奇想庵@goo

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2011年6月発売予定の本

2011年05月31日 22時01分22秒 | 本と雑誌
ゼロ年代を代表するライトノベルシリーズは数々あれど、その中でも屈指の作品がラストに向かって歩んでいる。

彩雲国物語 紫闇の玉座(上) (角川ビーンズ文庫 46-21)彩雲国物語 紫闇の玉座(上) (角川ビーンズ文庫 46-21)
価格:¥ 680(税込)
発売日:2011-05-31


少年向けライトノベルが主人公の甘さを許すのに対して、少女向けライトノベルはかくも主人公に厳しいのか。それだけに気軽には読めなくなったシリーズだが、読む側も覚悟を持って相対したい作品だ。下巻は7月1日刊行予定。

電撃文庫では、川原礫『アクセル・ワールド 8―運命の連星―』、高野和『七姫物語 第六章 ひとつの理想』等が発売予定。
共に、読んではいないが、機会があればと思っているシリーズ。『アクセル・ワールド』は積読中。『七姫物語』はライトノベルとしては珍しく2003年から1年に1作のペースで刊行されている。そして、この6巻は2008年以来3年振り。

アクセル・ワールド〈8〉運命の連星 (電撃文庫)アクセル・ワールド〈8〉運命の連星 (電撃文庫)
価格:¥ 599(税込)
発売日:2011-06-10

七姫物語〈第6章〉ひとつの理想 (電撃文庫)七姫物語〈第6章〉ひとつの理想 (電撃文庫)
価格:¥ 746(税込)
発売日:2011-06-10


富士見ファンタジア文庫では、

これはゾンビですか?8  はい、キスしてごめんなさい (富士見ファンタジア文庫)これはゾンビですか?8 はい、キスしてごめんなさい (富士見ファンタジア文庫)
価格:¥ 609(税込)
発売日:2011-06-18
これはゾンビですか?8 DVD付限定版 はい、キスしてごめんなさいこれはゾンビですか?8 DVD付限定版 はい、キスしてごめんなさい
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2011-06-10


が刊行予定。TVアニメ化もされ、いまやレーベルの看板作品となった観もある。

生徒会の木陰 碧陽学園生徒会黙示録5生徒会の木陰 碧陽学園生徒会黙示録5
価格:¥ 609(税込)
発売日:2011-06-18


「生徒会の一存」シリーズも人気作。富士見ファンタジア文庫は、『蒼穹のカルマ』などギャグ系に最近強みを見せている印象だ。

角川スニーカー文庫は、

涼宮ハルヒの驚愕(前) (角川スニーカー文庫 168-10)涼宮ハルヒの驚愕(前) (角川スニーカー文庫 168-10)
価格:¥ 580(税込)
発売日:2011-06-15
涼宮ハルヒの驚愕(後) (角川スニーカー文庫 168-11)涼宮ハルヒの驚愕(後) (角川スニーカー文庫 168-11)
価格:¥ 580(税込)
発売日:2011-06-15


既に初回限定版が発売された『涼宮ハルヒの驚愕』前後編が刊行。一読の価値はあり。

気になるところでは、

子ひつじは迷わない 泳ぐひつじが3びき (角川スニーカー文庫 229-3)子ひつじは迷わない 泳ぐひつじが3びき (角川スニーカー文庫 229-3)
価格:¥ 600(税込)
発売日:2011-05-31


1作目を積読中。2010年のスニーカー大賞受賞シリーズ。

MF文庫Jで気になるのが『喰―kuu―3』。図書館で予約しようと思いつつ、ついつい忘れてきてしまった。

喰-kuu- 3 (MF文庫 J う)喰-kuu- 3 (MF文庫 J う)
価格:¥ 609(税込)
発売日:2011-06-24


GA文庫では、

深山さんちのベルテイン 2 (GA文庫)深山さんちのベルテイン 2 (GA文庫)
価格:¥ 641(税込)
発売日:2011-06-16


『這いよれ!ニャル子さん』の逢空万太の新シリーズ。いま勢いのある作家だけに興味を持っている。

ガガガ文庫では、

GJ部(グッジョぶ)6 (ガガガ文庫)GJ部(グッジョぶ)6 (ガガガ文庫)
価格:¥ 600(税込)
発売日:2011-06-17


3巻まで読んでいる。これまでは古本で購入していた。新刊で買うほどでもと思いつつ、読みたい気持ちはあるので悩み中。

講談社BOXでは、西尾維新『囮物語』が刊行予定。『猫物語』以降読んでいないのでそろそろ追いつきたいところ。

MF文庫ダ・ヴィンチからは『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』のノヴェライズが刊行予定。まだ見ていないが、今期のTVアニメの中ではかなり評判の高い作品。著者は、脚本を担当している岡田麿里。

