私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  77 和気清麻呂⑤

2009-01-08 10:02:15 | Weblog
 再び和気清麻呂の話に戻します。
 長(たけ)3丈ばかりの形に現れた宇佐大神の影向の曰く、
 “我国ノ天ツ日嗣は神代ヨリ代々皇胤の外、臣トシテ伺ウベキニアラズ、況ヤ無道ノ者ヲヤ。汝帰テ、アリノママニ申スベシ道鏡を畏ルルコトナカレ”
 と。
 清麻呂はもとより仲節の者なれば、この神託を肝に銘じて都へと帰るのです。
 都へ帰った清麻呂、早速、参内して天皇の御前に進みます。天皇の御側に侍っていた「道鏡」は椅子によりかっかって「神託いかに」と、聞きます。
 清麻呂少しも諂(へつ)らわず、ありのままに奉聞します。
 「天皇モイト興ナク思シ召ス」と、いとも簡単に天皇の反応を、この王代一覧には書いてあります。この「興なく」という言葉をいかに解釈すべきか迷うのです。
 「ふん、やっぱり八幡大神の思召しはそうか。道鏡を天皇にはできんか。面白うない。仕方ない諦めようか」
 と思ったのか、それとも、
 「この清麻呂のやつ、私の熱い思いを踏みにじったな。どうしてくれようか」
 と、じだんだ踏んだのかはわかりません。
 あなたならどう思いますか。いろいろな本を読んでみますと、これまでの日本の多くの歴史学者もこの言葉に随分と迷ったのではないかと思われます。いろいろな解釈ができるものですから、意見もいろいろと分かれています。
 それは、清麻呂が、この事件の後、「続日本記」によると「穢麻呂」と名を替えさせられていますが、激怒した天皇が替えさせたとする人と、この「一覧」のように、道鏡が替えさせたとする人にわかれていることからもわかります。

 あなたならどう解釈しますか。ご意見を賜れば幸いに存じます。
(Recent Entryよりどうぞ)


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