奇想庵@goo

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感想:『ターン―Turn』

2009年11月23日 21時09分06秒 | 北村薫
ターン―Turnターン―Turn
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:1997-08


「時と人」三部作の二作目。交通事故をきっかけに、繰り返される同じ一日。ただ記憶だけが継続し、他は全てリセットされて引き戻される。
時の牢獄の151日目。電話が鳴る。その奇蹟によって物語は次の段階へと進む。電話によって結ばれた、まだ逢ったことのない二人。

10章立てのうち5、6章を除いて二人称によって語られる物語である。不可思議な話を会話調で巧みに構成した手腕は見事だ。孤独に対して、過剰に思い入れずに物語を展開させるにはこの綱渡りのような描写が必要だったということだろう。
子供の頃から語りかけられていた不思議な声の相手との運命のような出逢い。逢うことは出来なくとも、表現者としての共通点から繰り広げられる感情の交錯は心地良い。

それだけに、この時の牢獄に突然現れた柿崎の存在に強い違和感を覚えた。確かに、「君」がそこを抜け出し、元の世界へと回帰するには何らかのきっかけが必要だった。SF的な手法を取らずにそれを成すには、分かりやすい出来事が必要なのは理解できるが、この安直な仕掛けはこの物語を台無しにしてしまった。
唐突な出現もさることながら、物語の展開に都合の良さばかりが目立つキャラクターで、何のひねりもない。退場の仕方も同様に、伏線も無ければ、いかにも都合良く消え去った。
ただでさえ現実とはかけ離れた物語なのに、こんな展開を持ち込むと、作者の魅力である些細な日常の積み重ねという手法が霞んでしまう。柿崎の登場以前と以後で作品の雰囲気が全く異なってしまったように感じられた。

運命の出逢いのような恋愛主義的な発想自体にかなり辟易していたものの、それでも悪い出来ではなかっただけに、いかに結末へと至るのか非常に楽しみにしていた。それがこのような結果でがっかりした。『スキップ』は結末に違和感を覚えた。本書は結末こそ悪くはないが、そこに至る過程に不満を残した。共にSF的な仕掛けを取り入れているが、それを生かせなかったと感じる。三部作最後の『リセット』がこれまでの懸念を吹き飛ばすような作品であって欲しいと思うが、果たして……。(☆)




これまでに読んだ北村薫の本の感想。(☆は評価/最大☆10個)

空飛ぶ馬』(☆☆☆☆☆)
夜の蝉』(☆☆☆☆☆)
秋の花』(☆☆☆☆☆☆)
六の宮の姫君』(☆☆☆☆☆)
朝霧』(☆☆☆☆☆☆)
スキップ』(☆☆☆)


感想:『スキップ』

2009年11月09日 20時57分52秒 | 北村薫
スキップ (新潮文庫)スキップ (新潮文庫)
価格:¥ 780(税込)
発売日:1999-06


「時と人」三部作の一作目。高校二年生だった主人公はほんの一時のうたた寝から目覚めると、意識だけが25年後の世界へと移っていた。心は17歳のままに、夫がいて、娘がいて、高校教師として働く、もはや若くはない肉体を持った存在となっていることに、驚き、悩み、それでも生きていこうとする姿が描かれている。

当然、読んだばかりの東野圭吾『秘密』と重なってくる。『秘密』は、事故に遭って、死亡した妻の心が娘の肉体に移る物語だった。その比較から本書の特徴を明らかにしたい。

最も基本的な事柄として、本書の場合は一種の記憶喪失という合理的な見方が出来る。もちろん、限りなくそうではない描写にはなっているけれども。『秘密』の場合はどうしても霊魂のようなものをイメージしてしまい抵抗が強かった。本書では霊的な雰囲気は感じられない。

『秘密』はその奇異を外部からの視点で描いている。主人公は夫であり、父である立場で、一貫して彼の視点から描写される。本書は主人公の立場でこれに遭遇した。その苦しみや悲哀はダイレクトに伝わってくる。手法の差ではあるが、当事者感覚の共有がなされたほど共感はしやすい。

最も重要と思しき差異は、精神と肉体の関係にあるだろう。『秘密』では精神は肉体に影響を受け変容する。本書では、影響は明確には描かれていない。精神と肉体が無関係に成立すると考えられないが、影響を受ける速度が緩やかであると解釈すれば、本書は納得できる範囲内にある。

