奇想庵@goo

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感想:『半落ち』

2009年11月06日 18時10分44秒 | 本と雑誌
半落ち半落ち
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2002-09


初、横山秀夫。映画化やTVドラマ化された作品。それらは未見だが、話題となった作品だけにある程度落ちは知っていた。いつの間にか耳に入っていた。

アルツハイマーに罹患した妻を殺害した嘱託殺人の罪に問われた実直な警察官。彼は妻殺しの後に自首するまでの二日間の行動を語らない。この事件を周囲に配する6人の視点で描いている。

構成は見事。周囲の視線からこの物語の主人公・梶の人物像を浮き彫りにしている。謎の引っ張り方もうまく読者を惹きつけている。
明かされる梶の意志も私にとっては腑に落ちるものだった。それだけで優れた小説、優れたミステリと評価できる。

この落ちについては直木賞の選考の場でリアリティについての疑義がなされ、特に林真理子による峻烈な批判がなされた。この一件に関しては、林真理子の批判に説得力を微塵も感じない。
そもそもフィクションである小説に厳密なリアリティを求めすぎても意味がない。大切なことは他にあり、それが満たされた上でのリアリティ、否、大切なことを表現するためのリアリティが必要なのであってそれ以上ではない。リアリティにこだわって作品の価値や意図を貶めてしまっては本末転倒と言わねばならない。
小説の本質を理解していない批判に感じる。そんな人物が直木賞の選考委員なのだから失笑ものだ。まあ文学賞に意味があるとは思っていないが。自分が理解できない作品をありがたがる読者に反発を覚える気持ちは痛いほど理解できるが、まして表現者であるならばそれをどう表現するのが適切かは分かるだろうにそれを逸脱した発言が見られたことは残念だ。(☆☆☆☆☆☆)


本の評価

2009年11月05日 23時38分36秒 | ブログ
10月27日の記事から、本の感想記事にその作家のこれまで読んだ本の感想へのリンクと評価を載せ始めた。
当初の目的はリンクのみであって、カテゴリによる分類では細分化されすぎて不便そうだったので単にリンクを貼ろうと思い付いた。
しかし、それだけでは殺風景な感じがしたので、☆による評価を導入した。

☆は最大10個。☆無しから☆×10までの11段階ではあるが、現実的には最上位と最下位を付ける可能性は皆無と言ってよく、9段階であり、更に☆9個と☆1個も付ける可能性は非常に低い。
☆4個が合格ラインといった印象で、3個以下は不満が勝り、6個以上で人に勧めたいと思えるレベル。当然のことながら、読み終わった直後と時間が経過した後では評価も変わる。大幅な変化はともかく、☆一つの増減は今後行うこともあるだろう(既に行った作品もある)。

アニメでも一時期5点刻みの100点満点で点数評価を記載していたことがある。これも40点が平均=合格ラインだったが、TVアニメでは各話ごとのばらつきもあるので長続きしなかった。

現在☆評価を記載しているのはリンクを貼った過去に読んだ作品に対してである。つまり、感想を書いた作品への評価は文章では書いていても☆での評価は書いていない。☆という分かりやすい評価を書いてしまうと、文章の伝えたいニュアンスが消し飛んだりするのではという不安もある。もちろん、文章の拙さが要因ではあるが。
一方で、継続的に読んでいる作家ならともかく、単発で読んだ作品は☆評価を記載する機会がない。あったとしても、相当の時間が経過してしまう。読書メーターの感想に書き加える案も考えたが、それこそ短い文を添えるだけでは文意が伝わりにくそうだ。それとは別にメモを残すというのも二度手間、三度手間といった感がする。
ひと手間増えるが、反転文字で記事のどこかに書き記しておくのが妥当かもしれない。

7月初旬に突然読書モードに突入し、4ヶ月余りでコミックを除いても160冊以上読破した。年間250冊という記録が自己ベストだが、ペースだけならそれを圧倒している。今年、7月までに読んだ本は、両手の指は越えても両足までは越えない気がするので、いかに突然切り替わったか笑ってしまうほどだ。
その中で☆8個が2冊。『図書館革命』と『ベン・トー 3』。単発ものよりもシリーズものの方が評価が高くなりがちなのは仕方ないとしても、他を圧するだけの面白さを与えてくれた作品だ。
過去にもこのレベルの作品とは出会っている。新井素子や小野不由美、「銀河英雄伝説」や「マリア様がみてる」、『すべてがFになる』や『幻詩狩り』、池宮彰一郎、火浦功、J・P・ホーガンなどなど。
この4ヶ月でも、印象的な本との出逢いはこの2冊だけに留まらない。小川一水、桜庭一樹、『西の魔女が死んだ』、”彩雲国物語”、犬村小六、コニー・ウィリス、サイモン・シン、テッド・チャン……。しかし、読みたい本はまだまだ尽きない。まだまだ出逢い足りない。
いつまでこの読書モードが持続するかは分からない。始まった時と同様突然に他のモードへと切り替わるかもしれない。特に面白いゲームと出会えたら、その可能性はかなり高まる。いつまで続くか分からないが、続くうちは好奇心の塊で新たな作家、新たな作品を切り開いて行きたい。

