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幸いだ、平和を実現する人たち

2022-08-14 16:10:07 | メッセージ
礼拝宣教 マタイ5章9節 平和

 さて、明日は終戦から77年目となる8月15日を迎えます。様々な記念式典が予定されているようですが。私たちのバプテスト関西地方連合では、8・15平和祈祷集会が行われます。講師はミャンマーご出身で鹿児島で20年牧会を続けておられるマウマウタン牧師が、「平和の訪れを望み求める-叫びの声を心に留めて-」という題でお話してくださいます。とりわけ現在のミャンマーの状況についてのご報告があるかと思います。この集会はオンライン形式で行われます。お時間の許す方はご参加ください。

本日はその8月15日に先立ち、特に平和を願い祈る礼拝を主にお捧げしております。先に、日本バプテスト連盟の総会で採択されました「平和に関する信仰宣言:平和宣言」をご一緒に朗読しました。この平和宣言が採択されてから、このかたもう20年になろうとしています。その間も世界のいたる所で民族と民族の紛争、国と国の戦争が起こっています。時を同じくしてロシアとウクライナ、ミャンマーの軍事政権による抑圧、イスラエルとパレスチナ、台湾への威嚇をはじめ、差別や暴力、へイトが世界のいたる所で絶え間なく繰り返されています。こうした世界情勢について関心を持ち、祈りに覚えていくことは大切なことであります。それは神がお造りになったこの世界と私たちすべての命の問題であるからです。
先に読まれました「平和宣言」は私たちの平和に向けた思いと態度を表しています。私が神の前にどう生きるか。神の恵みと憐みによって罪許された私がどう神と人を愛し、仕えて生きていくかということが、私たちの平和に向けた祈りの根底にあるのです。

今日の礼拝の宣教にあたりマタイ福音書5章9節の御言葉が読まれました。「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは、神の子と呼ばれる。」
この5章~7章まではイエスさまが山に登られて群衆に向けて語られた山上の説教と言われる箇所です。イエスさは、ガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、群衆のありとあらゆる病気や患いをいやされました。その評判がシリア中にまで広がり、人々がイエスさまのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れてきたので、イエスさまは、これらの人々をいやされました。4章25節には「こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から大勢の群衆が来てイエスさまに従った、とあります。ただ単に追っかけて来たのではなく、イエスさま従った。それは、イエスさまに従ったのが12弟子たちばかりではなく、数えきれない人たちがイエスさまに従っていったということであります。
この時代はローマ帝国がユダヤを統治していました。ユダヤ人だけでなく、パレスチナ地方の人々も又抑圧され、苦しめられていました。多くの人々が日々の生活の様々な悩みや生きづらさの中で、傷つき、弱り、疲れ果て、心萎えてしまうような情況があったのです。

それは、もはや神に祈り求める以外にない人々であります。イエスさまはまさにこの群衆を見て、山に登られました。
5章1節に「弟子たちが近くに寄って来た」とあります。それはいわゆる12弟子だけのことだけでなく、先ほども申しました、イエスさまに従った老若男女の姿であります。
そのような人々の思いを受けとめつつ、イエスさまは「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」、又「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」、さらに「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ」と語られます。いや、正確にはイエスさまは宣言なさっているのです。それは、この原文の直訳は「幸いだ、平和を実現する人たち」であって、神さまの「幸いだ」という宣言がまず語られているのです。この神さまがなさる宣言は真理であります。

「幸いだ、平和を実現する人たち。」ここに神さまは人が人として幸いなる道を歩んでいくことを決して諦めず、愛し続け、御救いに招き入れようとしてくださる祝福が語られているのです。まず与えられた神の宣言、その真理の道に如何に応えて生きるか。そこが私たちの側にとって肝心なことなのです。

私たちが平和を実現しようと取り組んで行こうとするとき、様々な問題にぶち当たり、それがなかなかたちで成っていかない現実を突きつけられます。自分たちがしていることが無駄で無意味に思えるような時があります。今のロシアとウクライナの戦争も祈れど祈れど事態は長期化し混迷の中、益々平和が遠ざかっているように思えますが。そういう状況だからこそ、神の「幸いだ」との宣言、「平和を実現する人々」との招きに聴き従う者、すなわち「その人たちは、神の子と呼ばれる」者として生きるのです。

8月9日、77年前に本来は私の生まれ故郷でありました旧小倉市(現北九州市)に原子爆弾が落とされる予定でしたが。その日の上空が曇っていたため次の候補地の長崎市内に原爆が投下されました。もし小倉に原爆が投下されていたら私の祖母祖父、母父も、私もこの世に命を授かったどうか分かりません。それだけにこの長崎の原爆投下は毎年特別な思いをもって祈りを合わせてきました。今年も長崎平和記念式典が行われたのをネット配信で観ることができました。その式典で特に印象的だったのは被爆者の方々がご高齢になっていく中、式典の司会進行はじめ合唱、それに会場には中学高校生といった若い世代の姿が多く見られたということです。それは大きな希望でした。前の世代だけでこの恒久平和に向けてたビジョンを終わらせてはならない。平和の旗印を掲げ続けていかなければならないという、被爆を体験された広島、長崎なればこその平和の実現に向けた切なる訴えと祈りを感じました。
「幸いだ、平和を実現する人たち、その人たちは神の子と呼ばれる」との主の御言葉がどこか響いてきた思いでした。

イエスさまは、「あなたがたは世では苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ福音書16章33節)とお語りになりました。あの十字架の苦難と死、暗闇の勢力を前にして、神の勝利を宣言なさったイエスさまは、実に復活をとおしてすべての世の悪の勢力に勝利され、神の国の実現を先取りなさったのです。
その神の国の完成については、ほど遠く思えるかも知れませんが。イエスさまは既に世の力、悪の勢力に勝利しておられることを信じ、私たちもうみつかれることなく、神の国の完成に向け、平和を実現していく「神の子」とされて、主の御業に参与してまいりたいと思います。

最後に、今日の御言葉であります、神の宣言「幸い」はギリシャ語で「マカリオス」は、至福、最高の幸福を表します。誰も、その1度限りの人生を幸福に満たされて送りたい、と願わない人などいないでしょう。シャローム、平和は、その実現にうみつかれることなく努め続けていく人たちのうちに、すでに至福の幸福を神さまがお与えくだっているのです。主イエスが来臨されるとき、神さまの真の平和、シャロームが完成されることを信じ望み、私たちも地上にある限り、神の子としてその使命を果たしていくことができるように、祈り求めてまいりましょう。

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