「戦後六十二年を経て」 K・S
8月16日~18日迄の旅を教会の有志7名で広島へ参りました。広島に着き、T兄に先導されて、総数8名は、さっそく原爆資料館と平和公園へ向かいました。夏休みという事で家族連れ、青年、老齢の方、外国の方、大勢の方が熱心に資料を見ながら一瞬目をそらしたくなる写真や黒焦げの瓦や衣服、リアルな人形、それでもみな真剣に説明を聞きながら足を進めました。私たちは、次にドームの焼け跡を見ましたが、この日数十台の黒い街宣車にぶつかり、何故ここに右翼なのかと思いながら、やっと平和公園を脱出しました。
爆心地は今、戦後62年を経て、緑が青々と繁り自然の恵みを受けています。18日は呉の「戦艦大和ミュ-ジアム」へ参りました。子供たちには分りやすくアニメで説明、放映がなされていました。ある若い両親は子どもに「大和は最後、宇宙へ星となっていくのよ」と、戦争を知らない親子の会話を聞き、これでいいのか。回天魚雷(人間魚雷)の事もきっと分らないまま、美化されて伝えられるのでは、と一寸背筋に寒さを感じました。
戦争とは、戦争をしたどちらが良い悪いではなく、絶対やってはいけない事だと伝えて行くべきだと改めて思わされました。
8月16日~18日迄の旅を教会の有志7名で広島へ参りました。広島に着き、T兄に先導されて、総数8名は、さっそく原爆資料館と平和公園へ向かいました。夏休みという事で家族連れ、青年、老齢の方、外国の方、大勢の方が熱心に資料を見ながら一瞬目をそらしたくなる写真や黒焦げの瓦や衣服、リアルな人形、それでもみな真剣に説明を聞きながら足を進めました。私たちは、次にドームの焼け跡を見ましたが、この日数十台の黒い街宣車にぶつかり、何故ここに右翼なのかと思いながら、やっと平和公園を脱出しました。
爆心地は今、戦後62年を経て、緑が青々と繁り自然の恵みを受けています。18日は呉の「戦艦大和ミュ-ジアム」へ参りました。子供たちには分りやすくアニメで説明、放映がなされていました。ある若い両親は子どもに「大和は最後、宇宙へ星となっていくのよ」と、戦争を知らない親子の会話を聞き、これでいいのか。回天魚雷(人間魚雷)の事もきっと分らないまま、美化されて伝えられるのでは、と一寸背筋に寒さを感じました。
戦争とは、戦争をしたどちらが良い悪いではなく、絶対やってはいけない事だと伝えて行くべきだと改めて思わされました。
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