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(上) (MF文庫ダ・ヴィンチ)
価格:¥ 520(税込)
発売日:2011-06-24


角川文庫では、『GOSICK VIII ―ゴシック・神々の黄昏 (上) ―』が刊行予定。刊行順で『GOSICK V -ゴシック・ベルゼブブの頭蓋-』までしか読んでいないので追いつきたいところ。

GOSICKVIII上‐ゴシック・神々の黄昏‐ (角川文庫 さ)GOSICKVIII上‐ゴシック・神々の黄昏‐ (角川文庫 さ)
価格:¥ 620(税込)
発売日:2011-06-23


東野圭吾『真夏の方程式』が文藝春秋から7日発売。

真夏の方程式真夏の方程式
価格:¥ 1,700(税込)
発売日:2011-06-07


主な文庫化作品は、

図書館革命 図書館戦争シリーズ4図書館革命 図書館戦争シリーズ4
価格:¥ 700(税込)
発売日:2011-06-23


桜庭一樹『青年のための読書クラブ』、荻原規子『RDG レッドデータガール はじめてのお使い』など。

青年のための読書クラブ青年のための読書クラブ
価格:¥ 460(税込)
発売日:2011-06-28
RDGレッドデータガール  はじめてのお使い (角川文庫 お)RDGレッドデータガール はじめてのお使い (角川文庫 お)
価格:¥ 580(税込)
発売日:2011-06-23



2011.05.30 つぶやきし言の葉

2011年05月31日 02時08分36秒 | Twitter



2011.05.29 つぶやきし言の葉

2011年05月30日 02時08分38秒 | Twitter



2011.05.28 つぶやきし言の葉

2011年05月29日 02時08分39秒 | Twitter



【視点】優先順位――人でも組織でも最も大切なもの

2011年05月28日 17時57分23秒 | 国際・政治
人であれ組織であれ、やりたいこと、やるべきことは数多く存在しても同時にいくつものことをやり遂げることは難しい。
何からやるか、何に労力を傾けるか、そうしたことに人となりや組織や集団のあり様が如実に反映される。

先の統一地方選挙で躍進した大阪維新の会は、まず最初に教員の君が代起立を取り上げた。それに対する是非はともかく、選挙で論点としてほとんど挙げられなかった問題を最初に提起したことに疑問を感じる。
大阪府と大阪市の二重行政の解消など、府・市共に多大な財政赤字を抱えている状態への不満から票を集めたはずの政党が、全く別の路線からスタートを切ったことには不信感さえ覚えてしまう。結局、府民や市民の期待はまたも裏切られてしまうのではないか。その思いが強く感じられた。

政治への不信はもちろん国政に対しても強い。
東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故は国難と呼びうるものだ。それに対応する菅首相はこれまで十分な働きをしていない。
昨年の6月8日に総理大臣に就任して間もなく1年を迎えるが、3・11まで成果らしいものをほとんど示せずにいた。参議院選挙での敗北による”ねじれ”があったとはいえ、どんな国作りを目指すかの意志も伝わってこなかった。
民主党の中にも野党の中にも首相としての能力に疑義があったのは間違いないだろう。震災がなければ既に辞任に追い込まれていた可能性も高い。

しかし、そんな首相の下で国難が発生した。予想通りと言うべきか、首相及び政府は対応が後手に回った。
その時、民主党の中の反菅勢力や野党はどうしたか?
首相に協力すれば、政権の延命に繋がるとして十分な協力をしなかった。確かに、一時報道された閣内に入っての協力となると、首相を批判しにくくなるし、政権への批判に巻き込まれる恐れもある。
だが、国難であるのは明らかだというのに、やれることをやらなかったとすればそれは政治家として正しいと言えるのだろうか。
震災後最初の国会審議で、首相の福島第一原発への視察への批判がなされた。そのタイミングでもっと他にやるべきことはなかったのか。
首相の能力に疑義があるのは確かだが、批判する側はどれだけのことをやったというのか。やれることを全てやったと言えるのか。間もなく不信任案が提出されるそうだが、それを可決して本当により良くなるという保証はどこにもない。

