今日、鯉山小学校の6年生の教室を訪ね、「吉備の中山」について話をしてきました。45分と云う約束でしたが、つい話しが長引いて60分を越してしまい、子供たちに大いに迷惑をかけたのではと思いながら教室を後にしました。
今日の6年生のお話の中で、思わぬ展開になって、どうして吉備の国に飛来してきた百済の温羅が、大和からその征伐に来た吉備津彦の軍勢に敗れたかの話に及びました。
「吉備津さまが、その戦いで使ってい弓の矢の先に付けていたのは鉄製の矢じりです。と云う事は、その当時、鉄製品を使うことが出来るのは、3世紀に入っていた後期弥生人だったのではないか。それに対して、温羅は、まだ、石でしか対抗できない縄文人ではなかったのか」。
と、話します。
この温羅と吉備津彦との戦いは、つまるところ、「鉄と石」、そうです。弥生人と縄文人との戦いだったのではないでしょうか。勝負は鉄と云う近代兵器を備えた弥生人、即ち、吉備津彦が勝つのは当り前です。
「百済」と云うのは縄文人、そうです。野蛮な未開人。「大和」は弥生人、即ち、当時の近代兵器を供えた文化人を象徴的に描いたのではないでしょうか。そんな思いを込めて、子供たちの間にどれだけ浸透したかわ分かりませんが、話しました。
なかなか面白い私の仮説だと思われませんか。桃太郎と鬼の戦いが、縄文と弥生の戦いだなんて聞いたことはなかったのではと思いますが。どうでしょうかね?????
まあ、兎に角、そんな伝説も残されている「吉備の中山」の話をしておきました。子供たちがどう思ったかは分かりませんが。