私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

再び 綱政侯の歌紀行

2010-05-22 16:37:34 | Weblog
 しばらくご無沙汰しておりました綱政侯の御歌に戻ります。
 
 明暦三年 神無月二十一日のたそがれに伏見についています。二十二日は一日伏見でお過ごしになったのか、何か事情があったのか分かりませんが、何も筆にされていません。

 二十三日に、ようたく川舟に乗って淀川を下りますが、尋ね人が多くて、そのままどうも舟中の生活であったようです。そしてこれもまた不思議なのですが、二十四日も、これ又、空白で、どう過ごされたのかよく分かりません。草津の宿から後は、どうも順調な旅ではなかったように思えます。

 それが、二十五日になって

 「雨続きて淀にかかりぬ。夜に入りて雨もやみ風も追手になりぬとて船を出しと」
 と、書かれています。

 天く不順で旅にいささか手間取ったのだと思われます。
 そうすると、二十三日の
 「漕ぎ出る跡のみながめやる」と、言う書き方のちょっとばかり疑問が生じますが。
 

 まあ、兎に角、京大阪に至ってからは、随分と無駄足を踏んだのではないかと思われますが、旅が進みます。
 そして、この二十五日の深夜です。

 「夜深きねざめに聞くはここぞ須磨の浦とかや、ののしる声まくらに聞ゆ、むかしの名にふりにし関の戸も、今は跡なく、人の語るのみなり。道すがらつづりし歌に、このあたりを残してんも心うく覚えて

       ・夜を深み 須磨のうら葉を 漕ぐ舟は
                  なみより外に せきもりもなし」

 と。

 「ののしる声」と言うのは、まさか、舟人の声とは思ほえず、兼昌の歌にある千鳥の鳴く声を、敢て、こう表現したのだと思われます。

 まあ、その兼昌の歌と、この若き十九歳の備前藩主池田綱政侯の歌と一緒に声に出して歌ってみて下さい。

       ・淡路島 かとふ千鳥の なく声に
                  いく夜ねざめぬ 須磨の関守