青い山脈 神戸一郎・青山和子
この名曲は歌声喫茶でもよく唄われる定番曲です。
石坂洋次郎の小説「青い山脈」の主題歌として、
また服部良一作曲の名曲として、一世を風靡する歌になりました。
時代が昭和から平成になった時、
歌謡曲界で(昭和)を代表する1曲として最高の支持率だったのが「青い山脈」でした。
私が最初に買ったレコード(ドーナツ版)もこの歌でした。
また結婚した中国人の妻に「日本を代表する名歌」として教えたのも「青い山脈」でした。
私の中でこの歌はそのくらい、心に残る歌なのです。
そして、映画になった「青い山脈」は、
1949年(昭和24年)・・1957年(昭和32年)・・1963年(昭和38年)
・・1975年(昭和50年)・・1988年(昭和63年)と、
実に5回も映画化されているのです。
その中で私が最も夢中になったのは1963年(昭和38年)の、
吉永小百合主演の映画でした。
なにしろ、その時高校生だった私の心は、吉永小百合に恋していたんですから。
(彼女は私より2歳年上だったのが無念なんですが、
とに角その可愛さは群を抜いて、俺の、俺だけの恋人でした。
尤も、彼女に恋をしていた高校生は日本中に溢れていましたけどね(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/7c/3ca15a02a52e4715a1376c04f9118ce3.jpg)
初めて映画化されたのは、1949年(昭和24年)
まだ日本は敗戦の混乱から立ち直れない時代でした。
この映画の主人公は、学校の先生である島崎雪子を演じた、
日本の映画界でただ一人「永遠の処女」と言われた、あの原節子でした。
当時の原節子は29歳でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/54/9e9ae3b389d448767b880959e8828fd5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/db/73b51fee9116592c57bf0960bbb6010f.jpg)
そして原節子の教え子である、寺沢新子を演じたのが、新人女優の杉葉子でした。
まだ戦後を引きずり、女性などもあか抜けないモッサリとした女性達ばかりの日本に、
杉葉子のスクスクと(163センチ)伸びきった健康的な肢体に、
当時の男たちは目を見張り、女性達からもそれはとても魅力的に映ったのです。
それは後作、1963年の吉永小百合を超える、時代の華だったかも知れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/26/4a91fb56dbb0a89ed684b1e54b512537.jpg)
8年後の1957年には、
司葉子、雪村いづみ、久保明といった顔ぶれで映画化されました。
しかし、私はこの映画にはまるで知識がありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/3e/9e6b614ec28cd95b18941bef9c6c3b00.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/87/56ac94ad83557a656590a109a28d70a9.jpg)
そしてその6年後、1963年(昭和38年)の「青い山脈」
その封切り日、私はその頃住んでいた藤沢の、藤沢日活の映画館に、
開演を待って映画館の前に並んだのでした。
いつもの席に座ったのですが、いつも見る映画館の常連たちが近くに座っていましたね~。
そして、うやうやしくどん帳が上がり、胸はもうドキドキ。
俺の恋人に逢える、彼女も俺に逢える事をずっと待っていたんだろうな~(ばか)
そしてあのイントロが始まった時には、もう気が狂いそうでした。
あれから俺の脳細胞が狂ったのかな~?
