私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「新見」って何処から付けられたのでしょうか

2010-12-14 19:30:45 | Weblog

 応神天皇の時、阿知使主と其の子都加使主が日本に来て、日本全国に広がって住みついたのです。大和、摂津、伊勢、近江、丹波などの近畿、阿波、讃岐など四国、豊前、豊後、日向など九州、それに美作、備前、備中、備後等の中国、更に、中部や関東にまで広がって住んでいます。それを示す地名が残っています。

 新らたに日本にやって来た漢と云う事から「新漢」、これが「イマキ」なのです。「今来」と云う名の土地もあります。これが応神天皇紀に見える日本に来た「倭漢」(ヤマトノアヤ)人達が新しく住んだ土地なのです。

 なお、この「倭漢」が、日本で最初に土地を天皇より授かったのが大和国高市郡檜前村と云う事です。それからこの人たちが、漸次、日本各地に広がってその文化を広めたのでした。それらの人々は、最初は「新漢部」(いまきのあやべ)と呼ばれていたのですが、それが「新部(にいべ)」や「漢部(あやべ)」に変化していきます。それが、次第に、新見や綾部と云う地名に代わったのです。
 この「にいべ」や「あやべ」という名前は、更に変化して、「にひの」は「新野に、「にひた」は入田や新田に、この他「にいやま」は新山となったのです。

 岡山県の新見はそうです。最初は「新漢部(いまきのあやべ)」であったものが、「新部(いまきのあやべ)」、それが「にひべ」「にひへ」変化して、「にひめ」、さらに「にひみ」と変わったのです。和名抄にある「哲多郡新見郷」が文献にあらわれた、最も古い地名です。