『秘密』のように若返ってもう一度人生をやり直せるのであれば、社会的な自身の死を受け入れることもできるだろう。本書のように、人生の最も華やかなりし期間を一瞬のうちにスキップさせられたなら、その悲しみはいかばかりか。その悲劇性が本書の根底に流れている。北村薫らしい淡々とした描写の狭間に。

救いがないのは仕方ないとしても、結末をすんなりとは受け入れらなかった。そこまで突然置かれた環境に迎合できるものか。未来の自分の選択の結果ではあっても、むしろそうであるがゆえに、反発や受け入れがたい想いはなかったか。
日常の描写の積み重ねによって感情の動きを描き出す、その積み上げた果てに腑に落ちないものが漂った。練り込まれたプロットの完成度の高さに関わらず、読後感はすっきりとはしない。

『秘密』同様、SF的設定が使われている。SFでは珍しくない設定だが、切り口はSFではない。『秘密』のようにミステリとして構成されたものでもなく、設定だけを借りて描いた小説。青春小説の延長線上にあるような。マジックリアリズムの手法ならともかく、SF的設定をSF的手法を用いずに処理することは非常に難しい。本書も成功しているとは言い難い。ただ、この三部作を通して改めて本書の評価を見直すこととなるかもしれない。残る二作に期待したい。(☆☆☆)




これまでに読んだ北村薫の本の感想。(☆は評価/最大☆10個)

空飛ぶ馬』(☆☆☆☆☆)
夜の蝉』(☆☆☆☆☆)
秋の花』(☆☆☆☆☆☆)
六の宮の姫君』(☆☆☆☆☆)
朝霧』(☆☆☆☆☆☆)


感想:『朝霧』

2009年11月04日 20時09分57秒 | 北村薫
朝霧 (創元推理文庫)朝霧 (創元推理文庫)
価格:¥ 588(税込)
発売日:2004-04-09


円紫さんシリーズ最後となる連作短編集。

卒業、就職、そして新たな出逢い。日常のほんの些細な描写の積み重ねから、日々の心の動きや様々な日常の謎を見つめ、見出し、答えを見つけていく。博学な文学知識もあくまでそれら日常の中の断片に過ぎない。特に、今回多く取り上げられた俳句や和歌はそうした日常の狭間に在る詩の世界である。

「山眠る」は《私》の大学卒業を描いた作品だが、日常の中からわずかにはみ出した哀しみが切なく響くものだった。透き通る刃が斬るような、心へ伝わる想いがある。シリーズを通しても最も印象深い短編だ。

「走り来るもの」はリドル・ストーリーを扱ったもの。先日、『どちらかが彼女を殺した』を読んだ際にWikiを見て『女か虎か』の素筋は知っていた。それを下敷きに作られた短編を鮮やかに解き明かす様は見事。

表題作「朝霧」は祖父の残した暗号の解読自体はとりとめないものだが、そこに描かれた恋の予感がシリーズの幕を閉じるに相応しい内容となっている。

”日常の謎”というミステリの新たな世界を切り開きつつ、《私》の青春記であり、縦横無尽に語られる文学への愛があり、落語という演芸の魅力が大いに語られ、落語家円紫というキャラクターを描き出した、そんなシリーズ。それでいて、緩やかで叙情的な雰囲気があり、些細な断片の積み重ねで少しずつ感情を浮かび上がられる巧妙な技が冴えに冴え、独特の味わいを生み出している。
《私》の造型を始め気になる点は残るものの、それでも心に深く残るシリーズだった。ぬるさも含めた暖かさがこの世界の素晴らしさだったことは間違いないだろう。それもまた現実の確かな一部なのだし。




これまでに読んだ北村薫の本の感想。(☆は評価/最大☆10個)

空飛ぶ馬』(☆☆☆☆☆)
夜の蝉』(☆☆☆☆☆)
秋の花』(☆☆☆☆☆☆)
六の宮の姫君』(☆☆☆☆☆)


感想:『六の宮の姫君』

2009年11月01日 21時41分23秒 | 北村薫
六の宮の姫君 (創元推理文庫)六の宮の姫君 (創元推理文庫)
価格:¥ 609(税込)
発売日:1999-06


