現在の吉備津板倉です。江戸時代には山陽道の大きな宿場だったのです。
この板倉西町に厳つい観音扉の門を設えた宏大な建物がありました。参勤交代の西国大名の宿泊していた本陣です。宮内から僅かに数町しか離れていません。本陣に宿泊した大名の家臣たちの内、その多くは宮内の宿に配されて宿泊したようでした。
なお、江戸の昔の板倉の様子を今に伝える物は何一つ残ってはいませんので、その繁昌ぶりは分かりませんが。多分、このような様子ではと思はれる宿場町の様子を書いた絵があります。
この絵は東海道名所図会に画かれている鈴鹿峠の下に位置している東海道「坂下」にある本陣の絵です。丁度、山陽道の板倉と同じ規模をもつ宿場町です。その本陣の絵ですから、当時の板倉もこれと全く同じ程度の賑わいを見せていたのではと思います。
どうど、当時の板倉の繁昌の様子を、この絵からご想像して見てください。それらを説明するすべては、今では、この街からは完全に消え失せているのです。鼓山から流れ来る風と板倉川に映るお月さまの影の外は。