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柔和なキリスト、ろばの子に乗って

2021-02-28 12:15:14 | メッセージ

礼拝宣教 マタイ21章1-11節  

宣教音声→https://drive.google.com/file/d/1J_0uoOi_n_QSQoJI-ldJNdqh5JO0cGJI/view?usp=drivesdk

緊急事態宣言が本日迄となり、今週の水曜日の祈祷会から集会を開始します。次週7日は主日礼拝がもたれます。

 

本日は受難節・レントの第二週としてマタイ21章のイエスさまのエルサレム入城の箇所から御言葉に聞いていきたいと思います。

まず、そのエルサレムへの入城に際して、イエスさまは二人の弟子に、「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろば、正確には雌ろばがつないであり、一緒に子ろばがいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら、『主がお入りようなのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる」と言われます。

この2人の弟子たちが誰であったのかわかりませんが。彼らがイエスさまの言われたとおりそこに向かいますと、確かにそこにろばと子ろばがおりましたので、彼らはイエスさまのところにその2頭のろばを引いてきます。彼らが服をろばの背にかけますと、イエスさまはその子ろばにお乗りになって、新しい王が就任する時と同じようにエルサレムの都の門から入城なさるのです。

それは、まさに旧約時代の預言者ゼカリヤを通して語られた、ゼカリヤ書9章9節「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って』」というその預言が実現するためであったと、言うのであります。

 

そのイエスさまのお姿は勇ましい軍馬に乗り、力を誇示するのではなく、労働や奉仕をするために用いられていたろば、しかもその子ろばに乗られてエルサレムに入城されます。子ろばのかわいらしさとイエスさまの人と同じ高さのまなざしを想像するだけで、ほんわかするような思いがいたします。けれども、来るべき王、メシアは武力や権力を奮って国を奪回なさるというのではなく、「柔和な方」としておいでになる。それは人の思いにもよらない神のご計画でありました。

この「柔和」については、単に穏やかさや優しさを意味しているのではありません。

先週のおさらいになりますが。イエスさまの有名なお言葉「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」(マタイ11章28-29節)の、この「柔和で謙遜な者」とは、低みにおかれ、苦しみを加えられている者というのが元々の意味なのです。イエスさまが柔和なお姿でいらっしゃった。それは、ご自身が神の国到来のために自ら低みにおかれ苦しみを受けて下さるためにおいでになった、ということが表されているのです。

イザヤ書53章の苦難の僕にも記されてあるとおり、イエスさまが担ったのはわたしたちの病、イエスさまが負ったのはわたしたちの痛み、イエスさまが刺しぬかれたのはわたしたちの背きのため、イエスさまが打ち砕かれたのはわたしたちの咎のため、イエスさまの受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、イエスさまの受けた傷によって、わたしたちはいやされた、のです。柔和なキリストによって。

 

9節のシオンの娘とは、エルサレムの都であり、ユダヤの民のことを指しますが。

ローマの支配の中にあったとはいえ、ユダヤの指導者や一部の富裕層は、ある意味その傘下にあって安穏とした生活を送っていたのかも知れません。だからイエスさまの入城に不安を抱きます。一方のイエスさまの後を追って来た群衆は、新しい王が力を行使してローマを打ち破り、かつてのダビデ王のようにユダヤ王国の再建をなす力強い王を切望していました。

しかし、神が油そそがれた王、メシアは、預言者ゼカリヤを通して語られた柔和で謙遜お方。「低みにおかれ、苦しみを与えられている者」と軛を共にしてくださるお方なのです。

イエスさまに大きな期待を持ってガリラヤからついて来た人たちは、ロバの子に乗ったイエスさまの都入城に、自分の服や木の枝を敷いて熱狂します。

そういったある意味エキサイティングな状況の中で、弟子たちはどうだったでしょう。21章の前のところを見ますと、弟子のヤコブとヨハネの母が二人を連れてイエスさまにお願いにあがり、「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」と、裏口工作を企てるんですね。そのことが他の弟子たちにも知れ渡り、この二人のことで弟子たちは腹を立てていたときにイエスさまが現れなさって、一同にこうおっしゃるのです。

「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

エルサレム入城に軍馬ではなく「荷を負うろば」をお用いになられたイエスさまの使命は、まさに神と人に仕えること。そして、あの十字架で人の罪の身代わりとなってご自分の命をおささげくださる、その主イエスによって神の栄光は顕されるのであります。その事を弟子たちはいつもイエスさまのそばにいながらわかっていませんでした。

 

この「仕える」と訳されているギリシャ語は「ディアコニア」と申します。よく福祉や医療施設などの名前になっているので耳になさった方も多いかもしれません。

主イエスが、罪に滅びることがないように神に執り成し祈られ、飼い主のいない羊のようにさまよう人たち、打ちひしがれている人たちを深く憐れみ、神の国の福音を語り、病人をいやし、悪霊を追い出すために働かれたのは、すべてディアコニア・仕えるためでありました。

