私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

十月十六日に芝居は興行されたのか????

2013-03-01 14:03:20 | Weblog

 この「候」と云う言葉が大層大仰に使われている手紙文ですが(これが当時の文面としては普通の様ですが)、「友吉」と云うのは大阪の歌舞伎役者で中村友吉のことだそうです。その友吉を別荘と云うのですから、鶏頭樹園(まえでのその)だと思いますが、そこに招いて、彼に三弦を弾いてもらい、その芸道の咄を聞くために「貴老にも御慰に御出被成宜敷哉御相談申上候」、と尋ねているのです。
 この手紙の時の年号は高尚は書いてはいないのですが、十月十六日とあります。十六日と云う日付けですと少々問題が起こります。そもそも吉備津神社春・秋の大祭の時に行われる「宮内芝居」は二週間が一興行と決められていました。、その内、秋の朱印芝居は九月未の日を初日とすることが慣例になっていたのだそうです。そうしますと、二週間ですから十四日間です。九月の未の日が何日であたかは不明ですが、仮に、九月の晦日だとしても十四日には千秋楽を迎えます。[十月十六日]では計算が合いません。・・・・と、思ったのでよくよく調べてみますと、この二週間、即ち、十四日間というのは芝居が行われる日であって、雨天の日は、宮内芝居は仮小屋で行われた為、芝居は行われません。仮に、この二週間の間に、二、三日雨の日かあった場合は、当然、九月十六日に芝居が行われていてもおかしくなくなります。そんなことだったのではないかと考えました。どうでしょうか????なお、宮内の芝居小屋は、現在の吉備津神社の牡丹園のある場所からから弓道場の辺りに造られていたそうです。吉備津神社の境内に造られていたので、宮司であった高尚は、個人的に、天下にその名を轟かせていた歌舞伎の名優でも、いとも簡単に私邸に招き、その芸道の話を聞いたり、三弦を弾かせることが出来たりしたのだと思います。念のために。