私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

信偽

2007-06-13 19:03:32 | Weblog
 社長や重役達が深々と首をたれて、「ごねんなさい」と謝っている写真が2,3日前の新聞に載ってました。もううんざりです。何回、こんな同じような写真を我見ればいいのですか。もう大概にしてと叫びたような衝動に駆られるのは私だけでしょうか。
 もう10年ぐらい、いや20年ぐらい前からでしょうか、次から次へと、連続で、まあ、よくもこれだけ続くもんだと呆れ返らずには居られないほど沢山見てきました。ふるくは森永から始まって、三菱自動車、雪印、不二屋、東京電力や中国電力、つい最近のコムスンまで、まだまだ沢山あったので覚えきれません。おおそうそう「ほりえもんさん」も、「あっしをおわすれじゃござんせんか」と言いたそうです。まあ、この世の中、嘘や欺瞞で満ちあふれていそうです。
 かと思えば、「・・・水」で、やましいところは一つもないといいながら自殺した代議士やそれを臆面もなく援護してやまない人。また。何処までもといいながら、それを追求できないで終わらせてしまうていたらく。これが「美しい国」でしょうか。

 まあ、世相の愚痴はそこらあたりにして、わが高尚先生もこの信と偽について述べられています。(松の落葉より)

 『よい神様は決してうそ(いつわり)は言わないのだそうです。例の大穴牟遅神オオナムチナノカミ(大国主命の又の名)は、兄弟の八十神の悪しき神にしばしば偽りを言われて随分とつらい目に合われました。でも、後には、だまされた神が栄え、八十神は衰えます。人の世も、これと全く同じで、偽りばかりを言って人をたぶらかし、謀れば、その当座は非常にうまくいって好調のように見えるが、ついには悪い結果しか出ないということだ。一向にいい事はないのです。
 これから見れば、人の{こころのまこと}こそ最も大切な人の生き方です。「うえなくとうとき」ことだと言われています。
 昔からこの国では。偽りのある神々もまれにはいたが、大方は「まこと」(信、誠真など)ある神や人達であったようだ。』
 これを高尚先生は「国振りがよい」といわれています。
 
 私事(ひとりごと);
 これが本当の美しい国ではないでしょうか、誰かさんみたいに、ただ、国を愛するという言葉や形だけ整えれば、それで国振りがよくなるわけでもないのに、お粗末だと言わざるをえません。昔はよかったと歎くより仕方がないのでしょうか。