正直、このブログが他の人の読書の手助けになるとは考えにくいが、私自身は相も変わらず感想を書きなぐっていくだけである。それがもし、ほんの一助にでもなるのであれば幸いである。


感想:『戦う司書と追想の魔女』

2009年11月04日 21時01分38秒 | 山形石雄
戦う司書と追想の魔女 (集英社スーパーダッシュ文庫)戦う司書と追想の魔女 (集英社スーパーダッシュ文庫)
価格:¥ 650(税込)
発売日:2006-12


シリーズ5作目。奇数巻と偶数巻で別シリーズほどの差を感じる。奇数巻、それは当たりの巻である。

本書のためにシリーズが描かれてきたと言いたくなるほど印象的な物語。武装司書と神溺教団の知られざる裏面が明かされ、シリーズの主人公たるハミュッツ=メセタが悪役を演じている。彼女と対峙するのは、武装司書の申し子たるヴォルケン=マクマーニ。正義感溢れる若き武装司書であり裏切り者でもある。
一方、『戦う司書と黒蟻の迷宮』に登場したレナス=フルールの記憶を持つ女性。彼女は自分自身、つまり、本来の記憶の持ち主であり、神溺教団から肉として扱われていた当時の存在と対峙することになる。レナス=フルールという光のような存在と、目的のために他の肉たちを肉として扱った肉という闇のような存在との対峙である。

二重の光と闇の対決は、激しく交錯する。表面上の正義と悪の構図は、物語が展開していくうちにその境界がどんどん曖昧となっていく。最後に明かされる事実によって、再び善と悪の図式が現れる。しかし、悪=ハミュッツという認識もまた現時点で語られたものに過ぎない。
ハミュッツ=メセタはシリーズを通して、単なる善や悪といった枠に捕らわれない存在として描かれている。単純な善悪を超えた戦いの化身。

前巻の感想で述べた不満、シリーズを通した構成の不備が本書で解消されそうだ。ようやく物語が動き出した。もちろん、それが魅力的なものとなるかどうかは分からない。ハミュッツ=メセタを単純な造型に落としてしまえば物語は成立するが魅力は激減する。捉えられない存在として描けば、物語の展開は難航するだろう。それでもここまで描いたものを簡単に地に落として欲しくない。これだけのものが書けるのだから、もっと先を目指して欲しい。




これまでに読んだ山形石雄の本の感想。(☆は評価/最大☆10個)

戦う司書と恋する爆弾』(☆☆☆☆☆)
戦う司書と雷の愚者』(☆☆)
戦う司書と黒蟻の迷宮』(☆☆☆☆)
戦う司書と神の石剣』(☆☆)


感想:『虚空の旅人』

2009年11月04日 20時30分41秒 | 上橋菜穂子
虚空の旅人 (偕成社ワンダーランド)虚空の旅人 (偕成社ワンダーランド)
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2001-07


シリーズ4作目はバルサは登場せず、チャグムの物語となっている。

児童文学というジャンルではあるが、これまでは中年女性であるバルサが主人公であり、特に『闇の守り人』で語られたものは子供向けと呼ぶには不似合いなほどだった。自身の過去との対峙は大人向けと呼ぶに相応しい。
それに比べ本書は、チャグム以外にも同年代の少年少女たちが登場する。彼ら彼女らのほとんどは、一般人ではなく、その若い年齢に不釣合いな高い地位と責任を負っており、当人たちもそれを自覚している。その意味では、特殊なキャラクターだが、同時に少年少女らしい青臭さも持ち合わせており、その葛藤がテーマとなっている。

児童向けのストレートな物語ではあるが、エンターテイメントとしてもこれまでの3作以上に魅力的に描かれている。チャグムの視点、サンガル王子タルサンの視点、少女スリナァの視点を軸に重層的に展開し、悪の側に位置するラスグのみならず、大人の論理との対決が見所となる。