シリーズ4作目だが、異色作と言える作品。

これまで「日常の謎」を扱ってきたが、本書で語られるのは文学史上の謎と言うべきもの。それを単純に知的好奇心から解き明かす(卒論との絡みもあるけれど)。
円紫さんは《私》の卒論指導教官のような役回り。

このシリーズの魅力のひとつに、博覧強記な文学知識があり、それは日本文学のみならず海外の様々な作品にまで及んだ。本書では芥川龍之介を軸に、主に大正期の文壇を舞台とした謎解きが演じられる。卒論の書き方を一冊の小説にしたような感じだ。

シリーズものとして、がっちりと築いた世界観があるからこそ出来た面もあるだろう。シリーズとしての部分の楽しみ、つまり、キャラクターの成長という点ではさほど大きなドラマが起きたわけではないが、それでも主人公の《私》の就職内定という人生上の一大事は発生した。

文学についてはほんのわずかにかじった程度で、芥川さえろくに読んでいない。文学作品の普遍性に対して懐疑的なので、正直本書で語られた文学論について共感はできない。菊池寛については面白く感じたが。




これまでに読んだ北村薫の本の感想。(☆は評価/最大☆10個)

空飛ぶ馬』(☆☆☆☆☆)
夜の蝉』(☆☆☆☆☆)
秋の花』(☆☆☆☆☆☆)


感想:『秋の花』

2009年10月26日 21時24分42秒 | 北村薫
秋の花 (創元推理文庫)秋の花 (創元推理文庫)
価格:¥ 651(税込)
発売日:1997-02


北村薫の円紫さんシリーズ3作目。初の長編。

これまで「日常の謎」を描いていたが、本作では一人の少女の死がメインに描かれている。それでも、ミステリと呼ぶよりは青春小説に近い印象となっている。
何気ない日常描写の積み重ねによって作り出された空気。秋の澄んだ、でも物悲しい空気に作品世界は包まれている。
細部に関しては素直に納得できることばかりではないし、全ての謎を円紫さんが解決するという展開自体はオーソドックス過ぎる。それでもこの作品を魅力的なものと為さしめているものが空気である。

この空気を生む手練手管は素晴らしい。その巧さに参ってしまう。どうしてもストーリーに目が行きがちになる私にとっては、驚くほかないような作品だ。ただ、ミステリである必要があったのかは疑問の余地があったけれど。


感想:『夜の蝉』

2009年10月22日 20時04分59秒 | 北村薫
夜の蝉 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)夜の蝉 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)
価格:¥ 609(税込)
発売日:1996-02


読んだのは、創元ミステリ'90のハードカバー版。『空飛ぶ馬』に続く円紫シリーズ2冊目。「日常の謎」を扱う連作ミステリ。

「朧夜の底」は書店での些細な出来事から、人の小狡さ、怖さに気付くというもの。ルールからの逸脱を自分勝手な理屈で正当化することの不気味さが描かれている。ただその怖さは特別なものではなく、誰もが陥りかねないものだと思うだけに、それをキレイな側から見てお終いという展開には不満が残った。

「六月の花嫁」は軽井沢の別荘でのちょっとした悪戯の帰結を描く。江美のキャラクターと円紫さんの洞察力の凄まじさが上手く描かれている。《私》が遭遇した謎をじっくり語ってそれを解くという構図が最もこのシリーズらしくて楽しめる。

表題作「夜の蝉」は《私》と姉との関係を軸とした話。謎に関しては微妙な印象を受けたが、姉妹の物語としては興味深いものだった。

発表当時は著者の性別が明らかになっておらず、女性作家とも考えられていたそうだが、既に男性と分かった状況で読むと、主人公の《私》に女性幻想が感じられる。確かに女性が書いたと言われても納得するほどの描写ではあるのだが、本書ではややキレイ過ぎる点が気になった。化粧に対する嫌悪感などは特にそれが目立った。

現在放映中のTVアニメ『毎日かあさん』は西原理恵子原作で、「女の単位」を取り上げていた。それは、周囲、特に男性に対して、自分をよく見せるコツのようなもの。もちろん計算の上で行う手練手管でもあり、無意識に行う女の武器でもある。世の女性がすべからくそれを行うとは言わないが、社会の中で否応無く身に付けていくものだとも言える。他の女性のそんな行為が気になる女性という構図や、自身のそうした習性への嫌悪といった構図はよく描かれるが、度が過ぎればそれは女性幻想と言わざるをえない。物語としてリアルさだけが求められるわけではないが、女性の内面を主に描いた作品でリアリティが欠如すれば不満に感じるのも仕方ないだろう。1990年であれば、女性への幻想がまだまかり通っていた時期と言えるかもしれないが。

