奇想庵@goo

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『マリア様がみてる チェリーブロッサム』

2007年10月30日 22時45分51秒 | マリみて
マリア様がみてる―チェリーブロッサム (コバルト文庫)マリア様がみてる―チェリーブロッサム (コバルト文庫)
価格:¥ 500(税込)
発売日:2001-07


「銀杏の中の桜」

発表順で言えばこれがこのシリーズの第1作にあたる。お嬢さま学校で独特の風習を持つこの学園に高等部から入学した主人公の視点で描く。非常に正統的な作りであり、そこで出会った一人の少女と絆が生まれゆく物語である。
文庫で書き綴られたこのシリーズはここを目指していた。一方で、この作品は雑誌に掲載されたあとこれまで文庫に収録されずにいた。文庫化にあたり、加筆修正は行われているというが、これまでシリーズで積み上げたがゆえの違和感は強く残る。それは作者の思惑を越えたキャラクターの成長であり、シリーズが持つ厚みと言えるかもしれない。
初登場となる乃梨子に対しても、その後の描き方と比べると違った印象を持つ。リリアンに慣れ、志摩子との関係を通じて成長し変わっていったとも捉えられるが、やはりこの一作は特殊なものと言えるだろう。
文庫で楽しんでいた読者にとって、志摩子の謎が明かされる話だ。彼女の悩みの深さに比べると本当になんだこんなことかと思われる内容だが、あとがきにもある通り彼女にとっては深刻な悩みだったのだろう。周囲と本人の事の比重の差異は祥子でもあって、大事なのは本人だけという意外と起きる真実をうまく表している。
雑誌でこの作品を読み志摩子の謎を知っていた読者にとっては、謎の共有という一種の優越感を持ったのではないか。初めから狙った訳ではないだろうが結果的に作者はそれを効果的に利用したとも言える。ちょっとした謎をうまく散りばめて読者を惹きつける手法はこのシリーズのあちこちで使われている。特にシリーズ後半では積極的に提示している。

「BGN」

「銀杏の中の桜」を祐巳の視点で描いた作品。裏話的なものではあるが、シリーズの正統派はむしろこちら。「銀杏の中の桜」で覚えた違和感を払拭するための作品とも言える。
“荒療治”については、始めにそれありきであるがため、この作品の前から伏線を張っていた。それでも、“荒療治”すぎる印象は否めない。それをフォローするための役回りを担うために瞳子が登場する。彼女の場合、役割ごとに個性が与えられている感じで、かなり後になるまで明確な意図が読みにくい。どこまでが演技でどこまでが地か分かりにくいという面もあるが、それ以上にコアの部分が確立するまで時間が掛かったと考えられる。


『マリア様がみてる いとしき歳月(後編)』

2007年10月29日 22時43分42秒 | マリみて
マリア様がみてる―いとしき歳月(後編) (コバルト文庫)マリア様がみてる―いとしき歳月(後編) (コバルト文庫)
価格:¥ 460(税込)
発売日:2001-04


「will」

いよいよ薔薇さま方も卒業。祐巳は紅薔薇さまからは遺言を託され、白薔薇さまとの別れに餞別を捧げる。残る側からの別れを描いた作品で、意外と涙する場面はほとんどない。そんな少し乾いた感じがとてもいい。最後だから、蓉子も聖も自分の想いをはっきり告げる。それが湿っぽくならない原因だろう。そう、彼女たちはやり残したことや後悔といった気持ちを持たずに卒業していくのだから。

「いつしか年も」

卒業式。卒業する蓉子、聖、江利子の視点で描く。そこに憂いはない。
互いの出会いを思い返しながら、三人三様に卒業式を過ごす。ウェットな描写も多いこのシリーズだが、別れに関しては意外なほどあっさりしている。永久の別れではない。必ずまたいつか会える。そんな信頼がそこにある。
最初に書かれた「マリア様がみてる」は三人が卒業した後が舞台。あとがきで作者も述べているが、この三人はシリーズを通してどんどんと豊かなキャラクターへと育っていった。卒業後も登場する機会はもちろんあるが、徐々に物語の本筋からは離れていってしまう。それはもったいないようだけれど、やはり必然だ。彼女たちはいつまでも後ろを向いていていいキャラクターじゃない。

