奇想庵@goo

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感想:『祖父・小金井良精の記』

2009年07月31日 23時15分18秒 | 本と雑誌
祖父・小金井良精の記 上 (河出文庫)祖父・小金井良精の記 上 (河出文庫)
価格:¥ 998(税込)
発売日:2004-06-04


読んだのは、新潮社の『星新一の作品集18 祖父・小金井良精の記』版(1975)。『星新一 一〇〇一話をつくった人』 を読み興味を持ったのがきっかけ。
星新一が母方の祖父の生涯を描いた。ただ通常の伝記とは趣が異なる。エピソードごとに分けられた短い文章を繋いで描かれている。また星新一らしい客観性の高い文体のため、内面を描くというよりも出来事の集積の中から人となりを表現している。
小金井良精の妻が森鴎外の妹ということもあり、鴎外に関する記述も多い。

戊辰戦争における峻烈な体験については非常に興味深かった。歴史の流れは既に決していてこれまでそれほど関心を払わなかったが、戊辰戦争の意味合いやその体験談は強く心に残るものだった。
『星新一 一〇〇一話をつくった人』 でも感じたことだが、庶民とは一線を劃す階層の話でもある。中級武士の家に次男として生まれ、東京に出て教育を受け、やがて学問を志して医学の道を進む。国のため、家族のため、自分のため、様々な要因はあろうが、現代の日本では考えられないほどの必死さで勉強したのだろう。例えば、大学の教授は全てドイツ人だからもちろん授業はドイツ語。入学前から学んでいたとはいえ他の勉強もしながら語学もマスターして当たり前の時代とも言える。
幕末とは異なる知的エリート層の出現であり、彼らの努力が日本を一気に文明国へと押し上げることとなったが、彼らの出自は特定の階層であり、その後教育環境による再生産によって階層が固定化していったようにも見える。それでも彼らの持つ「明治の精神」とも言うべき資質はこの本からも感じられた。エリート意識も正しい発露であれば有益なのだろうが、翻って現在の日本では勘違いか弊害ばかりが目立っている。


アニメ感想:うみねこのなく頃に 第5話「EpisodeI-V fool's mate」

2009年07月31日 16時52分24秒 | 2009夏アニメ
メタフィクション化されて作品の様相が一気に様変わり。
朱志香の言う通りの「バッドエンド」。謎は解かれず、トリックは明かされず、犯人の目星もさっぱりで、魔女ベアトリーチェのなすがままに全滅させられた。一見不可能犯罪のように見えるこの事件を解き明かせるのか。
謎解きをループの仕掛けで見せる手法は、『ひぐらしのなく頃に』でも取られた。それをよりメタフィクション化した点が異なるが。
戦人とベアトリーチェの知恵比べで展開が二転三転されれば面白くなりそう。

ループネタはよく使われる手法だが、それが生きるのはその差異によって真実へと近付くと思わせるから。『涼宮ハルヒの憂鬱』の現状はループそれ自体が目的化してしまっているところに問題があるわけで。

うみねこのなく頃にうみねこのなく頃に
価格:¥ 1,500(税込)
発売日:2008-08-29



感想:『新本格魔法少女りすか3』

2009年07月29日 22時04分07秒 | 本と雑誌
新本格魔法少女りすか3 (講談社ノベルス)新本格魔法少女りすか3 (講談社ノベルス)
価格:¥ 840(税込)
発売日:2007-03-23


「鍵となる存在!!」「部外者以外立入禁止!!」「夢では会わない!!」の3編所収。
水倉鍵にいいようにあしらわれる一冊。水倉鍵を立てるためと言えるかもしれないが、主人公供犠創貴が精彩を欠いてしまい、エンターテイメントとしての魅力乏しい一冊となってしまった。
もともと、りすかもツナギも駒に過ぎず、駒としての活躍の場もほとんど描かれなかった。その意味でも欲求不満の残る一冊だ。最終巻に向けて「タメ」を作っているにしてももう少しどうにかできないものか。西尾維新らしいパワーや勢いもガス欠気味に映る。最終巻は未刊行なので、出たら買うことも選択肢にあるが、この巻の出来からするとちょっと迷うところだ。


感想:『少女七竈と七人の可愛そうな大人』

2009年07月29日 21時50分42秒 | 本と雑誌
少女七竈と七人の可愛そうな大人少女七竈と七人の可愛そうな大人
価格:¥ 1,470(税込)
発売日:2006-07


