私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

七草です

2009-01-07 20:26:26 | Weblog
 ふつうは朝、七草を入れた粥を作って、まず「神棚」にお供えして家の邪気を除いてから、みんなで頂いていたのですが、我が家では、昼に摘んできた七草を孫たちと「七草なずな、日本の鳥と唐土の鳥の渡らぬ先に七草なずなと」うたいながら、一緒に切り刻みます。49回包丁でたたくとも言われますが、二歳の孫がいますので適当に刻み込みます。
  
 これが我が家の周りで摘んできた今年の七草です。
 「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すすな、すずしろ」です。子供たちが小学生にもなると、去年までは一緒に摘みに行っていたのですが、何やら忙しくて一緒には摘みに行く暇がないのだそうです。仕方なく私が摘んできておきます。
 
 小学生の孫は鯉山小学校一年生です。担任の先生が四月から、子供たちに百人一首を覚えさせてくれています。
 君がため 春の野に出でて 若菜つむ・・という光孝天皇のお歌を、今年の七草の話題にと思ったのですが、残念ですが、まだ、その歌は覚えてないとのことでした。
 
 ここでちょっと、我が家の七草を説明しておきます。
 摘んできた七草は普通なら粥にして頂くのですが、我が家では雑炊にして、その中に餅を入れて頂きます。
 私が子供の時分には「七日の雑炊底うれし」といって、この日に頂く夕飯を大いに楽しみにしていました。 正月に食べたお餅がもうこの頃にはなくなります。どのようにして取っておいたのか知れませんが、この七草までは、その日家族が食べるだけの数のもちを大切に取っておいて、そのお餅をいただけるのです。もう、今年は食べることができないと思っていたお餅が食べれるのです。だから、学校から帰った後、周りのみんなと、七草を摘みに行くのが楽しくて仕方ありませんでした。私の家は家族が八人でしたから、きっと母は食事の用意だけでも大変だったのではないかと思います。
 その夜、鍋一杯に出来上がった雑炊を上から上から食べていって、最後に残った底に思いもかけなかったお餅が出てくるのです。その最後の御茶碗に雑炊をよそってもらった時の気持は、70を過ぎた今でも、はっきりと覚えています。
 この「七日の雑炊底うれし」という言葉は、昔の貧しい農村の風習を伝える言葉でもあるのです。そんな事を孫たちに毎年聞かせています。

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