私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

和歌に謡いに能狂言に茶事に挿花に

2013-03-05 11:12:35 | Weblog

 寛政の改革と天保の改革と云う江戸幕府の緊縮財政の時代の間に挟まれた放漫財政の時代です、御子を55人も設けたと言い伝えられている11代将軍家斉の時代です。“遊びをせんと生まれけん”の時代の再来です。一番文化的な華やかな「よき時代」でした。そなん時代背景を基に、此の宮内でも華やかな時代を迎えたのです。藤井高尚、真野竹堂、岡田屋熊次郎らが此の地に同時代に生きていたと云うことも重なって、この華やかな文化が目覚めたのです。
 その一大サロンと云っては何ですが、この宮内の文化的な臭いの発祥地が、昨日の高尚の竹堂に宛てた手紙にある鶏頭樹園(かえでのその)です。此の地を訪れた文人達が誰もが一度は、この鶏頭樹園に立ち寄ったのではないかと思われます。

 「和歌に謡いに能狂言に茶事に挿花に人の相争ふて学び又芝居浄瑠璃、三弦と言える諸遊芸の稽古に余念なく殊に当時流行したる人形芝居の如き頗る盛んにして、素人の間に名人を出したること少なからず、其の他諸遊芸に堪能なる者輩出し舞に踊りに二輪加に其道に衣食する者を圧倒する技芸ありて諸興行には出でて之を演じたるものなり。」

 と、“山陽一の歌吹郷宮内の歴史を繙く「宮内の今昔」”で、矢尾牛骨氏は上のように筆を走らせています。文化文政と云う時代が創り上げた宮内と云う、それも日本の片田舎の狭小な場所に、宮内独特の雅なる文化圏を形成させたと伝えているのです。今では、150年ほど前に、その様な特異ななものがこの土地にあったことすらことは忘れ去られてしまっているのですが、日本でも特異な地域であったと云うことは疑うべくもありません。