次に、高尚が歌右衛門に、当時、大阪に浅尾為十郎と云う役者が得意としていた芸に「早がわり」と云う芸がありましたが、その歌舞伎における早替りは「いかに」と尋ねております。
なお、此の為十郎と云う役者は調べてみましたのですが、宮内芝居には来たことがないようです。すると
、この名を高尚が知っていたとすれば、大阪で、何度か彼の芝居を見ていたのだと思われます。為十郎が得意とする早替りは「伊賀越」という狂言で見せた<稲ぐろ>からだそうですから。
その問いに対して、歌右衛門は答えています。
「早替りはむかしからありつれど、がくやに入てはやくいずるのみなりしに、為十郎めずらしくめの前の舞台にて、いとはやくかはれりはじめろより、いまは種々のはやがわりをして、ひとつの芸ともなりはべるなり。」
早替りは、昔はもあったのですが、昔の早替りは、役者が楽屋に入って、そのあっという間に衣装を改め、直ぐに舞台に出ていたのだが、今は舞台におって、お客さんの前で早変わりする。それが芸となっていると説明しているのです。この為十郎はこの文政頃の役者ですから、この頃から、こんな芸が歌舞伎で行われ出したのだと云うことが分かります。