国難において政治と同様に後手に回ったのが官僚機構だ。慣例主義の強い日本の官僚組織は非常時に弱い。
私は戦後日本の官僚組織は一貫して日本の繁栄にあまり貢献していないと思っている。戦後、日本は高度経済成長の末に世界第二位の経済大国へとたどり着いた。だが、それを主導したのは民間の力である。
もちろん、官僚が全く無策だったとは言わないが、スタートはGHQの財閥解体であり、本来国策的な産業ではなかった自動車業界などが牽引していった。
そして、経済成長を果たし、バブルで潤っていたとき、政治主導で行われたとはいえ1億円を地方自治体にばら撒くような蛮行があり、バブルが崩壊して以降、その無策ぶりは衆目の知るところとなった。

大学入試で良い成績を収めたからといって頭が良いと思わない。記憶する能力が高いのは才能のひとつだが、才能のひとつに過ぎない。
行動の優先順位を考える上で、知識が多いことは確かに選択肢を増やすことに繋がるが、知識の量が優れた判断力をもたらすわけではない。むしろ、知識が多いことは先例主義に繋がりやすく、またリスクを取りたがらなくなる。失敗する事例を多く知っているのだから。

私が考える頭の良さとは、深く考える力を指すが、これもまた行動の優先順位をうまく判断することとは別だと思う。思慮深いことは大切だが、判断が遅れがちになるし、これもまたリスクを取りたがらない。

優先順位を判断する力を、通常の言葉で表すとすれば「知恵」の部類と言えるだろう。経験則も大切だし、熟慮も必要だが、それを乗り越えて決断する勇気、状況に応じて優先順位を切り替える柔軟性、行動の結果に対する責任感が求められる。これらは学校の授業だけでは身に着け難いものだ。
これらの能力はビジネスの世界で発揮されやすい。官僚の半分を優秀なビジネスマンが勤めるような構造ができれば新たな活力が期待できるかもしれない。政治の世界は……現状ではどこから手をつけていいかも分からない。

ただそれだけ優秀な判断力があれば、官僚や政治の世界に入りたいとは思わないだろう。人生の優先順位において、もっと魅力的な選択肢があるだろうから。


2011.05.27 つぶやきし言の葉

2011年05月28日 02時08分38秒 | Twitter



『涼宮ハルヒの驚愕』の何に驚愕したか?

2011年05月27日 22時32分09秒 | 本と雑誌
涼宮ハルヒの驚愕 初回限定版(64ページオールカラー特製小冊子付き) (角川スニーカー文庫)涼宮ハルヒの驚愕 初回限定版(64ページオールカラー特製小冊子付き) (角川スニーカー文庫)
価格:¥ 1,260(税込)
発売日:2011-05-25


『涼宮ハルヒの分裂』以来4年ぶりの新刊。2007年6月に発売予定だったが、発売延期となり、二分冊されての発売となった。実際には分裂、驚愕前巻、驚愕後巻の3冊でひとつのストーリーとなっており、章立てもプロローグ~第一章~第九章~最終章~エピローグという構成。

本書の最大の特徴は、第二章(分裂)から第九章(驚愕後)までαとβの二つのストーリーが並行して進むことにある。以前、『分裂』の感想で、読者のミスリードを目的としたものではないかと書いたが、最後まで読んでみると、この試みが成功したとは思えなかった。
当然、これはストーリー的にも核心部分であり、これを表現するためにこの手法が最適だったことは間違いない。小説以外では使えないような方法でもある。挑戦的な試みだとは認めるが、しかし、上手く使いこなしたとは言い難い。

ハルヒが料理についてαとβで異なる発言をしている。これがミスでないのならば、解釈上の問題なのか、それとも今後への伏線となるのか興味深い。それ以外に、ストーリーの並列に何らかの仕掛けが組み込まれたという印象がなく、もったいない感じが強かった。

