NHK朝ドラの「舞い上がれ」はけっこう観てます。
若きひとりの女性がパイロットを目指して頑張る姿を描いています。
これはかなり共感し、共鳴するのですね。
前回放送の「ちむどんどん」・・沖縄が主題のドラマでしたが、
あまりにもご都合主義で違和感だらけで、観る気をなくしてしまいました。
で、「舞い上がれ」はいいんですが、
あの主題歌のメロディーが流れると、私は音声を消してしまいます。
あれが流れている時間は、ただ無駄としか感じません。
NHKの「朝ドラ」主題歌もそうですが、
年々、流行りの歌、音楽は、劣化というか退化というか、
人々の心に響かないメロディーとなっていますね。
例えば、朝ドラ第6作の「おはなはん」
今でも、あの樫山文枝が思い出されます。
そして、あのメロディーは今でも唄えるくらいに覚えています。
そういった時代がいつまでも続いて欲しかったのですが、
何だってこんな下らない旋律が世を席捲する様になってしまったのでしょう?
それは「歌は金になる」という事象が顕著になった事と、
パソコンの進歩で、パソコンに強い人だったら、
ある程度のメロディーが作れてしまうという事なんでしょうか?
「運命」ベートーベン作曲。
「ウィリアムテル序曲」ロッシーニ作曲。
「高原列車はゆく」古関裕而作曲。
「みかんの花咲く丘」海沼實作曲。
そういった名曲はいついつまでも後世に残り、消え去る事はありません。
みな、パソコンなど無い時代の、才能だけが全ての時代でした。
しかし、時代と共に(歌は金になる)と人々は認識し、
ある意味、我も我もと(金)だけの為に作曲(と言えるのか?)に、
全精力を(パソコン能力)を駆使して金儲けに走りました。
その挙句が、朝ドラの主題歌にもうかがえます。
こんな(ゴミ)みたいなメロディーが後世に残る事などありません。
メロディーというか、ただリズムだけでメロディーなど鼻から無いのです。
今風の流行歌はみな同じで、
ドラムやギターが、ドンドコドンドコやってるだけで、
そもそも主題である(メロディー)が何処にも無いのです。
それを(唄え)と言われても、そもそもメロディーの無い歌を唄える筈がありません。
昔なかった音楽分野に(ラップ)があります。
私はあれは好きになれません。
だってメロディーが無いんですから。
ただ、自分達が言いたい事、訴えたい事をわめき騒いでいるだけ、私にはそうとしか映りません。
音楽ってもっと美しく、心に響く世界であって欲しいと思ってる私には無縁の世界です。
そういった傾向は世界的であるらしく(金の為ならそうでしょうね)
私が好きだった中国でも同じで、メロディー不在の無国籍音楽になっています。
しかし、そういった(お金の為ならエンヤコラー)の歌、音楽の世界はおかしい、
それって違うよと思っている若い人達は確実に存在しています。
歌声喫茶に入って来る若い人達も、あるいはそうなのかも知れませんが、
でも若い人って、やっぱり若いんだよね~。
いわゆる(ニューミュージックの歌)などを唄いたがる傾向にはあると感じます。
でもニューミュージックの歌も、ある程度までで、
どっぷりとその世界を唄いたがられると、私はもうイヤになってしまいます。
その辺の落差をどう埋めていくかは、これからの歌声喫茶界の(課題)でも、
あるのではないでしょうか。
私は確実に(老人)である後期高齢者です。
今更、新しい音調など唄いたいなど思わないし、出来やしません。
ニューミュージックや、最近のNHK朝ドラの主題歌などやられても、
唄いたいとも覚えたいとも思いません。
棺桶に片足突っ込んだ私は、ただ昔の歌だけを歌っていたいし、
新しがって(今風の歌)を唄ったりもしたくないし、もう、出来ません。
昔、流行ったあの(美しい)メロディーだけを唄いながら死んで行きたいのです。
若きひとりの女性がパイロットを目指して頑張る姿を描いています。
これはかなり共感し、共鳴するのですね。
前回放送の「ちむどんどん」・・沖縄が主題のドラマでしたが、
あまりにもご都合主義で違和感だらけで、観る気をなくしてしまいました。
で、「舞い上がれ」はいいんですが、
あの主題歌のメロディーが流れると、私は音声を消してしまいます。
あれが流れている時間は、ただ無駄としか感じません。
NHKの「朝ドラ」主題歌もそうですが、
年々、流行りの歌、音楽は、劣化というか退化というか、
人々の心に響かないメロディーとなっていますね。
例えば、朝ドラ第6作の「おはなはん」
今でも、あの樫山文枝が思い出されます。
そして、あのメロディーは今でも唄えるくらいに覚えています。
そういった時代がいつまでも続いて欲しかったのですが、
何だってこんな下らない旋律が世を席捲する様になってしまったのでしょう?
