お竈殿で2人のおうな「あぞめ」がいて、一人は東側にある「かなえ」のかかったお竈に枯れた松葉を焚き、もう一人はそのかなえの側で、上にある甑(こしき)の中にお米を振り散らすと、竈が鳴り轟くのである。
この「あぞめ」というおうなは、備中の国の岩屋山の麓の阿曽と言う村の、女の人がなることに決まっています。阿曽の村から来た女だから「阿曽女」と言うのだと誰もが信じてきたのです。
が、これについて、我;高尚先生は、次のようなお考えを「松の落葉」に書かれています。
本来は、この阿曽女は「阿佐女」ではなかったかと言われています。
ある本(江家次第第十五の巻)に阿佐女、主水とも、天皇の夕暁の御膳を執り行う役人であったそうです。吉備津神社も、上古(上つ代)からの宮所で、直会(なおらい)などという古くからのしきたりが、未だに、まだ、残っているぐらいですから、元々は天皇家の慣わし「阿佐女」が、この宮に取り入れられて、いつしか、それとよく似た「阿曽女」と言う言葉が出来上がり、今日に至ったのではないかと思われる。と。
『のちの人おもいさだめよ』と書かれています。
この「あぞめ」というおうなは、備中の国の岩屋山の麓の阿曽と言う村の、女の人がなることに決まっています。阿曽の村から来た女だから「阿曽女」と言うのだと誰もが信じてきたのです。
が、これについて、我;高尚先生は、次のようなお考えを「松の落葉」に書かれています。
本来は、この阿曽女は「阿佐女」ではなかったかと言われています。
ある本(江家次第第十五の巻)に阿佐女、主水とも、天皇の夕暁の御膳を執り行う役人であったそうです。吉備津神社も、上古(上つ代)からの宮所で、直会(なおらい)などという古くからのしきたりが、未だに、まだ、残っているぐらいですから、元々は天皇家の慣わし「阿佐女」が、この宮に取り入れられて、いつしか、それとよく似た「阿曽女」と言う言葉が出来上がり、今日に至ったのではないかと思われる。と。
『のちの人おもいさだめよ』と書かれています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます