日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

恐れるな

2019-12-15 13:10:53 | メッセージ

礼拝宣教  ルカ2章8-20節 アドヴェントⅢ

 

礼拝ではアドヴェントに読んでまいりましたマリアへの受胎告知から、又、夫ヨセフの、家族となる決意、そしてこの2章で2人は住民登録のためベツレヘムへと向います。6-7節には「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所はなかった」と、何と家畜小屋の中で出産なさるんですね。               

今回注目したいのは羊飼いたちです。「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」。ベツレヘムの町からちょっと外れた牧草地のある場所で羊飼いたちは夜の間もずっと羊の群れを守っていました。その羊飼いたちに突然主の天使が近づいてきたというのです。今も各国で羊牧は行われていますので、羊飼いを実際にご覧になられた方もおられるでしょうが。私も以前シナイ山のふもとを移動するバスから、羊の群れを遊牧する羊飼いを見ました。そこでは2000年を経た現代でもほとんど当時と変わらない出で立ちで生活を送っていらっしゃるように見えました。羊飼いといえばまあ温厚で柔和な人たちというイメージをもたれるかも知れませんが。旧約の出エジプトの指導者のモーセ、そしてイスラエルの王ダビデ、さらに預言者のアモスも羊飼いでした。聖書の時代の羊飼たちは家も持たず、有っても羊と移動しながら野宿をするような生活です。いつ獣や羊を奪う盗人が現れるかわかりませんから、夜通し番をしていた、いわば危険な警備員のような仕事ですね。羊飼いという何かソフトなイメージとは異なる大変な仕事であるということです。そういうある意味24時間勤務でありますから、まあ当時としては当然彼らは安息日を守ることができなかったのです。さら彼らのいわゆる人権や尊厳はおきざりにされていました。法廷での証言者としては立つことが許されていませんでしたし、ユダヤ人としての住民登録などもなく、ユダヤの町の人たちは彼らを蔑んだ目で見ていたのです。ところが、主の天使はそのような羊飼いたちに、救い主イエス降誕の知らせを真っ先に告げ知らせるのです。それは本当に意外なことでありました。メシア、民を救う王となる方がお生まれになられるのです。皇帝や王に真っ先にその知らせが届けられてしかるべきというのが世の常識でしょう。あるいは町には祭司もいたし律法の専門家もいました。けれども、主の天使は世の考えや常識とは異なり、意外も意外この羊飼いたちに現れるのです。

9節「すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。」彼らを襲ったのは喜びではなく「恐れ」でした。「彼らは非常に恐れた」のです。

この「恐れ」は、夜の暗闇の中にいた羊飼いたちが突然主の栄光に照らされ明るくなって天使が現れたからびっくりして怖くなった。恐れた。そういうことも考えられますが。この「大きな恐れ」はもっと人間の根本的な恐れです。それは、罪人である人間が全きお方、一点も曇りなく義であられるゆえに聖なるお方、人知を超えた力あるお方を知ったことへの「大きな恐れ」です。あの十戒のシナイ山でイスラエルの民は「これ以上神の御声を聞くならばわたしたちは死んでしまいます」とモーセに訴えました。また、主イエスに神の子としての栄光を見たとき、シモン・ペトロは飛び退いてひれ伏しました。私たちは主の栄光に照らされるとき、自分の罪がすべてあらわにされるのです。暗かったのが明るくなって良かったなどと言ってはいられないのです。隠しておきたかった罪。忘れてしまっていた罪。そのような罪のすべてが私たちに突きつけられるのです。神さまに出会うとき、私たちは自分の罪の重さにとても耐えられません。一点の曇りもない全きお方を前にして、私たちは自ら消え入る以外ないような者だからです。彼ら羊飼いはその境遇から神への恐れを知っている人たちであったと言えるでしょう。ある意味神への恐れを知らない人は、神の救いの恵みの深さ、広さに気づきにくいといえるかも知れません。

さて、そのような「大きな恐れ」を抱いている羊飼いたちに天使は命じます。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」

ルカのクリスマス物語において繰り返し「恐れるな」と語られてきました。ある時にはザカリアに「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた」と告げられましたし、また別の時にはマリアに「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」と告げられました。ここでも、天使は羊飼いたちに「恐れるな」と命じます。             

そして主の天使は「民全体に与えられる大きな喜びを告げる」と言っていますが。この「民全体」とはユダヤの民のことを指していると考えられます。しかしこのルカ福音書を読み進めていけばいくほど、この大いなる喜びの知らせが、ユダヤ人から異邦人へ、さらにすべての民、全世界へと広がっていくことがわかります。この後神殿でシメオンが幼子イエスさまを抱き上げて「これは万民のための救い、異邦人を照らす光」と言っています。また、ルカの福音書の最後でも復活の主イエスが「罪の救いを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国々の人々に宣べ伝えられる」とおっしゃいます。ルカ自身も異邦人であり、この喜びのエピソードを丁寧に書物に書き残したのでありましょう。さらに時代を越えて今を生きる私たちにも、この喜びが告げられているのですね。神さまの栄光に照らされるなら、自ら絶え得るほかなかったこの私たちにも、この「大きな喜び」が与えられている事は何と幸いなことでしょう。

続けて天使は告げます。「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」。私はこのお言葉に、羊飼いたちがどんなに驚いたかを想像するんですね。当時の社会にあって人々から蔑まれていた「あなたがたのために、救い主がお生まれくださった。」  この「あなたがたのため」ということを知らされた時の、その驚きと喜びはいかばかりであったでしょう。先にも申しましたように羊飼いは民の数には入れてもらえない人たちであったのです。主の天使は、「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」と告げます。これも羊飼いたちにはどのように聞こえたでしょうか。この乳飲み子の飼い葉桶のある家畜小屋は通常洞窟を使って造られていたようです。よくある立派な小屋ではないんですね。実は羊飼いたちが通常寝泊まりするのもそういった洞窟であったのです。意外にも夏は涼しく冬は暖かかったからです。それはもうそのまま救い主が自分たちのもとにおいで下さった、という素晴しいしるしにほかならなかったでしょう。

 さて、主の天使が語り終えると、13節「突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ』」。どんなに素晴しい光景であったかと思いますが、この天の軍勢の賛美は羊飼いたちのみならず、私たちへの応援歌のようにも思え希望を感じます。そうして主の天使たちが天に去ると羊飼いたちは互いに言いました。「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」。              

それは実は彼らにとって決して容易なことではありませんでした。彼らは町の中に入るというはまあ通常は考えてもみなかったこと思うのです。か。」あの自分たちのことを蔑視し、蔑んでいる町の人たちが居るところに行くこと自体、これは彼らにとってまぎれもなく「恐れ」以外の何ものでもなかったからです。けれども、ここで彼ら羊飼いは互いに、このことについて「話し合った」んですね。そうして「さあ、ベツレヘムに行こう。主が知らせてくださったその出来事をみようではないか」と決断するんですね。

そして「飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当て」それを目の当りにした時、彼らは確信するんです。「この子こそメシアだ、私たちの救い主だ」。喜びにあふれた彼らは17節、「その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使いが話したことを人々に知らせた」と。もううれしくてうれしくて証しして廻るのです。自分たちにもたらされた恵みの大きさに気づいて、そうせずにいられないんですね。まあ、普通であれば羊飼いたちが町の人々と向き合い、話をすること自体、まず無いことですし、羊飼いにとっては恐怖であり、恐れ以外の何ものでもなかったのです。しかし、そんな彼らの恐れをもはや忘れさせるような「喜び」がその時湧き上がってきたんですね。ここが今日のメッセージの大きなポイントだと思います。羊飼いたちはそれまで町の人たちに対して疎外感を持っていましたし、どうせ相手にされないと思っていたでしょう。正直目も合わせたくないなあという思いがあったのかも知れません。しかし、「民全体に与えられる大きな喜びの知らせ」を目の当たりにした時、神さまの愛と恵みに圧倒された羊飼いたちは、人間的な恐れ、隔てを超えて、人々にこの大きな喜びを伝えずにいられない思いに変えられたのです。これがまさに福音の力です。

しかし、羊飼いたちが主から告げられたことを町の人々に知らせたとき、彼らはどうだったでしょう。「聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った」とあります。なぜ聞いた人たちは皆、不思議に思ったのでしょうか。「飼い葉桶なんかに寝かせてある乳飲み子」が珍しいから不思議に思ったのではありません。町の外にいるはずの羊飼いたちが町に現れて、大胆にしかも彼らの顔が喜び輝きながら告げ知らせていたことが、町の人たちは不思議に思えたのです。                      

