日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

わたしはあなたを決して忘れない

2010-02-07 08:03:21 | メッセージ
宣 教 イザヤ49章14-16節 

先日訪問しました止揚学園には、それぞれがハンディを背負って生きておられるにも拘わらず、その場を訪れた人たちを温かく、ほっこりとした気持ちにさせるような空気が満ちています。職員の方をはじめ、そこを訪れる多くの人たちに祈られ、覚えられている喜びや安心感からかもし出されるものではないかと訪問して思わされました。逆に、すべてが整っていたとしても見捨てられ、忘れられるのなら、どれほど生きる力が損なわれることでしょう。
親が子を思う愛情は本当に尊いものですが、現代はその親自身が愛情や絆の希薄な中に生きてきたために、わが子とよい関わりを持つことができないということが起こっています。敗戦後の貧しい時代より豊かになった今日ですが、かえって貧しい時代の方が愛情や絆がしっかりと結ばれていたと言われます。経済や物質が豊かになった日本において、凶悪でまことにいたたまれないような事件や犯罪が毎日のように起こっています。残念なことに自ら命を絶たざるを得ない人が毎年3万人以上もいます。戦場になっているのではないのに、人が生きていけないような状況があります。へブル語で平和をシャロームと呼びますが、この平和は単に戦争がない状態のことではなく、神に造られたすべての命が保たれていることを指します。
「わたしは見捨てられた、わたしは忘れられた。もう必要ないんだ。生きる価値などない」。我々を取り巻く社会にも、こういった嘆きやうめき声があふれています。夜回りをしていると野宿せざるを得ないホームレスの人に、石や空き缶を投げつけてくる少年たちがいまだにいるのです。けれどもこうした少年たちもまた心のバランスを崩しているのも確かです。
そのような現実のただ中で、主なる神さまはこうおっしゃいます。「わたしがあなたを忘れることは決してない。女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない」。
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