桜庭一樹2冊目。

少女小説。一般誌連載作だが印象はそう。地方都市を舞台に少女の成長を描く。
地方都市であることが物語の根本に繋がっている。『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』 もまた地方都市性が散見されたが、それ以上に大きなウェイトを占めている。
その感想でも述べたように、地方都市型の物語は好きではない。というよりも、もしも日本が都会型と地方都市型に分断されるのであれば、地方都市型は理解の外にあると言えるかもしれない。別に都会で生活しているから洗練されるということもなく、多種多様なごった煮に過ぎない都会が当たり前であり、それを十分に相対化できてないせいだろう。まあ大阪を地方都市と括ることもできるかもしれないが、桜庭一樹の描く地方都市とは一線を劃しているのは間違いない。

舞台は旭川。7話(章)構成だが、それとは別に2つのエピソードが含まれる。冒頭の「辻斬りのように」は作品全体の基調として深く影響を及ぼす話であり、大きなインパクトのある話だ。こうした構成は『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』 と同様で、構成力の巧みさが感じられる。
川村優奈の女の論理は理解はできないが興味深い。終盤「五月雨のような」で彼女の心情が理解しやすい形で提示される。十の事柄を十よりも少なく描くのが文学的だとしたら、この作品はそうではない。十で描いていてエンターテイメント的と評すべきだろう。文学であることになんら価値を見出せないので、あくまで手法の問題に過ぎない。

『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』で主人公の兄の変化をファンタジーと感じたように、この作品でも桂雪風にファンタジー性を感じる。女性たちが生々しいのに対して、男性はファンタジーのように感じるのは『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』同様だ。まだ2作しか読んでいないが、桜庭一樹の欠点かもれしない。女性の描き方が上手いがゆえに男性が描かれてないように見えてしまうのだ。

作者の上手さとしてもうひとつ。淫乱を「いんらん」と平仮名表記している。作家なら当然とはいえ、表記への気配りは作品世界の空気に大きな影響を及ぼす。「いんらん」と描くことで、少女小説風の雰囲気を生み出すことに成功した。
一方、「かんばせ」という表現が多用されている。顔の意だが、浅学なのでよく知らない言葉だ。地方によって一般的なのかもしれないが、七竈と雪風が使う分には違和感がなかったが、みすずが使った時に少し不思議な感じがした。美形であるがゆえに周囲から浮いている二人がその原因である顔立ちについて指す言葉として使っているのかと思っていたから。単に旭川では一般に使われているという意図で使われているのか、作品からだけでは腑に落ちない表現だった。

直木賞受賞作『私の男』は図書館で予約中。まだ時間が掛かりそうだが、他の作品を片端から読んでいきたいと思っている。


アニメ感想:青い花 第1話「花物語」第2話「春の嵐」

2009年07月28日 19時32分46秒 | 2009夏アニメ
鎌倉を舞台に二人の女子高生を中心とした繊細な物語。少女同士の恋愛が軸となる。

主人公二人は幼馴染み。でも、転校を機に離れて再び出逢った時には互いに気づかないほど。それでも過去の思い出を元にすぐに仲良くなる。
二人が通い始めた高校は別々の女子校。活発なあーちゃんはお嬢様学校に、泣き虫でおとなしいふみは普通の女子高。このねじれ加減がなかなかユニーク。

今後は演劇部を舞台に物語が展開していきそう。
日常の描き方は非常に丁寧で好感が持てる。何気ない些細なコトの積み重ねで表現される物語。2話までで主人公二人の人となりがよく伝わってくる。

それにしても、アニメでは男女間のセックスを描くことは非常にまれなのに、男同士や女同士はありだったりする。逆にTVドラマではこれが全く逆だ。子供向けはともかく、特に男性オタク向けエンターテイメントではエロ目的のコンテンツを除いて異常なほどセックスが避けられている。それが表現の幅を狭めているようにも感じる。まあ表現よりも商売を優先させた結果ではあるのだろうが。
このようなアニメ界のメインストリームから外れた作品の中にこそ本当に興味深いものを見出せるのが現状だ。今後どこまで描き出すのかとても楽しみだ。

センティフォリアセンティフォリア
価格:¥ 1,200(税込)
発売日:2009-08-05



「砂糖」の楼閣――感想:戯言シリーズ&『ネコソギラジカル』(ネタバレ含む)

2009年07月27日 23時55分00秒 | 本と雑誌
ネコソギラジカル (上) 十三階段 (講談社ノベルス)ネコソギラジカル (上) 十三階段 (講談社ノベルス)
価格:¥ 1,134(税込)
発売日:2005-02-08
ネコソギラジカル (中) 赤き征裁VS.橙なる種 (講談社ノベルス)ネコソギラジカル (中) 赤き征裁VS.橙なる種 (講談社ノベルス)
価格:¥ 1,134(税込)
発売日:2005-06-07
ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)
価格:¥ 1,134(税込)
発売日:2005-11-08


