私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

江戸の宮内

2012-08-23 18:46:11 | Weblog

 宮内の片山にある墓地の中を行くと、その一角に、注意してみなくては見失ってしまうような、本当にちっぽけなお墓を見付けることができます。遊女小雪のものであると、藤井駿先生が発見されてから、もう50年という時間が経過しています。この小雪なる人物がどんな遊女であったか、その生い立ち等すべてが過去の時の中に消されてしまっており何一つこの里には伝わっていません。せめて私の頭の中でその一部を作りだしてみました。全くのノンフクションです。
 でも、多くの此の宮内の地で命をおとしたであろう遊女と違い、その戒名も出身地もこの墓石には刻まれています。他の遊女とは違う破格の取り扱いを受けた遊女には違いありません。
 それらの総てが過去の闇の中に消されてしまっていたのです。岡田屋熊次郎親分の四天王の一人、万五郎の墓石のすぐ横に立てられているという事実だけで。

 まあ、これも宮内の遊郭の歴史の一部になっていることには間違いありません。さて、この宮内は、今では、そんな昔の華々しい遊侠地であったことを示すような歴史的な遺物は何一つとして残ってはいません。というより、何もに街になっています。今の町並みからは、ここが、かって、広島の頼山陽が書いているような山陽道唯一の遊侠地であったという話を誰も決して信じたりもしませんでしょうし。それくらい過去の面影はなに一つこの街には残っていません。住民が意図的に、この街中から消し去らしたのではないかとすら思われます。完全に消滅しています。ただ往事を伝える昔話だけが残っているの過ぎません。
 誰も関心がなく、それらの幾分でもさがし出し、残そうもする気は、この街からは完全に失われてしまっています。宮内の人からはひどく叱られるかもしれませんが、それが現実なのです。

 このように昔を語る何もない宮内ですが、唯一その姿を今に伝えるものが一つだけありますので、それについて、これから又しばらくお伝えしたいものだと思っていますので、よかったら目を通していただけますと幸いに思います。