イエスさまが、「荷を負うろばの子」を引いて来るように言われた二人の弟子は、イエスさまの右か左かの大臣にという野心を持っていたかどうかわかりませんが。「あなたがたも仕える人になりなさい」ということを、イエスさまは自らお示しになられたように思えるのです。

 

話は変わりますが、先週大阪キリスト教連合会の会合後ある牧師から伺ったお話がとても心に留まりました。それはRodney Stark(ロドニー・スターク)という神学者が社会学的アプローチを加えた著書「The Rise of Christianity」(キリスト教の台頭)といを基に、ある神学者がご講演されたお話をお裾分け頂いたものですが。

初期キリスト教会(古カトリック教会)の少数派キリスト教は紀元後300年間でローマ帝国の国教となり大きく広がっていったわけですが。その大きな理由として、病人や困窮者にキリスト教徒が示した献身的なケアの姿勢、死をも恐れない無私の愛があったというのです。加えて、そうした貧しい人々がたとえ不本意な死を遂げたとしても、丁寧に葬り、その命の尊厳が神のみもとで大切にされていったというのです。 ローマ全土で紀元165年に激しい疫病、天然痘が15年も大流行し猛威をふるうなか、総人口の最大3分の1が亡くなったということです。さらに紀元251年にははしかが全土を襲い1日5000人が死亡し、人びとがばたばた死んでいく状況の中で、もっと恐ろしいことが起こります。それは人間同士をつなぐ絆がずたずたにされ、分断が起り、ゆとりのある人や動ける人はより安全な場所へと逃げ出しますが、病魔に襲われた多くの患者は置き去りにされて死んでいきます。又、病人は家や町から追い出され、路上で死にゆくしかなく、死体は埋葬されずそのまま放置されたと言うのです。       そのような中で、初期のキリスト教徒たちは自分が感染することも恐れず、病人の世話を手厚くしたというのです。しかもそのことは、家族や親せきの枠を超え、またキリスト教徒以外の人々にも行われたということが、当時の文献に記録されているそうです。このためローマ皇帝はじめ地位ある者たちは、家から路上に放り出された患者たちに対して死を恐れず手厚く介抱していくキリスト者たちの姿に衝撃を受けていきます。さらに、その看病によって命が助かった人々の中からキリスト教徒となる人々が多く興されて行くのです。統計によりますと、紀元250年からの100年間に、ローマ帝国内のキリスト者の人口が2%から何と50%と、当時推定されている6000万人の総人口のうち半分の3000万人がキリスト教徒となったということです。

私にこのお話をしてくださった牧師は、私にこうおっしゃいました。

今コロナ禍で人々の持つ恐れや不安が社会を分断し、人と人との関係性を壊し、損ねていることこそ怖い、と。又、初期キリスト教徒の死をも恐れることなく神と人に仕えていったその姿に、当時のローマの皇帝もその神の存在を認める他なかったんですよ、と。

最近私は知ったのですが。コロナ禍でSocial distance「ソーシャルディスタンス」

をとるようにと言われるその言葉は、社会学用語で特定の個人やグループを排除するという意味があるそうです。

今日の聖書の後半の10節のところに、イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ、と記されています。岩波訳は「動転した」と訳されています。まあ、エルサレムの都の人たちは、ダビデの王があの片田舎ナザレの者だなんてあり得ない。噂によれば律法違反の罪人や汚れた病人らと関わりをもち、得体の知れない群衆どもをガリラヤから引き連れ、聖なる神殿に来るとはなんと怖ろしい者か、という排除の思いがこのエルサレムの都の人たちのうちに沸き起こっていたのでしょう。これは現代においても、だれのうちにも時に生じ得る思いなのではないでしょうか。人はだれしも自分が安心できる状況や集団をつくり出したいものです。けれどそれが他者の排除につながっていないか。神の御心はどこにあるのかを、いつも私たちは主イエスのお姿に心を留めなければ、エルサレムの都の人たちと何ら変わりないのです。

本日このレントの時期に、イエスさまのエルサレム入城の箇所から聞いてまいりましたが。「主がお入り用なのです」とのお言葉を聞くとき、この引いてこられた「子ろば」は、柔和な王、真の救い主なるお方をお乗せする私たち、キリスト者なのではないでしょうか。子ろばのように神の前には何も誇れるもの一つない未熟な私。けれども主は、それだから私をお用いになられるのです。

「荷を負う子ろば」、柔和な救い主、キリストをお乗せして、今週も神の国のご計画のために用いて頂きましょう。

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