ハーレム系成長奇談になってしまった。
元はもちろんミステリの枠の上に描かれていた物語。枠だけ借りてという印象ではあったが、その枠を壊した先にあったのは、なんてことないハーレム系。老若男女とまでは言わないまでも、登場するキャラクターは全て主人公を向いている。
ライトノベル的というシステムの必然なのかもしれないが、ハーレム系の主人公の悩みなんて贅沢すぎてどうでもよくなる。ライトノベル的なのでハーレム系でもセクハラレベルまでのお約束。

文体・掛け合い・言葉遊びは面白い。それは繰り返し述べている。キャッチフレーズのみで成り立つキャラクターたちもまた相変わらずで、キャラクター小説でありながら、主人公と人類最強・哀川潤以外はどうでもいい存在となっている。キャラクター小説のキャラクターは記号的であるのはもちろんだが、同時にお約束の記号性を付随する必要がある。データベース的なパターンから成り立つキャラクター性がキャラクター小説の基本だが、西尾維新の場合これまで読んだ中ではそうしたパターンを踏襲したキャラクターが作られていない。
ゼロ年代的エンターテイメントにおけるデータベース上のキャラクターではなく、あくまでもオリジナルなのだが、それはキャッチフレーズ的に過ぎず、キャラクターに厚みもなければ個性も乏しい。この作品におけるキャラクターは、データベース的記号でなくキャッチフレーズ的記号。それは「萌え」を基盤としていないと言い換えられる。欠落しているとまでは言わないが、このシリーズにおいては「萌え」を狙ったキャラクターの立て方はしていない。

戯言シリーズ全9冊をおよそ半月で一気に読了させるくらいには面白い。主人公には最後まで共感できなかったが、それは大きな欠陥ではない。ミステリ上の仕掛けや伏線の張り方などは決して上手いとは言えないが、ストーリーテラーとしての力量は感じられた。
大枠としては、少年が大人になる通過儀礼。世界と折り合いを付けていくそんな展開は嫌いじゃない。いや、大好きな部類だ。
しかし。
ガキっぽさも嫌いだったが、成長しても主人公に共感できない。甘くはないが甘えている少年から甘さが増量された大人になっただけに見えてしまうからだ。

カタルシスをあえて避けたようなスタイルであり、文系的というよりも理系的なスタイルの作品。屁理屈を含む理屈がダラダラと語られる。戯言という免罪符を添えて。理系的バカマンガの系譜のような切り口は斬新だった。だが、主人公の完全な一人称で語られる物語と戯言は、共感とはほど遠いものだった。
巻を追うごとに甘さが鼻につくようになり、残虐さやあっけない人の死との乖離がそれに拍車をかけた。

無駄に死にそうになり、無駄に不幸ぶる。最後まで通して読んでも、主人公がそうする背景にたどり着けなかった。無為式と呼ばれても化物のように扱われても主人公の不幸には届かない。ただ甘えているだけにしか見えない。
そして、結末。
正直、このハッピーエンドには失望した。今回すべて図書館から借りたため、金を返せとは言えないが、読んだ時間を返せと言いたくなるほどに。せめて、最後の一行に、1巻目『クビキリサイクル』冒頭に見た夢オチくらいは入れて欲しかった。
ハッピーエンドにするには血が流れ過ぎ、人が死に過ぎた。これらをチャラにできるほど主人公が何かを成し遂げたと思えない。もちろん努力と結末を釣り合わせる必要はないが、必然が感じられないのも確か。
甘えと甘さのコンビネーションの結末がこの大甘なハッピーエンドというのでは期待を裏切られた感がある。一見甘さと無縁のような作品だし、シリーズ序盤は甘さが抑えられていただけになお更だ。

パワーと勢いは高いレベルを保ち、エンターテイメントとして良質であることは否定しない。この戯言シリーズがゼロ年代を代表するエンターテイメントであることも間違いないだろう。
それは一方で、ゼロ年代に突出した作品がないことの裏返しでもある。ゼロ年代を代表するエンターテイメントとして思い浮かぶものは、この戯言シリーズも含めて非常に小粒な印象を拭えない。
『Fate/stay night』や『涼宮ハルヒの憂鬱』などエンターテイメントとしてパワーや勢いの優れた作品は少なくない。万人受けするということ自体が不可能な時代になっているのも事実だ。だが、時代を切り開くような圧倒的な存在感を示す作品が見当たらないことに残念に思う。