過去の内容を次のストーリーに生かすタイプの作家ではあるが、それは一冊としての完結性を弱める。シリーズでも評価の高い『消失』も構成が上手ければ一冊の本として優れたものになったのではと惜しんでいる。
『驚愕』にしても、物語の伏線の回収がエピローグの語りに任されていたりする。シリーズものだから毎回スッキリした落ちが必要とは言わないが、物語のピークがうまく集中しないあたりも構成の弱さに感じられてしまう。

【ネタばれ】
キョンが時間移動したのも腑に落ちない。次の物語のための伏線として利用する意図は分かるが、その必要性は希薄で、そもそも時間移動の原理も説明されていない。今後語られるとしても、やはり、その作品内できちんと説明すべきだっただろう。

ゼロ年代男子主人公の大きな特徴である現状維持肯定は『消失』以降変貌し、何も起きない平凡さを求めるのではなく、仲間たちとの非日常を含む日々を守りたいという意志へとなった。それは高く評価するが、一方で、無謀な戦いへの意思が感じられた点は気になった。
確かにハルヒという超越的な力の持ち主の協力を取り得る立場にいるとはいえ、作戦も碌にないままに敵と渡り合おうとするのは無茶以外の何ものでもない。ゼロ年代男子主人公のもうひとつの特徴である周囲を省みない自己犠牲とまでは言えないが、そうしたキョンの行動は古泉や佐々木のキョン評と矛盾してしまう。

ストーリー的には粗の目立つ作品に感じたが、それでも決してつまらない作品ではなかった。
谷川流の生み出した独特の文体は更に洗練され、読み手をぐいぐいと引き込む力を持っている。文体に特徴がある点では西尾維新もそうだが、エンターテイメントに徹する最近の西尾維新に比べて、より冒険的な谷川流はより魅力的に映る。

多大な欠点を感じさせながら、それでも面白い。その面白さを評す言葉を読了後ずっと考えていたが、見つからなかった。読み終わって24時間経っても簡単に言葉で表せない面白さがあったと言える。もちろん、私の語彙が足りないせいかもしれないが、そんな作品はそうはない。
もし、この面白さを伝える切り口が見つかったときにはまた語ってみたいと思う。そんな思いを抱かせる作品だった。


【視点】反原発のコスト

2011年05月21日 14時40分51秒 | 社会・経済
ネコも杓子も反原発。特に3・11後に「転向」した知識人やタレントの胡散臭さといったら……。

将来的にクリーンな代替エネルギーが必要なことは誰もが認めることだろう。しかし、原子力発電に替わりうるものは未だ確立されてはいない。
様々な発電方法や蓄電の技術に対する研究は行われているが、実用レベルに達しているとは言い難い。今後可及的速やかに開発していくには今以上のお金が必要となる。もちろん、お金を掛けたからといってそうした研究が全て成功するというわけではない。
これまでの原子力関連の研究に使っていた予算を回せという意見もある。だが、すでにある原発を止めるのも決して容易ではなく、おそらくは縮小されるだろうが決しておろそかにしてはならないものだろう。

今、問題にすべきことは、原発推進か反原発かの二分論ではない。
電力の安定供給のために、どれくらいの安全性をもって原発を稼動させるかということを話し合わなければならない。

原発に限らず、100%の安全性というものは人の世には存在しない。限りなく安全性を高めていくには、当然その費用が掛かってくる。
一般に、99.8%から99.9%の安全性に高めるよりも、99.9998%から99.9999%の安全性に高める方が困難であり、お金も掛かることがほとんどだろう。

0.1%の安全性の向上よりも0.0001%の方がお金が掛かるとして、それは本当にお金を掛けるべきものかどうかは常に考えなければならないところだ。
お金は無尽蔵にあるものではない。そして、安全性の問題はいたるところに存在する。どの安全にどれだけのお金を掛けるのか。

例えば先日起きたクレーン車による児童6名が死亡した事故。現場にはガードレールがなかったが、もしあったならその命は助かったのではないか。もちろん、どこもかしこもガードレールを設置するというわけにはいかない。しかし、通学路などにはもっと設置してもいいのではと思うが、当然それにはお金の問題が絡んでくる。

