私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

紀行羇旅慢録

2010-05-10 11:20:19 | Weblog
 久しぶりにと、いっては何ですが、例の飯亭寶泥氏からお便りを頂きました。
 
 「おめえは、舟に乗る時の為の小便用の火吹き竹や淀川での船旅の時の便所のことをけえとったが、江戸時代にゃあ、この小便にちぃいて、おもしれえ話があるんじゃ。しりゃあへんじゃろからなあ、おせえてやる。滝沢馬琴がけえた「紀行羇旅慢録」というもんのなけえ、出とるんじゃ」

 といって、ご丁寧にも、その一部をコピーして送ってきていただきました。

 というわけで、一寸、これ又、綱政侯には失礼ですが、その小便に付いて、横道にそれます。
 
 それは「女児の立小便」と題する一条です。

 「京の家々厠の前に小便擔桶(しょうべんたご)ありて女もそれへ小便する故に富家の女房も小便は悉く立て居てするなり。但良賤とも紙を用ゐず・・・・・・月々六斎ほどづヽこの小便桶をくみに来たるなり、或は供二三人つれたる女 道ばたの小便たごへ立ちながら尻をむけて小便をするに恥るいろなく笑う人なし」

 「しりゃあへんじゃろうが」というのですが、この女性の立小便は私は小さい時分に見て、知っていました。
 戦争前の話ですが、私の祖父の従兄弟の娘で名は「ななちゃん」と呼ばれていました。彼女は、当時、山の上にあったお寺の娘で、旧制の女学校へ通っていた大変美しい、子供心にも「きれいなお姉ちゃんじゃなあ」という気がするほどの美女でした。普通は、女学校の寄宿かどこかへ泊っていたのですが、時々、山の上の自分の家に帰る途中か何かで、祖父の家に立ち寄ります。
 ご多分に漏れずに祖父の家にも、馬琴が書いている「小便たご」がありました。唯、簡単な囲いがしてあるだけのお粗末な小便壺が置いてあるだけの物です。
 ある時です。そのきれいな女学生のお姉さんが、そのお粗末な小便壺の中に、臆面もなく立ち小便をする姿を見てしまったのです。母や私の身も周りにいる伯母さんたちの立小便の姿はいつも目にしている物ですから、決して、その立ち小便には、奇異さを感じ取れなかったのです。田植時になると、そのおばさんたちが器用にする泥田の中にする立ち小便には、何とも云われないような、絵にでもなるような面白さがあるように思っていました。でも、この美しいお姉さんが尻をからげてする立小便にはいささか面食らったと、いう記憶があります。おさげ髪のセーラー服の襟の白色の二本の線がやけに目に焼けついたのを、今でも、覚えています。

 それぐらい女性の立小便は50年くらい前は、日常茶飯事なことだったのです。