「片手だけつないで」

時間は一年近く巻き戻り、志摩子と聖の出会いと姉妹になるまでを描いた。一人称だが、志摩子と聖が交互のように視点を変える。
聖に余裕がないというのが第一印象だ。妹を持つことで変わるというのは、何人かのキャラクターで描かれているので、彼女もまた志摩子を妹にして変わったということなのかもしれない。ただ、聖の姉や蓉子、江利子らと比べても見劣りする。まだ栞の傷が癒えていないとか、彼女のキャラクターに拠るとか考えられるが、その後の聖の描写と比べてやや疑問の余地がある感じだ。
今回、志摩子の呼び方について書かれていた。曰く、手伝いとして山百合会の仕事をしていた彼女を聖が「志摩子」と呼ぶようになり、他の上級生もそれに追随したと。「由乃」と呼び捨てにするのは姉の令だけだし、「祐巳」の場合も姉の祥子だけだ。しかし、令や祥子は姉以外の薔薇さま方からも呼び捨てにされている。以前からこれはかなり気になった。
呼称についてはもうひとつ、蓉子、江利子、聖の三人は互いを薔薇さまの称号で呼び合うことが多かった。もちろん祐巳のいないところでは名前で呼び合っていたのかもしれないが。それが祥子、令、志摩子の世代に変わると、称号で呼び合う印象がない。改めて読み直す中でその印象が正しいかどうか確認したいと思っている。


『マリア様がみてる いとしき歳月(前編)』

2007年10月29日 22時41分48秒 | マリみて
マリア様がみてる―いとしき歳月(前編) (コバルト文庫)マリア様がみてる―いとしき歳月(前編) (コバルト文庫)
価格:¥ 460(税込)
発売日:2001-02


「黄薔薇まっしぐら」

シリーズの中でもかなりマンガチックな作品。黄薔薇ファミリーにはその傾向が強いが、特に江利子はキャラクターとしての肉付けが薄い。だから却ってこういうドタバタに合っていると言えるけれど。
謎の提示から引き込む手法だが、落とし方はかなりベタ。祐巳は探偵役はもちろん無理で最後は紅薔薇さまが引き継いだ。蔦子の使い方もかなり無茶がある。『いとしき歳月』という表題だが薔薇さま方の卒業というしんみりした雰囲気はここには微塵も無い。それもまた一つの手法だが、成功しているとは言いがたい。

「いと忙し日日」

一冊の中で1/3程度の長さの話だけれど、『いとしき歳月』前後編合わせて最も面白いと感じた作品だ。卒業式前の「三年生を送る会」のための慌しい準備に追われる一週間を、基本的に祐巳の一人称で描いている。月曜日から土曜日までの章タイトルが付いて、毎日の出来事が記されている。日常と呼ぶには忙殺しすぎだけれど特別な事はほとんど起きない。特に人間関係においては忙しすぎて問題が起こる暇も無い感じだ。
でも、そんな日常の些細な機微がとてもいとおしく描かれている。こういう何気ない部分にこのシリーズの魅力を感じる。一人称が成功しているかどうかは微妙だが、祐巳の視点で淡々と描いた手法はうまく機能している。面白いからもっと膨らませて欲しいという気持ちもあるが、この長さで収めたからこその良さなのかもしれない。
最後の章である「おまけ」のみ蓉子の一人称となっている。この本の中で唯一しんみりする部分と言えるだろう。「紅薔薇さま、人生最良の日」もそうだが、彼女の視点では非常に素直に想いが描かれている。この短編の落とし方も非常に素晴らしかった。

「一寸一服」

「黄薔薇まっしぐら」でも描かれた江利子と熊男こと山辺先生との出会い。実質4ページ、江利子の一人称で書いている。正直、「黄薔薇まっしぐら」のようなドタバタでなく、こうした落ち着いた形で描いた方が良かったのではないかと思う。後編がかなりフラットな感じの作品ばかりなので、バランスを考えた結果なのかもしれないが。


『マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物(後編)』

2007年10月29日 22時39分36秒 | マリみて
マリア様がみてる―ウァレンティーヌスの贈り物〈後編〉 (コバルト文庫)マリア様がみてる―ウァレンティーヌスの贈り物〈後編〉 (コバルト文庫)
価格:¥ 500(税込)
発売日:2000-04


「ファースト デート トライアングル」

バレンタインデーイベントの賞品の半日デートと、祐巳・祥子のデートを絡め、更に由乃らまで加わって交錯した作品。とはいえ、それが上手く絡み合っているかというとかなり疑問。
祐巳と祥子は関係が修復したばかりということもあって幸せ一杯の雰囲気。祥子の浮世離れした面を面白おかしく描いている。令とちさとのデートに関しては、由乃の嫉妬という側面から描いた。いかにもな感じだし、結局のところ由乃と令の関係は揺るぎないわけで特段印象に残るものではなかった。デートを観察しにきた蔦子と三奈子のコンビも特にこれといったやり取りがあるわけではない。
唯一内面まで描いたのは志摩子と静のデート。志摩子の弱さが現れたのは聖との別れが近いことや彼女の変化の兆しなどが原因だ。しかし、彼女の悩みはこの時点ではまだ明らかになっていないし、また明らかになった後もなかなか共感しにくいものだ。主要キャラクターの中で最もつかみ所がない彼女と読み手との距離を縮めるという意図が成功したとは言いがたい。一方、静も魅力的に描かれているが、ユニークさは感じられてもコアとなる部分が見えてこない。他の誰でもない静ならではの要素が何なのか。もう少し踏み込んだ描写が欲しかった。

「紅いカード」

「長い夜の」で一人称は珍しいと書いたが、実際には短編を中心に少なくなかった。ただそこで書いたように通常の三人称と比べてあまり差の無い使われ方をしているため、印象に残りにくいのは事実だろう。そんな中でこの作品は一人称らしい描かれ方をしている。
内容は「びっくりチョコレート」で書かれなかった謎の種明かし。美冬というこれまで登場しなかった全くの部外者の視点で、祥子と祐巳を描いている。祥子の過去に関しては、特にエピソードの使い回しの上手さが感じられた。これはシリーズを通して読んだ後に改めて読んで感じることだ。読み流していたような出来事が後に別の角度から語られ、改めて読み直すことでその繋がりに感嘆する。こうした細部をうまく利用することで厚みを引き出している。
温室での祐巳とのやり取りは「びっくりチョコレート」で書かれたものの視点を移した形だが、こうした描写も厚みを持たせる要因となっている。このシリーズの面白さはそうした物語のふくらみにあると言ってもいいだろう。多面的に描きながらなお物語の面白さを損なわないというのは実はかなり難しい。エピソードの使い回しにしても物語にうまく絡めるのは大変だ。そうした点に非常に巧みであることが面白さに繋がっている。

「紅薔薇さま、人生最良の日」

非常に短い作品で、蓉子の視点からバレンタインデーイベントを描いている。祐巳の視点では完璧な薔薇さま方もそれぞれに心のうちにいろいろな思いを抱いている。これまで聖や江利子はその内面が描かれたりもしたが蓉子はこれが最初。そして、彼女の想いや喜びがダイレクトに伝わってくる作品となっている。


『マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物(前編)』

2007年10月29日 22時37分21秒 | マリみて
マリア様がみてる―ウァレンティーヌスの贈り物〈前編〉 (コバルト文庫)マリア様がみてる―ウァレンティーヌスの贈り物〈前編〉 (コバルト文庫)
価格:¥ 500(税込)
発売日:2000-03


