須磨の浦を通り過ぎ、船は明石に至ります。
「明石のおなじ夜ふかに風よしとてこぎゆきけらば、昼ならで浦なみ見ざりし事の心うくうらめし
ゆかりなく 風にまかせて 行く舟の
あとにあかしの うらみの残して
ゆかりなく風にまかせてゆく行く舟と、綱政侯は詠まれていますが、この場面は、源氏の明石の入道と一緒に須磨から明石への舟旅を十分考慮に入れて詠まれていることが分かります。
そして、
「此外名所寝ぬる程に過ぎて、二十六日曙に備前岡山の住家に入りぬ」
これで綱政侯の歌紀行は終わっていますが、牛窓まで舟に乗り、そこから岡山までは、この歌紀行では取り上げてはいませんが、再び、行列を組んで岡山に入ったと思われます。
ここにある、岡山の住家と言うのは牛窓の宿舎のどこかだと思われます。
まま、これで、江戸を出発してから十六日間の初上りだったのです。
「明石のおなじ夜ふかに風よしとてこぎゆきけらば、昼ならで浦なみ見ざりし事の心うくうらめし
ゆかりなく 風にまかせて 行く舟の
あとにあかしの うらみの残して
ゆかりなく風にまかせてゆく行く舟と、綱政侯は詠まれていますが、この場面は、源氏の明石の入道と一緒に須磨から明石への舟旅を十分考慮に入れて詠まれていることが分かります。
そして、
「此外名所寝ぬる程に過ぎて、二十六日曙に備前岡山の住家に入りぬ」
これで綱政侯の歌紀行は終わっていますが、牛窓まで舟に乗り、そこから岡山までは、この歌紀行では取り上げてはいませんが、再び、行列を組んで岡山に入ったと思われます。
ここにある、岡山の住家と言うのは牛窓の宿舎のどこかだと思われます。
まま、これで、江戸を出発してから十六日間の初上りだったのです。