直れない時代でした。

この映画の主人公は、学校の先生である島崎雪子を演じた、
日本の映画界でただ一人「永遠の処女」と言われた、あの原節子でした。
当時の原節子は29歳でした。





そして原節子の教え子である、寺沢新子を演じたのが、新人女優の杉葉子でした。
まだ戦後を引きずり、女性などもあか抜けないモッサリとした女性達ばかりの日本に、
杉葉子のスクスクと(163センチ)伸びきった健康的な肢体に、
当時の男たちは目を見張り、女性達からもそれはとても魅力的に映ったのです。
それは後作、1963年の吉永小百合を超える、時代の華だったかも知れません。



8年後の1957年には、
司葉子、雪村いづみ、久保明といった顔ぶれで映画化されました。
しかし、私はこの映画にはまるで知識がありません。





そしてその6年後、1963年(昭和38年)の「青い山脈」
その封切り日、私はその頃住んでいた藤沢の、藤沢日活の映画館に、
開演を待って映画館の前に並んだのでした。

いつもの席に座ったのですが、いつも見る映画館の常連たちが近くに座っていましたね~。
そして、うやうやしくどん帳が上がり、胸はもうドキドキ。
俺の恋人に逢える、彼女も俺に逢える事をずっと待っていたんだろうな~(ばか)
そしてあのイントロが始まった時には、もう気が狂いそうでした。
あれから俺の脳細胞が狂ったのかな~?

でね、その後の2回の映画化なんて、ハッキリ言ってどうでもいいのね。
1975年とか1988年なんてのは、もう時代ズレしてるんだと思うよ。
ああいった映画というのは、時代と合っているから共鳴するのであって、
時代を無視して、単にスターが何かを演じてりゃいいというのは大間違い。

吉永小百合とか、杉葉子がどれだけ日本人の心を打ったか。
だからね、「青い山脈」は良かったんだね。

イヤーッ、憧れましたね~、日活の映画スターに。
スタニフラフスキーの「演技論」とかそういった本を読んだり(ばか)
それ以前は漫画家に憧れてペンとかインクとか、そういったのを集めたり(ばか)
ま、色々あら~な。

でもね、本当に素晴らしい時代と歌と、映画だったね。
あんなバカみたいに若かった時代。
みなさんも、きっとそういったバカは経験してるよね。


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