先日、浜岡原発が菅首相の指示によって停止された。その際に、リスクのあり方について十分な説明がなされたとは思えない。世論に対するパフォーマンスにしか見えなかった。

浜岡原発を稼動し続けるリスクと停止するリスクを見合わせて十分に検討されたのか。
確かに東海地震は近い将来に発生するのは間違いないだろう。一方で、東海地震が発生したからといって必ず浜岡原発が福島第一原発のようになるわけではない。
今回の東日本大震災でも、福島第一原発より震源に近い女川原発は無事だった。
東海地震が発生し、なおかつ浜岡原発で大規模な事故が発生する確率がどれほどと想定したのか。

当然、浜岡原発を停止することで発生するリスクも存在する。関東・東北エリアがこの夏、電力供給で不安な状況である上に、中部エリア、関西エリアが供給の余裕がなくなってしまった。
大規模停電が万が一発生した場合、そのリスクは人命にも及びうる。大規模停電がなくとも、電力の使用を控えることで熱中症などの被害が増える可能性もある。
昨年は猛暑だったこともあり、7~9月間の死者は167人と発表されているが(搬送直後の死亡者数)、夏の暑さと共にこの数が増えないように祈るのみだ。

O-111による集団食中毒でも、リスクとコストのせめぎ合いがある。管理する国や地方自治体、営業する焼肉店や卸業者、利用した消費者、それぞれのレベルでそれは起きている。
管理を強化するにはお金が必要で、それは税金や価格として反映されていくことになる。焼肉店や卸業者もこうした事件が起これば倒産の危機であり、もちろんそこには糾弾されるべき甘さがあったとはいえ、リスクとコストのせめぎ合いの中でもたらされたものだ。
消費者は十分な情報を得られる立場とは言えず、決して自己責任などという状況ではなかった。自己防衛を求めるのは酷だが、安いものには危険が伴うと思うべきなのかもしれない。

技術革新によってならともかく、単に日本国内の電力需要を下げようとするのは、経済的にも生活的にも厳しいものとなる。昔は良かった式の意見もあるが、現在の生活環境ひとつとっても昔とは違って電力消費を前提としたものとなっている。機密性に富んだ住環境は冷暖房なしに夏冬を暮らせない。

どこの原発が危ないと煽るのではなく、どうすれば安全性が向上し、それにどれくらい費用が掛かるのかを説明するのがジャーナリズムの役割のはずだ。また、どの程度の安全性があれば稼動してもいいのかを説明するのが国や地方自治体、電力会社の役割となってくるだろう。
もちろん、その安全性にノーを言うこともできる。その地域の住民の意見としてならともかく、原発の電力の恩恵を受けている立場の者であれば、ノーと言う意見と共に、それに代わりうる意見を述べるのが筋だろう。
安全性の更なる向上のためにお金を掛けるのか、原発廃止のために何らかの施策を求めるのか。
叩きやすい東京電力を批判しているだけでは何も生み出しはしない。


『数学ガール』になぜ惹きつけられるのか

2011年05月20日 23時23分29秒 | 学問
主人公は、放課後の図書室や自宅でコツコツ数学を解くのが好きな男子高校生。同級生ながら彼よりも数学の高みを知るミルカさんや、数学を教えることとなった後輩のテトラちゃん。彼女たちとのやり取りを通して数学の問題に迫っていく。

第1作はオイラーを主体に母関数など、2作目はフェルマーの最終定理、3作目はゲーデルの不完全性定理、4作目は乱択アルゴリズムをメインに扱っている。
かなり易しい問題から徐々に核心へと導く展開は、本格推理小説のようでもある。テーマと関係のないような数学的エピソードがちゃんと本題へと繋がっていったりするあたりはまさにそんな感じだ。ただ、名探偵の謎解きのシーンに当たる部分は数学的にかなりの難易度になっている。

一般向けの新書などでは数式を一つ載せるたびに手に取る人が大きく減ると言われるとも聞くが、このシリーズは数式のオンパレードである。扱っている数学のテーマも決して易しいものではない。中盤くらいまでならば高校レベルの数学的知識でついていけるが、終盤は相当の専門的知識が必要である。

数学が分からないなりに楽しめるのは、小説部分があるお陰だろう。男性主人公の周りに美少女というハーレム構造でありモテすぎな感はあるが、将来への不安など地に足のついた悩みを抱えていたりで受け入れやすくなっている。