ハッピーエンドというよりラッキーエンド。物語の必然がたどり着いた結末ではなく、強引に予定調和の世界を持ってきたようなものだ。破綻は内在していた。特に『クビシメロマンチスト』でいーちゃんが巫女子を殺したことは、その後の彼の全ての言葉を戯言にしてしまった。それでいて殺せないなんて虫が良すぎる。殺すななんて何様なんだ。殺された者たちの思いなんてどうでもいいが、いーちゃんに限らず殺したことへの落とし前をどうつけるか、その視点がほとんど無かったことは最後まで違和感として強く残った。
他の欠点の数々はさほど大きな問題だと思っていない。プラスで補える程度のマイナス。だが、『ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い』は一冊丸々書き直して欲しいと思わせる内容だった。全てのプラスを吹き飛ばすほどのマイナス。エンターテイメントは、エンターテイメントによっては、結末なんてなくてもいいと思っているが、まさにそう思わせる一冊となってしまった。
巻を追うごとにそれが甘い砂糖でできた楼閣だと気付く。その甘さは私の趣味じゃない。


アニメ感想:化物語 第4話「まよいマイマイ 其ノ貮」

2009年07月26日 21時13分07秒 | 2009夏アニメ
動きではなくイメージ。西尾維新らしい会話劇を補うものとしてこの作品を印象付けているのは洗練したイメージの力。Bパートでの携帯の画面を使った演出がその代表例だ。
立体感のない描き方は新房×シャフトのアニメの特徴でもある。もちろんそれがイメージをより際立たせる演出にも繋がっている。
オープニングでいろいろと遊ぶのも特徴だが、2話で放送された「ひたぎクラブ」のオープニングとは全く異なるオープニングを作るところはさすが。
しかし、見るほどに原作を読みたくなるアニメではある。

化物語(上) (講談社BOX)化物語(上) (講談社BOX)
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2006-11-01



アニメ感想:咲-Saki- 第16話「結託」

2009年07月25日 12時50分22秒 | 2009春アニメ
県予選団体決勝大将戦。
前回は咲の二連続嶺上開花に、加治木ゆみが槍槓で三連続を止めたところまで。

これにより咲は萎縮し、次の局は暗槓でも上がれる国士無双を警戒してベタ降り。実際にはその時加治木ゆみはイーシャンテンの状態だった。
そしてここまで沈黙を見せていた怪物天江衣がその力を発揮し始める。二連続の海底撈月で他に衝撃を与える。二度目の時は衣に海底をツモらせないように池田華菜が動いたりしたが果たせなかった。衣の三連続を止めたのも加治木ゆみで、あえてテンパっていた咲に振り込んで阻止した。
衣の呪縛により、イーシャンテンからテンパイに持ち込めない面々だったが、加治木ゆみは思い切った打ち筋を試みてテンパイソクリー一発のハネマンで上がる。
一方、衣は更に力を見せつけ、連続ハネマンを上がって半荘が終了した。

咲は槍槓で萎縮した上、衣の威圧に完全にビビってしまう。勝てる気がしないという有様で全くいいところなし。
唯一衣に対抗しているのが加治木ゆみ。咲が感じている衣のプレッシャーに気付いたりと優秀な打ち手であることは確かだが、それでも衣の前では苦しい戦いを強いられている。
連続でハネマンに振り込んだ池田華菜は一度も上がれなかった。完全に一人沈んでしまって、いいところなし。昨年も衣と対戦しているが、衣のプレッシャーに気付かないあたり演出としても力不足のように描いている。
満月の力で手が付けられないという天江衣は圧倒的な力を見せ付けた。他の面子がテンパイできないという力に加え、海底撈月を呼び込む能力、更に対々和による早上がりと弱点が見出せない。ここまで強いと語られてきたが、それをまざまざと見せ付けた。

残りは半荘一回のみ。原作はまだこの辺りらしいので、もっと引き伸ばしてくるかと思っていたが、予想より早いテンポでストーリーは進んでいる。
勝負は衣が圧倒的に優位に立ったが、咲がそれに対抗しないと物語にならないだけに、咲の覚醒がどう描かれるか楽しみなところだ。

咲-Saki- 6 (ヤングガンガンコミックス)咲-Saki- 6 (ヤングガンガンコミックス)
価格:¥ 540(税込)
発売日:2009-07-25



感想:『星新一 一〇〇一話をつくった人』

2009年07月25日 01時04分00秒 | 本と雑誌
星新一 一〇〇一話をつくった人星新一 一〇〇一話をつくった人
価格:¥ 2,415(税込)
発売日:2007-03


