私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語―喜智

2012-08-04 16:16:29 | Weblog

 何処にそんな気概が潜んでいるのかと不思議がるほどの凛とした、その頭から爪先に至るまで寸分の隙さへ伺うことすらできないような、平生のあの物腰の柔らかい大家の大奥様喜智からは誰もが想像すらできないような振る舞いです。日本各地から集まった荒くれ男たちも、流石に、その姿に、ただただ圧倒されるだけで、声一つ発することも出来ません。あれほどの今までの騒動が嘘のようです。誠に上品な気品溢れるお姿です。生れついた時から身に着けていたのではないかと思われる様なその振る舞いと言い、その誠に柔らかな、しかも、人を引きつけずにはおれないような声とで、その場を飲みこんでしまわれたのではないかとでもいうような雰囲気です。
 暫らく、今ようやくその西の山に沈み込んでしまった日の光を、恰も愛しむかのように、無言で眺めるように、両の手を膝の前に揃えて、再び、深々と頭を下げられたのです。
 これからいったい何が起きようとしているのか誰も想像すら出来ません。そのままの姿勢で、やや上向きにしたそのお顔の頬に、細谷の夕風が鬢の一筋を流すように吹き向けて行きます。会場内にいっぱいに焚かれた火の光がゆらゆらとその喜智の上で飛びはなております。 
 「さて、ただ今は、小雪に対して、それはそれは特別なご声援いただき、誠にありがとうございました。深く感謝申し上げます。・・・・・・ 本来なら、小雪が親しく皆様に、直接、ごあいさつ申し上げることが筋ではございますが、小雪になり代わりまして、私に、その代役が務まるとは決して思っていませんが、私こと、堀家の喜智が、誠にお高うはございますが、この場より御礼申し上げます事をお許し願えたらと存じます。・・・・・・・・・・・・ 今、小雪は、精も根も、あの舞と共に天高く舞い飛んでいってしまい、体だけを舞台の片隅に横たえております。・・・立ち歩く気力も言葉さへも消えうせて、あの天女のように空の彼方を、夢の中で、なお、舞い飛んでおりま。・・・・・・・ 生まれてこの方、何時もいつも我慢に我慢を重ね、それが自分の生きる唯一つの道だとしながら、何もかも堪えて耐えて生きてまいりました。心の臓が張り裂けんばかりの苦しさをも乗り越えて踊り続けてまいりました。瘠せ我慢だと静かに笑いながら皆様にご披露申し上げました。・・・今は、もう小雪の体には、本当に、これっぽちの精も根も残ってはいません。・・・・・皆様にごあいさつ申し上げる気力も、もうありません。しばらくの間、どうぞ小雪を、小雪を休ませていただけないでしょうか」
 お喜智は目にいっぱい涙をためて、真っ直ぐ前を見たまま静かに静かにゆっくりと説き伏せるように言葉を投げかけられました。その涙が固まりになって、一筋さっと流れ落ち、その痕が火の光できらりと輝きます。
 知らない間に、お喜智の横には、きくえもお光も並んで、ただただ深く深く頭を下げておられました。