何よりもこのシリーズに惹きつけられるのは、主人公たちと一緒に問題を解いていく感覚を味わえるからだろう。終盤は難しくてついていけなくとも、それまでは頑張れば一緒に考えることが出来る。
例えばサイモン・シンの『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』も非常に面白い作品だったが、あくまでも読み物として過去の出来事をなぞっていくだけだった。内井惣七の『うそとパラドックス――ゲーデル論理学への道』なども上手く書かれてはいたが、『数学ガール』の魅力には及ばないだろう。

数学に限ったことではないが、論理的に考えることは快感をもたらしてくれる。ついついロジックパズルを解くことに夢中になって時間の経つのを忘れることもよくある。数学は論理的厳密性において他の学問の追随を許さない。『数学ガール』を読むたびに数学の勉強をもっとしておけばと思う。そして、今からでも少しくらいは勉強できるだろうかと思ってしまう。

数学がもっと理解できれば、『数学ガール』をもっと楽しめるのに。

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私が美少女ゲームをプレイしない理由

2011年05月18日 20時25分29秒 | アニメ・コミック・ゲーム
先日放送されたMAG・ネットの特集は「美少女ゲーム」だった。NHKで18禁主体の美少女ゲームを取り上げたことは偉業なのかもしれない。ただ今のオタク文化のコアのひとつであるだけに取り上げる必然性はあったと思う。

エロが嫌いなわけではないのが、18禁のPCゲームをプレイしたことはある。美少女ゲームの主流であるヴィジュアルノヴェルに対しては小説の可能性のひとつとして興味を持っている。
ただ実際にプレイしようという意欲はほとんどない。

18禁ゲームでもゲーム性に興味が湧けば躊躇うことなくプレイするだろう。残念ながら最近はチェックもしていないが昔は「WoRKs DoLL」のような作品に手を出したこともある。
「ときめきメモリアル」は登場時に興味はあったが、たまたまプレイする機会のないままとなってしまった。その後も恋愛シミュレーションは手を出さずじまいとなっている。

ノヴェルゲームは、元祖とも言える「弟切草」をプレイした。あそこまでシナリオが多様に変化すればゲームと呼びうるが、ほとんどのヴィジュアルノヴェルに対してはゲームと認識していない。

唯一プレイしたヴィジュアルゲームは「Fate/stay night」である。プレイしただけの価値はあったと思うが、名作と呼ぶほどの評価はしていない。メインストーリー及びエンディングが3つある意味があったのか。美少女ゲームADVは各キャラクターごとに攻略するシナリオがあるというお約束になっているが、単にお約束だから複数のストーリーが作られているだけという状況なのか(MAG・ネットで取り上げられた新作ではそのあたりを考えて作られているようだが)。

美少女ゲームを原作とするTVアニメでも面白いものとつまらないものに分かれるが、私が面白いと感じるものは作り手があくまでも「ファンタジー」としての前提を認識しているものだ。この「ファンタジー」は非リアルという意味合いが強いが、「こんな世界やキャラクターがいるわけがないけれど、こういうお約束の作品だから」という理解を作り手と受け手が共有していると言えるだろう。もちろんあまりにその約束がひどいものは見るに耐えなくなってしまうが。

問題はこの「ファンタジー」と「恋愛」との距離感にあるのかもしれない。美少女ゲームに多い「ファンタジー」のタイプは、女性キャラクターがほぼ無条件に主人公を好きになるというものだが、そこで描かれてる「恋愛」は妄想である。それが悪いわけではないが、願望充足ストーリーを延々と読む気にはならない。

美少女ゲームに「恋愛」要素を削ったらプレイする気になるかもしれない。これは美少女ハーレムものから主人公(=恋愛要素)を削って「空気系」作品が生み出された事例のままだけれど。たぶん既にあるとは思うが、成功していないってことだけで。

以前、「電子書籍と小説の拡張」でも書いたが、紙でなくなれば新たな小説の可能性はもっといろいろあるはずだ。ヴィジュアルノヴェルも様々な可能性は秘めていると思うが、現状ではコストや採算を考えると新しいことをやるのは難しいのかもしれない。同人などの方が期待できるかもしれないが……。