我、高尚先生のお書きになった松の落葉の中にある人名は、次の二名です。
お一人は岡山の儒者湯浅元禎と言う人です。日本の書物を読んだ後で、儒教を一心に学んだそうです。その伝統が当時の岡山にも色濃く残っていて、中国の書物だけでなく、同時に日本の古来からの書物も相当勉強していると言う事です。
もう一人の人物として取り上げられているお人が、井山の宝福寺の龍雲禅師です。
毎年の睦月に、蘆守の里の難波何某という家で、あまたの僧達の経を読む会が行われていたそうです。その会に、主賓として、ある年に龍雲禅師が招かれたそうです。そのときその難波何某の家の女あるじが、この禅師に話しかけられたということです。
「毎年偉いお坊様に経を読んでいただいているので、これからも益々この家も栄えるでしょう」
と。すると、この禅師が言う事には
「その経の心が分らず、ただ唱えるだけではお家の為にはならないでしょう。よくないことをするのと比べると、確かに、よいことには決まっているけれど・・」と、言われたと、その女あるじが大変感心して、高尚先生に言ったとか。
このお二人が取り上げられています、よほど高尚先生のお心に残った事だったのでしょう。
高尚先生、この後にも、神社での神官の祓詞(のりと)に関しても、龍雲禅師のこの言葉を使えわれています。
「よくよみてことの心をわきまへしり、よみさまもそれにしたがひてこそ」
私事(ひとりごと);
「神官たる者、祝詞に書かれている文の内容をよく理解して、祝詞に書かれている意味が、即ち、神の御心が、聞く人たちの心奥まで響き渡り、伝わっていくように宣る、読まなくてはならない」と、言っています。
現代の神官たちはどれだけ、この高尚先生のお心を理解して、祝詞を奏上しているでしょうか。一度尋ねてみたいものです?
お一人は岡山の儒者湯浅元禎と言う人です。日本の書物を読んだ後で、儒教を一心に学んだそうです。その伝統が当時の岡山にも色濃く残っていて、中国の書物だけでなく、同時に日本の古来からの書物も相当勉強していると言う事です。
もう一人の人物として取り上げられているお人が、井山の宝福寺の龍雲禅師です。
毎年の睦月に、蘆守の里の難波何某という家で、あまたの僧達の経を読む会が行われていたそうです。その会に、主賓として、ある年に龍雲禅師が招かれたそうです。そのときその難波何某の家の女あるじが、この禅師に話しかけられたということです。
「毎年偉いお坊様に経を読んでいただいているので、これからも益々この家も栄えるでしょう」
と。すると、この禅師が言う事には
「その経の心が分らず、ただ唱えるだけではお家の為にはならないでしょう。よくないことをするのと比べると、確かに、よいことには決まっているけれど・・」と、言われたと、その女あるじが大変感心して、高尚先生に言ったとか。
このお二人が取り上げられています、よほど高尚先生のお心に残った事だったのでしょう。
高尚先生、この後にも、神社での神官の祓詞(のりと)に関しても、龍雲禅師のこの言葉を使えわれています。
「よくよみてことの心をわきまへしり、よみさまもそれにしたがひてこそ」
私事(ひとりごと);
「神官たる者、祝詞に書かれている文の内容をよく理解して、祝詞に書かれている意味が、即ち、神の御心が、聞く人たちの心奥まで響き渡り、伝わっていくように宣る、読まなくてはならない」と、言っています。
現代の神官たちはどれだけ、この高尚先生のお心を理解して、祝詞を奏上しているでしょうか。一度尋ねてみたいものです?