一方で、チャグムの成長の様子も心惹かれるものとなっている。『精霊の守り人』の当時11歳だった彼は14歳となり、皇太子として立派に立ち居振る舞いができるようになった。しかし、バルサらとの出合いを通じて得た経験は、彼を人間的に成長させたが同時に皇太子としての危うさも齎すことになった。その不安定さの描写が彼の魅力を生み出している。

世界の完成度、キャラクターの魅力、物語の重厚性、どれを取っても素晴らしいものだ。それだけに、今更ながらTVアニメに感じた物足りなさを惜しく思う。原作の良さを充分に引き出しきれなかった。今になって余計にそう思えてしまう。




これまでに読んだ上橋菜穂子の本の感想。(☆は評価/最大☆10個)

精霊の守り人』(☆☆☆☆☆)
闇の守り人』(☆☆☆☆)
夢の守り人』(☆☆☆)


感想:『朝霧』

2009年11月04日 20時09分57秒 | 北村薫
朝霧 (創元推理文庫)朝霧 (創元推理文庫)
価格:¥ 588(税込)
発売日:2004-04-09


円紫さんシリーズ最後となる連作短編集。

卒業、就職、そして新たな出逢い。日常のほんの些細な描写の積み重ねから、日々の心の動きや様々な日常の謎を見つめ、見出し、答えを見つけていく。博学な文学知識もあくまでそれら日常の中の断片に過ぎない。特に、今回多く取り上げられた俳句や和歌はそうした日常の狭間に在る詩の世界である。

「山眠る」は《私》の大学卒業を描いた作品だが、日常の中からわずかにはみ出した哀しみが切なく響くものだった。透き通る刃が斬るような、心へ伝わる想いがある。シリーズを通しても最も印象深い短編だ。

「走り来るもの」はリドル・ストーリーを扱ったもの。先日、『どちらかが彼女を殺した』を読んだ際にWikiを見て『女か虎か』の素筋は知っていた。それを下敷きに作られた短編を鮮やかに解き明かす様は見事。

表題作「朝霧」は祖父の残した暗号の解読自体はとりとめないものだが、そこに描かれた恋の予感がシリーズの幕を閉じるに相応しい内容となっている。

”日常の謎”というミステリの新たな世界を切り開きつつ、《私》の青春記であり、縦横無尽に語られる文学への愛があり、落語という演芸の魅力が大いに語られ、落語家円紫というキャラクターを描き出した、そんなシリーズ。それでいて、緩やかで叙情的な雰囲気があり、些細な断片の積み重ねで少しずつ感情を浮かび上がられる巧妙な技が冴えに冴え、独特の味わいを生み出している。
《私》の造型を始め気になる点は残るものの、それでも心に深く残るシリーズだった。ぬるさも含めた暖かさがこの世界の素晴らしさだったことは間違いないだろう。それもまた現実の確かな一部なのだし。




これまでに読んだ北村薫の本の感想。(☆は評価/最大☆10個)

空飛ぶ馬』(☆☆☆☆☆)
夜の蝉』(☆☆☆☆☆)
秋の花』(☆☆☆☆☆☆)
六の宮の姫君』(☆☆☆☆☆)


感想:『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 4 絆の支柱は欲望』

2009年11月04日 18時45分17秒 | 入間人間
嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん〈4〉絆の支柱は欲望 (電撃文庫)嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん〈4〉絆の支柱は欲望 (電撃文庫)
価格:¥ 536(税込)
発売日:2008-04-10


あとがきを読まずに読み始めたので、この巻だけで終わらなかったことに驚いた。そこまで引っ張るほど面白い話でもないのに。

「クローズド・サークル」での連続殺人事件。とはいえミステリという雰囲気はあまりない。
この設定では動かしがたい、というよりも邪魔なまーちゃんは舞台の外。それだけで作品の魅力は半減以下。相変わらず読むのに苦労する文体をせっせと読んで終わらないという事態に呆然としてしまった。

シリーズの性質からすると外伝に近い内容だけに、それを延々と垂れ流されてもというのが正直な気持ち。これ以上物語を続けても面白くなりそうにないだけに尚更。
初期設定がぶっ飛んだものだっただけに、シリーズで出来のばらつきが大きいのも仕方ないとは思うが、それにしても今回は残念な思いが強い。テンポが悪いのも今に始まったことではないが……。




これまでに読んだ入間人間の本の感想。(☆は評価/最大☆10個)

嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん―幸せの背景は不幸』(☆☆☆☆☆☆)
嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん2 善意の指針は悪意』(☆☆)
嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 3 死の礎は生』(☆☆☆☆)