作品の面白さ自体は抜群で、それだけに女性の主人公の描き方が気になってしまう。前作以上に内面が描かれているだけに余計そんな印象を受けた。女性作家の作品を読むことが多いから、よりそう感じてしまうのかもしれない。


感想:『空飛ぶ馬』

2009年10月02日 18時01分12秒 | 北村薫
空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)
価格:¥ 714(税込)
発売日:1994-03


北村薫デビュー作。私にとっての初北村薫でもある。
日常の謎を扱った連作短編。探偵役が落語家円紫で、語り部が文学部の女子大生の一人称。落語を始め文学などへの薀蓄が満載。なので、最初の感想は、米澤穂積の小市民シリーズと野村美月の”文学少女”シリーズを足したもの、というものだった(足すだけで割らない)。

「織部の霊」は主人公の《私》と円紫の出会いと、そのきっかけとなった加茂先生の子供の頃の謎を解く話である。円紫の記憶力や洞察力の高さが如何なく描かれている。謎としてはやや物足りない感じだった。

「砂糖合戦」はたまたま喫茶店で見かけた女の子三人組の不思議な行動の謎を追うもので、ミステリらしいよく出来た話だった。他の作品は《私》の内面描写が多いのに対して、簡潔で出来事が淡々と記され、腑に落ちる解決をキチンと見せていて最も印象に残る作品だ。

「胡桃の中の鳥」は《私》の蔵王旅行記として友人たちとの行動がメインとなり、円紫や謎は脇に追いやられている。ミステリというよりも女子大生の内面を重視した作品である。連作短編だから成り立つ形とも言える。

「赤頭巾」も謎以上に《私》の甘い思いを打ち砕く現実という部分が前面に押し出ている。落語や文学に精通し、知識は豊富だが現実のドロドロとした感情や闇には疎い《私》。そうしたものを受け止め、成長していくという様もこのシリーズの特徴となっていくのだろう。

表題作「空飛ぶ馬」も謎自体はそれほど印象に残るものではない。むしろ謎を生み出した善意こそがメインであり、それを描くために他の作品が描かれたと言える。

博覧強記で知的な会話はそれ自体で楽しいものだ。「日常の謎」も《私》の生活を脅かすようなものではない。厳しく言えば、他人の不幸をぬくぬくとした場所から眺めて楽しんでいるだけである。しかし、それもまた現実である。所詮は赤の他人の不幸など背負えるものではない。賢しらに他人の人生に口出す義務も権利も持ちやしない。ただ出会った謎を観察し解明するだけでそれ以上を望んでも仕方はない。
デビュー当時北村薫は自身のプロフィールを公開していなかったため、《私》の内面描写から女流作家と間違われたという。実際、男性作家が書いたとは思えないほどの描写が垣間見られる。《私》は少女小説的な印象を受けた。『マリア様がみてる』の祐巳や『彩雲国物語』の秀麗が思い浮かんだ。彼女たちの未熟さや甘さが《私》にもある。それは作者の狙いでもある。

最初に指摘したように、米澤穂積の小市民シリーズと野村美月の”文学少女”シリーズとの共通点を感じはしたが、決定的な差はやはり主人公の位置付けと言うことになる。ゼロ年代男性主人公のヘタレっぷりと少女小説の女性主人公の甘さの違い、それは共感や感情移入の差でもある。彼女たちの甘さは、ただ甘いだけではなく、懸命に立ち向かう中での甘さに過ぎない。立ち向かうこともできない彼らのヘタレっぷりと対峙させるのも失礼に思えるほどだ。

本書を読むきっかけは「このミス」の歴代ベストテンなどで上位に入っていたからだ。だが、正直なところミステリとして面白かったかと問われるとはっきり肯定することはできない。小説としてもこの一冊だけをとって傑作と呼びうるかは微妙に感じる。20年前の作品としての古さが評価を下げたことは間違いない。「日常の謎」という新たなジャンルを切り開いた価値は今となっては作品から得られなくなってしまった。
だが、このシリーズを読みたいと思わせるものは十分にあった。作品の評価もそれらを読んだ上で改めてしたいと思う。