「びっくりチョコレート」

久しぶりに祐巳を軸とした展開で、多くのキャラクターがそれぞれに役割を持って動いている。単なるバレンタインデーではなく、山百合会のイベントとなることで広がりを見せた。後にこのイベントの短編もいくつか書かれているし、関連するエピソードも多い。翌年のこのイベントも重要な意味を持つことになる。それだけ各キャラクターたちにとって意味のある出来事だと言えるだろう。
祐巳と祥子が話の中心となると必ず出てくるのが「すれ違い」だ。お互い自分の気持ちを相手に伝え切れずに、相手の事が分からずに思い悩むという流れが何度となく繰り返される。『マリア様がみてる』ではまだ知り合ったばかりという状況だったが、それから数ヶ月経ってもそれは解消されていない。むしろこういう「すれ違い」からの衝突を経て少しずつ二人の距離が小さくなっていく。
一本の作品として見た場合、紅いカードの謎など不十分な内容とも言える。これは祐巳の視点のみで描いたため起きた事態だが、今作の場合それで良かっただろう。祐巳の視点で彼女の物語を描き切ったという意味では評価できる。ただラストの祐巳と祥子のやりとりはもう少し上手く描けなかったかといった印象が残ってしまった。

「黄薔薇交錯」

20ページほどの非常に短い作品。江利子、由乃、令の三人の視点でそれぞれの思いを描いている。よく気が付く江利子と由乃に対し、令のボケっぷりを楽しむといった内容。


『マリア様がみてる ロサ・カニーナ』

2007年10月27日 23時43分35秒 | マリみて
マリア様がみてる - ロサ・カニーナマリア様がみてる - ロサ・カニーナ
価格:¥ 500(税込)
発売日:1999-12


「ロサ・カニーナ」

もともとは志摩子の物語だったはずだが、静がそれを食ってしまったという印象を受ける。志摩子はもちろん未熟ゆえの危うさは持っているが、芯の強さがある。他の一年生だけでなく二年生のキャラクターたちと比べてもその強さは秀でている。彼女は自分で考え行動できるため、こうした平穏な世界では主人公になりにくい。一方、静は出番は多くはないが、これまでに登場したキャラクターとはまた違った個性を持ち、なかなか魅力的な存在として描かれている。
志摩子と静の物語を祐巳の視点で描くというやり方は、いい面と悪い面を持っている。二人の姿が客観的で分かりやすい反面、心の葛藤は見えにくくなる。二人の思いをもう少し深く描いて欲しかったという感想は持った。また、ほんのワンシーンだけだが、神視点に近い形で描かれている。祐巳のいない場所で静と聖が会うシーンだが、それ以外が祐巳の視点であるため少し浮いた感じになっている。この作者の他のシリーズの作品を読んだことがないので推測だが、少なくともこのシリーズにおける視点の問題はこの当時試行錯誤していたのだろう。視点の切り替えをうまく組み込んでいればもっと味わい深い作品になっていた気がする。

「長き夜の」

このシリーズでは珍しい一人称の作品。本書の約半分を占める中編だが、番外編的エピソードではある。
普段の祐巳視点の三人称を単純に一人称の「私」に置き換えただけで、一人称らしさはあまり感じない。どっぷりと読み手が「私」にシンクロする通常の一人称に比べると淡白な印象で、一人称にしたメリットが見出せない。これも作者の試行錯誤の一つだったのだろう。
内容では柏木優の再登場が目立つ。『マリア様がみてる』以来の登場だが、かなり雰囲気が変わったと言えるだろう。彼はシリーズを通して大きく役割が変化していると思われる。最初の登場では道化っぽい存在だったが、ここで祥子の保護者的な側面がアピールされ、今後祐巳にとっても重要なキャラクターとなっていく。まだ変化の最中ということで、シリーズを通して読んだ後に改めて読むとまだちょっと違和感を覚える部分はあるが、この作品から作者が明確な意図を与えたことが読み取れる。


『マリア様がみてる いばらの森』

2007年10月27日 23時40分13秒 | マリみて
マリア様がみてる―いばらの森 (コバルト文庫)マリア様がみてる―いばらの森 (コバルト文庫)
価格:¥ 540(税込)
発売日:1999-04