感想:『神様のパズル』

2009年11月03日 14時51分52秒 | 本と雑誌
神様のパズル (ハルキ文庫)神様のパズル (ハルキ文庫)
価格:¥ 714(税込)
発売日:2006-05


期待していたほどではなく残念。

第一に、穂瑞沙羅華を天才だと全く感じなかった。
小説その他創造された物語において、天才を表現する場合、そのキャラクターが喋れば喋るほど天才から遠ざかっていく。記号としては成立しても、キャラクターとして成立するケースは非常に稀だ。
最も成功した例は、『すべてがFになる』の真賀田四季だが、これは本当にレアケースだったと思う。
穂瑞沙羅華は四季というよりも西之園萌絵に近い。常人離れした記憶力を持つ彼女もまた天才の部類だが、四季の天才性と比較すると格段に落ちる。天才の基準にもよるが、常識という軛から脱した者を天才と呼ぶのであれば、四季は天才だが萌絵や穂瑞は天才ではない。

第二に、自然や農業といったもので解決を導いたことに強い不満を抱いた。
文明対自然の構図は昔からずっとあるし、一つの解決法として成立しているのも確かだろう。だが、現代の文明社会に生きる立場から見ればただの逃避にしか感じられない。生きる智恵は素晴らしいものだ。しかし、禁断の果実を口にした後ではその智恵は通用しない。「ものづくり」の素晴らしさもまた既に幻想に過ぎない。

本書を読んで『数学ガール』を連想した。『数学ガール』は数学の教科書めいていて、物語は付属的なものに過ぎない。それでもその清涼感が思い起こされた。数学や物理学の前では物語はなんと瑣末なものか。少なくとも、本書の物語は。
青春小説の青臭さが余計なものに感じてしまった。確かに小説としては必要な成分だ。それがなければ小説としては成り立たないだろう。あえてそれを切り捨てた『数学ガール』を読んだ後では、どうしてもその青臭さが鼻についた。

もっと青春小説寄りならばまた違った印象となっていただろう。だが、物理学をテーマとし、宇宙を作るという壮大なプロットは凄まじいものだっただけに、それに物語が敗北したのは仕方がないのかもしれない。テーマや設定に、ストーリーやキャラクターが追い付かなかった。それもまたSFらしいと言えるかもしれないが。


感想:『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』

2009年11月03日 02時22分02秒 | 本と雑誌
俺の妹がこんなに可愛いわけがない (電撃文庫)俺の妹がこんなに可愛いわけがない (電撃文庫)
価格:¥ 599(税込)
発売日:2008-08-10


物語が始まって3ページ目に、「平々凡々、目立たず騒がず穏やかに、のんびりまったり生きていくのが俺の夢ってところかな」ともやはライトノベルのお約束、ゼロ年代男性主人公の定番宣言が書かれている。
しかし、実際は、そんな宣言どこ吹く風と、意外や意外、妹の人生相談から始まって、活発に活動的に身を張ってまで、平凡とは正反対の行動をやってのけた。それも最後はちゃんと自分の意志として。
それだけで立派なものだ。逃げず愚痴らず従わず。まあ妹の仕打ちに対する愚痴は正当な権利なのでここでは問わない。というか、この立派な主人公が霞んで霞んでどうでもよくなるほどに、妹・桐乃の造型が素晴らしかった。

容姿端麗、頭脳明晰、学業優秀、陸上部でも好成績を残し、ほとんど完璧超人といった感じ。だが、生粋のオタクであり、兄に対する振る舞いは、傍若無人、何度「キモ」と叫んだことか。兄の視点からすれば、ほとんど「ドM」小説。妹に罵られる様を楽しむ作品でもある。
アニメオタクに留まらず、18禁ゲームで妹萌えしている重度のオタク。普通の女子高生としての立ち居振る舞いは出来ても、オタクとしては苦労している様がなかなか巧く表現されている。オフ会で出会ったキャラクターも個性的。

父との対決では、『乃木坂春香の秘密』を彷彿とさせるが、助けてもらうのではなく、ちゃんと立ち向かっている……兄がだが(笑)。主人公として嫌いな妹のために立ち向かう姿には涙が……好感度が上がったところで大差なしという悲惨さなのに。
ツンデレのように嫌っているけど実は、みたいなノリではなく、所詮は兄妹であり、嫌っていても仕方なく側にいる的な関係がベースであって、それ以上じゃないという割り切りがかえって新鮮。
話の広げ方もいろいろとありそうなので、楽しみなシリーズだと言えそうだ。


感想:『赤い指』

2009年11月02日 21時33分16秒 | 本と雑誌
赤い指赤い指
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2006-07-25