発売直後から評判となり、読みたいと思っていた一冊。第28回SF大賞受賞作。
ハードカバーで550ページほどの大著だが、一気に完読した。

一人の作家の伝記として非常に読み応えがあったが、興味を惹かれたのは次の3点である。
一つは、日本の明治・大正・昭和初期のダイナミズムが描かれている点だ。星新一の『人民は弱し 官吏は強し』である程度は把握してはいたが、確固たるものがなく山師的な雰囲気が漂う時代性が垣間見えてくる。特に、星新一の父、星一は二十歳で単身渡米し、コロンビア大学に学び、事業を興して一代で名を為した人物である。もちろん彼の才能ゆえだが、時代の要請でもあった。政治の表舞台で活躍した人々との繋がりなど非常に興味深く読んだ。

次に、戦後の日本SF勃興史としての側面だ。SFという新しいジャンルの誕生とそれを認知してもらうための活動、新しいものが生まれる時のパワー。基本的な日本SF史については理解していたが、先駆として現れた星を中心に、出版社や編集者の視点を多く取り入れて描かれ、新味があった。SFを正当に評価してもらえない苦悩は、昔から語られてきたところだが、星の場合はショートショートという形態ゆえにSF内部からも正しく評価されたと言えるかどうか疑問に思う。一方で、批判に対するナイーヴさなどは現在の視点からすると驚きを禁じえなかったりもする。

最後に、星のショートショートに対する評価だ。伝記の著者である最相葉月自身は客観的評価に努めようとしているが、大人向けに書かれたショートショートがやがて若い世代向けのものと認識されていく点に星の偉大さと限界があったことは間違いないだろう。星の代表作である「ボッコちゃん」「おーい でてこーい」は1958年の作だ。半世紀以上前に発表されている作品であるにも関わらず、ほとんど古びていない。星自身の意図でもあり、機会あるごとに手を入れて古びない努力をしていたが、それでも驚くべきことだ。だが、普遍性を獲得する一方で失うものもある。元は大人向けでありながら、当時としては斬新であったショートショートという手法がありふれたものになったとき、大人向けとしては弱さを持つようになってしまった。筒井康隆が『ボッコちゃん』の解説に述べているように、「日本人の喜ぶ怨念やのぞき趣味や、現代との密着感やなま臭さや、攻撃性が持つナマの迫力」を排除していることが、大人の読み手にとっては物足りなさを覚えてしまう要因となっていく。それは星自身の選択の結果でもあったわけだが、それゆえに数の重みという以外の評価が非常に困難となってしまった。
日本SF大賞特別賞こそ死後に贈られたものの、新たなジャンルを切り開いた者に対して余りにも評価が低かったと言わざるをえないだろう。星雲賞にはとうとう縁のないままであった。死後もいまだ読まれ続けている作家でありながら、その作品への研究は十分とはとても言えない。もっと多様な読まれ方があってもいい作家だと思うだけに残念な思いが残ってしまう。


アニメ感想:涼宮ハルヒの憂鬱「エンドレスエイト」 (その6)

2009年07月24日 01時13分50秒 | 2009春アニメ
当然のごとく、「エンドレスエイト」。オープニング前は相変わらずで、終わりそうな予感が全くなかったが、Aパートは「巻き」が入っている印象。終わるのか、終わってくれるのか。
しかし、そんな淡い期待も虚しく、Aパートはアルバイトのところで終了。ループに気付くのはBパートへ。これでは時間的に厳しい。終わらないのか、まだ続くのか。
もう繰り返し部分は飛ばしてもいいじゃん。15,524回目。……今回はハルヒを引き止めようというシーンは短く、ハルヒはあっさりと出て行く。当然、ループ。

どうすんの?

ここまでやってしまうと、さすがに言葉も出ない。本当に「消失」が放送されるのかどうかもだんだんと怪しくなってきた。これで「消失」がなくなったら、2期は存在価値が皆無とさえ思えてしまう。DVDはもちろん、グッズの不買運動とか起きても驚かない。演出にしても、どこでケリをつけるのか本当に考えてやっているのかと疑問さえ浮かんでしまう。ここまで続けるのなら、もっと違う手法(違う部分をもっと描いたり、キョン以外のアドリブをもっと増やしたり)の方が良かったのではないか。もちろん、それにしたところで不満が巻き起こるのは避けられないだろうが。

Super DriverSuper Driver
価格:¥ 1,200(税込)
発売日:2009-07-22