でね、その後の2回の映画化なんて、ハッキリ言ってどうでもいいのね。
1975年とか1988年なんてのは、もう時代ズレしてるんだと思うよ。
ああいった映画というのは、時代と合っているから共鳴するのであって、
時代を無視して、単にスターが何かを演じてりゃいいというのは大間違い。
吉永小百合とか、杉葉子がどれだけ日本人の心を打ったか。
だからね、「青い山脈」は良かったんだね。
イヤーッ、憧れましたね~、日活の映画スターに。
スタニフラフスキーの「演技論」とかそういった本を読んだり(ばか)
それ以前は漫画家に憧れてペンとかインクとか、そういったのを集めたり(ばか)
ま、色々あら~な。
でもね、本当に素晴らしい時代と歌と、映画だったね。
あんなバカみたいに若かった時代。
みなさんも、きっとそういったバカは経験してるよね。
この名曲は歌声喫茶でもよく唄われる定番曲です。
石坂洋次郎の小説「青い山脈」の主題歌として、
また服部良一作曲の名曲として、一世を風靡する歌になりました。
時代が昭和から平成になった時、
歌謡曲界で(昭和)を代表する1曲として最高の支持率だったのが「青い山脈」でした。
私が最初に買ったレコード(ドーナツ版)もこの歌でした。
また結婚した中国人の妻に「日本を代表する名歌」として教えたのも「青い山脈」でした。
私の中でこの歌はそのくらい、心に残る歌なのです。
そして、映画になった「青い山脈」は、
1949年(昭和24年)・・1957年(昭和32年)・・1963年(昭和38年)
・・1975年(昭和50年)・・1988年(昭和63年)と、
実に5回も映画化されているのです。
その中で私が最も夢中になったのは1963年(昭和38年)の、
吉永小百合主演の映画でした。
なにしろ、その時高校生だった私の心は、吉永小百合に恋していたんですから。
(彼女は私より2歳年上だったのが無念なんですが、
とに角その可愛さは群を抜いて、俺の、俺だけの恋人でした。
尤も、彼女に恋をしていた高校生は日本中に溢れていましたけどね(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/7c/3ca15a02a52e4715a1376c04f9118ce3.jpg)
初めて映画化されたのは、1949年(昭和24年)
まだ日本は敗戦の混乱から立ち直れない時代でした。
この映画の主人公は、学校の先生である島崎雪子を演じた、
日本の映画界でただ一人「永遠の処女」と言われた、あの原節子でした。
当時の原節子は29歳でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/54/9e9ae3b389d448767b880959e8828fd5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/db/73b51fee9116592c57bf0960bbb6010f.jpg)
そして原節子の教え子である、寺沢新子を演じたのが、新人女優の杉葉子でした。
まだ戦後を引きずり、女性などもあか抜けないモッサリとした女性達ばかりの日本に、
杉葉子のスクスクと(163センチ)伸びきった健康的な肢体に、
当時の男たちは目を見張り、女性達からもそれはとても魅力的に映ったのです。
それは後作、1963年の吉永小百合を超える、時代の華だったかも知れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/26/4a91fb56dbb0a89ed684b1e54b512537.jpg)
8年後の1957年には、
司葉子、雪村いづみ、久保明といった顔ぶれで映画化されました。
しかし、私はこの映画にはまるで知識がありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/3e/9e6b614ec28cd95b18941bef9c6c3b00.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/87/56ac94ad83557a656590a109a28d70a9.jpg)
そしてその6年後、1963年(昭和38年)の「青い山脈」
その封切り日、私はその頃住んでいた藤沢の、藤沢日活の映画館に、
開演を待って映画館の前に並んだのでした。
いつもの席に座ったのですが、いつも見る映画館の常連たちが近くに座っていましたね~。
そして、うやうやしくどん帳が上がり、胸はもうドキドキ。
俺の恋人に逢える、彼女も俺に逢える事をずっと待っていたんだろうな~(ばか)
そしてあのイントロが始まった時には、もう気が狂いそうでした。
あれから俺の脳細胞が狂ったのかな~?
でね、その後の2回の映画化なんて、ハッキリ言ってどうでもいいのね。
1975年とか1988年なんてのは、もう時代ズレしてるんだと思うよ。
ああいった映画というのは、時代と合っているから共鳴するのであって、
時代を無視して、単にスターが何かを演じてりゃいいというのは大間違い。
吉永小百合とか、杉葉子がどれだけ日本人の心を打ったか。
だからね、「青い山脈」は良かったんだね。
イヤーッ、憧れましたね~、日活の映画スターに。
スタニフラフスキーの「演技論」とかそういった本を読んだり(ばか)
それ以前は漫画家に憧れてペンとかインクとか、そういったのを集めたり(ばか)
ま、色々あら~な。
でもね、本当に素晴らしい時代と歌と、映画だったね。
あんなバカみたいに若かった時代。
みなさんも、きっとそういったバカは経験してるよね。
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