私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備の中山に神南山があり

2010-12-06 17:35:10 | Weblog

 またちょっと寄り道をします。

 此の前、私の住む町の鯉山小学校の6年生から「吉備の中山」について話をしてくれという依頼が飛び込んできました。どう、お話をしたらいいのか随分と迷ったのですが、あちこちの本を頼りに原稿を作りました。

 その中の一冊に、吉備津神社の後ろにある「吉備の中山」に、「神南(かんなみ)山」と呼ばれていたがお山があったと、書いてありました。

 その本には、
  ●神南山方角抄にもかかれしかども、其所詳ならず。備前の吉備津宮と当国の吉備津宮の中間をいえる山。ある人のかたりし
 と。更に、次のような和歌まで添えられてありした。

   保安4年大嘗祭主基御屏風備中国歌として
           千早振 神なみ山の 椎柴の いやとしの葉に いのりまつらん  行成

  と。
 なお、〈保安4年大嘗祭主基〉と云うのは、例の「瀬を早み 岩にせかるる 瀧川の われても末に あはむとぞ思ふ」の崇徳天皇の即位の時に行われる大嘗祭(1123年)に捧げる新米を作る場所を占いによって決めるのですが、それが主基と呼ばれたのです。その時の占いによって、お米が作られる場所が「備中」に決まったのでしょう。なお、此の和歌には「行成」とありますが、あの藤原行成ではありません。時代が違います、外の誰かでしょうが、和歌を奉って、それが屏風絵に書かれたのではないかと思われます。

  おそらく、この文章から想像するに、神南山と云うのは、万葉集などにも出ていますが、あの「神奈(又は南)備山」〈かんなびやま〉と同じで、神の住まれている山と云う意味ではないでしょうか
 インターネットで調べてみたのですが、この「神南山」と云うお山は愛媛県にもあり「カンナンザン」と読むのだと、説明がありました。そのお山を写真で拝見しますと、富士山のような三角形の恰好した、神がお住まいになっておられるのではないかと思わせるような、誠に、神聖なお山のようです。

 きっと、この「吉備の中山」も、愛媛県の「神南山」のように、当時の人たちにとっては、大変な神々しいお山ではなかったかと思われます。

 なお、愛媛の「カンナンザン」と同じような三角形のお山としては、大和の国の一宮がある大神神社の御神体である三輪山がすぐに思いだせます。このお山もやはり「神奈備山」で、万葉集にも詠まれている有名なお山です。

 そんなことを考えておりますと。備中や備前の一宮の背後にある「吉備の中山」も、やはり「神南山」、そうです、神々が住んでおられる大変に神聖なお山であったことには間違いありません。

 

 「吉備の中山」にも神が住んでいるのだよと、あれやこれやをこき混ぜながら、45分間、お話しようかなと思っています。