「いばらの森」

本書の2/3以上を占める作品だが、もう一つの短編のために書かれたと言っていいだろう。謎解きめいた部分が核となっているが、全体としての動きが乏しく、また後半のご都合主義的な展開が非常に目立っている。むしろ由乃を軸として描いた方が良かったのではないかと思われるが、祐巳の視点のみで書かれている。シリーズを通して由乃と聖の絡みが少ないことが原因かもしれない。
白薔薇さまである聖の過去を巡る物語だが、その内容は「白き花びら」で語られるためここでは大筋しか書かれていない。一篇の物語としてはこの二つを融合させた方が良かっただろうが、シリーズものという自由度が分離させたと言えるだろう。どちらが良かったかは分からないが、小説としては分離させたことは悪くはなかったと思う。

「白き花びら」

アニメで見たときはあまり興味を惹かれなかった。しかし、小説では100ページにも満たない短編ながら心に沁みる描かれ方だった。メディアの差異がはっきりと出た作品と言えるだろう。
聖の二年生時の姿が彼女の視点で書かれている。栞との出会いと別れ。その様は同性であることを除けば普通の恋愛小説とあまり変わらない。この作品で強く惹かれるのは蓉子の存在だ。『黄薔薇革命』において、「友達なんて、そういう損な役回りを引き受けるためにいるようなものよ」と語った彼女が、聖のために行動する姿に心が動かされた。祐巳の視点の時には常に余裕を持って振舞う彼女も、決して完璧な存在ではない。おせっかいと分かっていようと、たとえそれで嫌われようと言うべきことを言う彼女。それでもその想いは伝わらない。ラストで寒さの中、外で聖を待つ蓉子にこみ上げるものがあった。些細な描写に込めた書き手の思い。短いけれどとても印象的な作品となった。


『こどものじかん』EDの件

2007年10月27日 02時26分51秒 | アニメ・コミック・ゲーム
ハナマル☆センセイション
価格:¥ 1,200(税込)
発売日:2007-10-12


今秋スタートしたアニメ『こどものじかん』のED「ハナマル☆センセイション」の盗作疑惑がネット上で喧伝されている。洋楽、The Offspringの「One Fine Day」に似ているという声が多い。(こどものじかんED盗作疑惑検証
私は洋楽は疎いのでこの曲は知らなかった。しかし、最初に聞いて以来何かに似ているとは感じていた。そして、ようやく思い出すことが出来た。それが『キテレツ大百科』の「すいみん不足」である。『キテレツ大百科』は本編はほとんど見たことがないのだけれど、数々の名作OPを生み出し、なぜだか耳に馴染んでしまった。

印象深い曲だけにこうした騒動に繋がってしまった。「すいみん不足」との類似はそれほどは語られていないようだけれど、どちらにせよこのまますんなりと収まるか微妙な感じに思われる。もともとその表現の過激さで放送を見送る局が多発した作品だけに、このような新たな逆風は非常に残念に思う。今秋スタートしたアニメの中ではずば抜けた存在だし、描こうとしているテーマは決して浅いものではない。
26日の朝日新聞のテレビ欄のコラムで、先の放送自粛騒ぎとともにこの作品の放送見送りについても触れられていた。これについてはまた別の機会に述べたいと思う。


『マリア様がみてる 黄薔薇革命』

2007年10月26日 18時06分16秒 | マリみて
マリア様がみてる―黄薔薇革命 (コバルト文庫)マリア様がみてる―黄薔薇革命 (コバルト文庫)
価格:¥ 440(税込)
発売日:1999-02