それは、11節で主の天使が羊飼いたちに告げた「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」とのことでした。ところが「聞いた者は皆」、この「大きな喜び」、福音が分からなかったのです。私たちは12月にクリスマスを迎えると、主イエスの誕生を「大きな喜び」として祝います。しかしルカは、救い主がお生まれになったと聞いた者たちが皆、喜ぶのではなく不思議に思った、、いや不思議に思っただけだったと語るのです。町の人々の心は救い主がお生まれになったことを受け入れることができなかったのです。彼らは日常の生活に追われ、心捕われてせわしなかったかも知れません。町の中はあまりにもやらなくてはならいように思えることでいっぱいです。実際そうでしょう。社会全体がそれを期待しているようにも思えます。いつも思える物を探している。いつもあれもこれもやらなければと思っている。自分を高めたい、人より上に行きたい。少なくとも下になりたくない。私はその思いを否定するつもりはありません。ただこの羊飼いたちの生活はとてもシンプルだったんだろうなと思います。また、いつも自然と接しながらその恵みと厳しさをも肌で感じて過ごしていたと思うんですね。先般天に召されたペシャワールの会の中村医師がご講演で、「人は持てば持つほど重くなる」とおっしゃっていたことを思い出すのでありますが。

クリスマスシーズンになると街はイルミネーションで溢れ、そこにはうきうきわくわくとした喜びとお祝いのムードが漂っているように思えます。しかしそこに、本当の「大きな喜び」があるわけではありません。その場限りの単なる楽しみがあるだけです。気が合う人だけが集まって食べて飲んでショッピングをする。それが悪いとは思いません。けれどもそれはその場限りの楽しみであって、魂に喜びをもたらすものではありません。その証拠にクリスマス、正月が終った後の寒々しさ、また忙しさに吞まれていくという虚しさ。それは本当に人を生かす希望を知らないからです。クリスマスが救い主がお生まれになった日であることを知らないからです。だからこそキリスト教会は、御子がお生まれになったことこそクリスマスの本当の喜びであると、告げ知らせるのです。羊飼いたちと同じように。今日、神さまが私たちに知らせてくださったこの「大きな喜び」を、こうして私たちはこの地に建てられたれた教会を基に変わらず分かち合い続け、この喜びを人々に知らせるのです。


最後に、聞いた者が皆、羊飼いたちの話を不思議に思う中で、マリアだけは「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」と語られています。彼女について語られているのはこの19節だけです。しかしここで描かれているマリアからも、信じるとはどういうことかを私たちは知らされるのです。            

マリアは羊飼いたちが告げた言葉を心に納めました。「心に納めた」とは、羊飼いたちが知らせたことを聞いて、そのことを自分の胸の内に留めほかの人には話さなかった、ということではありません。「納めた」と訳された言葉は、もともと「保護する」とか「守る」ことを意味します。つまりマリアは羊飼いたちが知らせた言葉を心の中で保護したのです。それは一時的な保護ではありません。彼女は告げ知らされた「大きな喜び」を、思い巡らしつつ心の中で守り続けたのです。また、「思い巡らす」とは瞑想するという意味ではなく、牛が牧草をはんだ後、一度胃の中に入れてまた口の中に戻すのを何度か繰り返して、しっかり消化することを反芻と申しますが。そのようにマリアはこれらの出来事をすべて反芻するのです。「すべて心に納めて、思い巡らした」。マリアの生涯にとってそれは決して楽なことではありませんでした。少年となった我が子の言動が分かりませんでした。我が子の十字架上の死は、まさに心を剣で刺し貫かれることに違いありません。それでもマリアは告げ知らされたこと、「生まれてきた御子が救い主であること」を心の内に固く守り続け、思い巡らしたのです。主イエス・キリストが私たちの救い主であると信じることは、私たちがそのことを固く守り続けることであるのです。私たちは時に心が揺れ動き、左右されるようなことがあります。しかしどれほど揺らいだとしても、マリアのように主イエス・キリストが私たちの救い主であることを決して忘れることなく守り続ける信仰、そして羊飼いたちがそうであったように、福音の新鮮な喜びを日々保ちつつ、喜びと平安を頂いて、今週もここから遣わされてまいりましょう。

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