それは「歌は金になる」という事象が顕著になった事と、
パソコンの進歩で、パソコンに強い人だったら、
ある程度のメロディーが作れてしまうという事なんでしょうか?
「運命」ベートーベン作曲。
「ウィリアムテル序曲」ロッシーニ作曲。
「高原列車はゆく」古関裕而作曲。
「みかんの花咲く丘」海沼實作曲。
そういった名曲はいついつまでも後世に残り、消え去る事はありません。
みな、パソコンなど無い時代の、才能だけが全ての時代でした。
しかし、時代と共に(歌は金になる)と人々は認識し、
ある意味、我も我もと(金)だけの為に作曲(と言えるのか?)に、
全精力を(パソコン能力)を駆使して金儲けに走りました。
その挙句が、朝ドラの主題歌にもうかがえます。
こんな(ゴミ)みたいなメロディーが後世に残る事などありません。
メロディーというか、ただリズムだけでメロディーなど鼻から無いのです。
今風の流行歌はみな同じで、
ドラムやギターが、ドンドコドンドコやってるだけで、
そもそも主題である(メロディー)が何処にも無いのです。
それを(唄え)と言われても、そもそもメロディーの無い歌を唄える筈がありません。
昔なかった音楽分野に(ラップ)があります。
私はあれは好きになれません。
だってメロディーが無いんですから。
ただ、自分達が言いたい事、訴えたい事をわめき騒いでいるだけ、私にはそうとしか映りません。
音楽ってもっと美しく、心に響く世界であって欲しいと思ってる私には無縁の世界です。
そういった傾向は世界的であるらしく(金の為ならそうでしょうね)
私が好きだった中国でも同じで、メロディー不在の無国籍音楽になっています。
しかし、そういった(お金の為ならエンヤコラー)の歌、音楽の世界はおかしい、
それって違うよと思っている若い人達は確実に存在しています。
歌声喫茶に入って来る若い人達も、あるいはそうなのかも知れませんが、
でも若い人って、やっぱり若いんだよね~。
いわゆる(ニューミュージックの歌)などを唄いたがる傾向にはあると感じます。
でもニューミュージックの歌も、ある程度までで、
どっぷりとその世界を唄いたがられると、私はもうイヤになってしまいます。
その辺の落差をどう埋めていくかは、これからの歌声喫茶界の(課題)でも、
あるのではないでしょうか。
私は確実に(老人)である後期高齢者です。
今更、新しい音調など唄いたいなど思わないし、出来やしません。
ニューミュージックや、最近のNHK朝ドラの主題歌などやられても、
唄いたいとも覚えたいとも思いません。
棺桶に片足突っ込んだ私は、ただ昔の歌だけを歌っていたいし、
新しがって(今風の歌)を唄ったりもしたくないし、もう、出来ません。
昔、流行ったあの(美しい)メロディーだけを唄いながら死んで行きたいのです。
怒れる若者の代表のポフ・ディランもノーベル賞もらってしまって・・・まぁ野に仲というものはそういうものなのでしょうね。そのボブ・ディランの曲でこんなのが・・・
「Bob Dylan - The Times They Are A-Changin’ | 時代は変る (日本語字幕ver)」 ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=kFhPYw0H9mU
1960年代に広く歌われた曲ですね。私的にはPP&Mのバージョンが好きだけれど、日本語字幕つきはこれしか見当たらなかったので・・