私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

12月8日です

2010-12-08 18:23:44 | Weblog

 何も考えないでのほほんと暮らしているのですから、「今日は何日??」と、誰かに尋ねられたとしても、
 「ちょっと待ってくださいよ。・・・ええと、確か一昨日、倉敷に行ったので、さて、今日は何日でしたっけ。・・・ええと」
 と、ぐらいにしか答えられないのが普通です。

 ですが、如何したことか、今朝は新聞を読んでいて、今日が「12月8日だ」と何となく知りました。しばらくして「あ、そうか。今日か。12月8日か」と、改めて思いました。

 真珠湾攻撃のあの日です。

 私は小学校の一年生でした。
 残念ですが、当時の記憶は、何一つ頭に残ってはないのです。でも、一つだけですが、果たして、それが12月8日の事であったかどうかも定かではありませんが、それらしいことが、その辺りで起きたのではないかと云うぐらいな薄ぼんやりとした記憶があるにはあるのです。

 私の家のすぐそばを走っていた伯備線の上り列車を見に、祖母にだったと思うのですが、連れ出されました。我々みたいな小僧まで駆り出されて、線路わきの空き地で、大勢の兵隊さんが戦争に行くのを見送ったのです。向こうの山を大きく曲がった汽車がゆっくりと近づいて来ます。駅のすぐ前でしたので、すごくゆっくりと走っていました。
 北風が吹いていたのでしょうか、蒸気機関車の煙突からは、もくもくと真っ黒な煙が出ており、その煙をも、客車と一緒に、引っ張るように走り去っていました。「C18」と云う番号が付いた機関車だったと、思います。
 「兵隊さんが遠い他所の国に戦争に行くんだよ」
 祖母の声でしょうか、今でも、耳に残っています。 
 そんな私たちのを前を、少しスピードを落としていた汽車が通り過ぎます。その通り過ぎる汽車にしきりに手を振ったのではと思いますが、大勢の兵隊さんもしきりと手を振っていたように思います。するとです。そうです。その時、通り過ぎる汽車の窓から、突然、一斉に何か飛び散る様に落ちてくるものがあるではありませんか。山のこの葉が散り落ちる様に、キャラメルだの何だらが降り落ちてきたのです。次から次へと、その列車が通り過ぎるまで。何を私は拾ったのか、拾わなかったのかは覚えてはいません。
 それが、多分12月8日であったのではないかと、何んとなく、私の記憶の中にあるのです。

 そんなおぼろげな記録しか残ってない、私の昭和16年12月8日です。

 この12月8日が、結果的に、日本をそれこそめちゃくちゃに壊してしまう日になるのです。
 でも、この日を、一体、今、何人ぐらいの日本人が思っているのでしょうか。
 

 今日はそんな日です。毎年の事ですが、今年も、又、年賀状をぼつぼつ始めるか、と思い付く日でもあるのです。