一方に、一見普通の家族によるおぞましい事件。一方に、加賀の父の死。

家族の主たる前原昭夫と、加賀恭一郎の従弟で若い刑事の松宮脩平の二人の視点で描かれている。
前原はサラリーマンで、妻と息子、そして母との4人暮らし。家庭の事には関心を持たず、子供の教育は妻任せ、離れて暮らしていた父の介護も母任せで関わろうとせずに暮らしていた。やがて、父が死に母が怪我をして一緒に住むことになったが、妻と母の折り合いの悪さにもなるべく無関心に過ごしていた。
そのツケが一気に彼の身に及び、彼は更にそのツケを払うのを恐れて逃げ、それが叶わなくなった時には、それを他に押し付けてかわそうとした。彼が最初に罪を犯したわけではないが、罪と向き合わおうとはしなかった。
作品からは彼の非道が浮かび上がる。家族の問題にも、息子のいじめの問題にも、そしてこの事件にも向き合わず逃げようとした。作品ではそのツケを明確に示された。読者が彼を裁くのは簡単だ。私としては、簡単に裁けないだけの仕掛けをもう少し用意して欲しかった。

親子の問題、特に年老いた親を看取る子という構図に限って言えば、よく出来た作品だと思う。だが、もう少し普遍的に眺めた場合、物足りなさを感じる作品だ。

対比する加賀と父とのやり取りは、シリーズという重みがより効果的にしている。父子の痺れるような関係を前に、前原の矮小さだけが浮き彫りにされたのでは深みがない。加賀のような特別な存在でもって、平凡な前原を裁いていいのか。
住宅街に住む一軒一軒を訪れた松宮が感じたように、どれもがごく普通の家庭であり、前原家も表面上は変わりはない。前原もまた「普通」の範疇に存在している。そして、状況は時に「普通」を逸脱させる。逸脱しない強さを誰もが持っているわけではないだろう。だって、「普通」なのだから。




これまでに読んだ東野圭吾の本の感想。(☆は評価/最大☆10個)

放課後』(☆☆)
探偵ガリレオ』(☆☆☆☆☆)
予知夢』(☆☆☆☆)
容疑者Xの献身』(☆☆☆☆☆☆)
卒業 雪月花殺人ゲーム』(☆☆☆)
眠りの森』(☆☆)
どちらかが彼女を殺した』(☆☆☆☆☆☆)
悪意』(☆☆☆)
私が彼を殺した』(☆☆)
嘘をもうひとつだけ』(☆☆)


感想:『戦う司書と神の石剣』

2009年11月02日 20時57分29秒 | 山形石雄
戦う司書と神の石剣 (集英社スーパーダッシュ文庫)戦う司書と神の石剣 (集英社スーパーダッシュ文庫)
価格:¥ 600(税込)
発売日:2006-07


シリーズ4作目。ミレポックが主人公。

武装司書ミレポックと神溺教団を裏切ったアルメ。それぞれの想いから謎の人物ラスコール=オセロを追い求める。
ストーリーは悪くない。ハミュッツの出番は少なかったが、ミレポックとアルメの造型がしっかりしていたので楽しめる。ただ本書に限ったわけではないが、奥行きのなさが気に掛かる。

これまで登場した武装司書は、ハミュッツ=メセタ、マットアラスト=バロリー、ミレポック=ファインデル、イレイア=キティ、ノロティ=マルチェ、モッカニア=フルール、ミンス=チェザイン、フィーキー=クインといったあたり。問題は組織性が全く感じられないこと。指揮系統などないこともないようだが、任務の大きさに見合う印象は無い。まだ登場していない名前だけの存在にボンボ、ユキゾナの名が挙げられているが、その程度では広がりが感じられない。
神溺教団側も似たような状況で、関わってくるキャラクターはこれまでに登場したものの使い回しが多い。

個々の作品は面白いと思えるのだが、シリーズとしての魅力に繋がらない。一つの世界観でバラバラの話を見せられているような。もう4作目だというのに、いまだシリーズとしての目標めいたものは存在していない。
主人公が毎回変わる、というよりも、作品ごとの主人公さえ定かでない群像劇ではあるが、作品と作品を繋ぐ糸が細すぎる。シリーズの利点を活かして欲しい。切に願う。




これまでに読んだ山形石雄の本の感想。(☆は評価/最大☆10個)

戦う司書と恋する爆弾』(☆☆☆☆☆)
戦う司書と雷の愚者』(☆☆)
戦う司書と黒蟻の迷宮』(☆☆☆☆)