前作『マリア様がみてる』ではほとんど出番の無かった黄薔薇さまのつぼみとその妹の関係を描いた作品。主人公は前作同様に祐巳だが、物語を一歩離れて見ている感じになっている。
そのため、本作では視点が変わる。基本的にこのシリーズは三人称で描かれている。少女小説などでは一人称作品も少なくない。主人公に感情移入するには非常に適しているからだ。ただ一人称は主人公がいない場面を描きにくい。三人称にもいろんな描き方が存在するが、大きく分けると神視点による三人称と一人の視点による三人称がある。本シリーズの三人称は内面描写がしにくい神視点はほとんどなく、キャラクター視点の三人称となっている。特徴的なのは、視点となるキャラクターにより他者への呼称が変わる点だ。例えば、祐巳の視点の時、地の文でも由乃は「由乃さん」と書かれる。令の視点の時は「由乃」となる。
この『黄薔薇革命』では、祐巳の他に令、三奈子、江利子の視点がある。視点ごとのキャラクターの書き分けが上手いとは感じないが、先に挙げたような呼称の変更などでそれをカバーしている印象だ。
本作は令と由乃の二人の関係を描いている。その部分に関しては正直あまり興趣を感じない。面白いと感じたのは、この二人の行動に触発されて他の生徒たちが真似をするくだりだ。このような見方を提示するあたりにこの作品の深みがある。
本作では由乃の視点では描かれていないが、後に彼女の視点による描写が増える。祐巳のように普通さが売りな主人公はどちらかと言えば少女小説に多いタイプだろう。一方、少し型破りなところのある由乃は少女マンガの主人公といった風情がある。少女小説と少女マンガの主人公の差異を感じることが、このシリーズを読んでいると多いのだけどそれは由乃の存在に拠る所が大きいかもしれない。


『マリア様がみてる』

2007年10月26日 18時02分56秒 | マリみて
マリア様がみてる (コバルト文庫)マリア様がみてる (コバルト文庫)
価格:¥ 480(税込)
発売日:1998-04


「マリア様がみてる」の成功の半分は姉妹制にあると言ってもいいだろう。これにより擬似恋愛関係が構築され、独自の面白さを引き出すことに成功している。同性同士の思慕感情をロザリオの授受という分かりやすいイベントを用意することで明確化し、姉妹という擬似恋人関係を生み出して非常に面白い世界を築き上げた。
成功の残り半分はキャラクターの多様さだろう。リリアン女学園というお嬢様学校の生徒会(山百合会)を舞台にしている以上、その登場人物の多くは優等生のお嬢様だ。年齢・性別がバラバラなら個性的なキャラクターを配置するのは難しくはないが、通常優等生という枠でくくられるようなキャラクターの中で差別化して多数の個性的な面々を用意するのは容易ではない。これが可能だったのは小説の強みと言えるだろう。

この作品はシリーズ第1巻ではあるが、発表された最初の作品ではない。最初に発表された短編は、この独特なお嬢様学校に高等部から入学したいわば異端者が主人公であり、異端者=一般人の視線でこの異世界を観察するという側面を持つ。一方、本作の主人公はシリーズを通しての主人公であるが、幼稚舎からずっとこの異世界の住人であり、この世界の独自性に戸惑ったりする様子はない。舞台設定のユニークさを前面に出すのではなく、その舞台で過ごす生徒たちの成長を描くのがこのシリーズの主題となっている。
今作は伝統的なボーイ・ミーツ・ガールの物語であり、少女マンガ等で頻繁に描かれる、校内で有名な憧れの上級生に見初められた普通の少女のシンデレラストーリーだ。他と違うのはその憧れの相手が異性でなく同性だった点。しかし、先にも挙げたロザリオの授受という設定によって、擬似的ながらも恋人関係のようなゴールラインが提示され、そこに向かって物語は進む。
上手いと思ったのは、前半は主人公・祐巳が普段の日常から切り離されて混乱の渦中に投げ込まれて戸惑う様子が中心で描かれているのに、後半は彼女の憧れの対象・祥子の悩みが主軸となっている部分だ。祥子の悩みは祐巳との関係で生じたものではない。祐巳と祥子が姉妹となるかどうかが本作のコアだが、別の問題を差し込むことで物語の展開がいい感じに仕上がっている。

シリーズを通して読んだあと改めて読むと、薔薇さま達の個性がまだ十分に描き分けられていない印象や、柏木優のキャラクターに若干の違和感を覚えたりもするが、そうした瑣事があっても非常に楽しめる内容と言っていいだろう。一作品としての完成度はやはりシリーズ中でも突出している(もちろんシリーズということで「引き」を考慮した作品が多いせいであるが)。既に高い評価のある作品を今更ながら褒め称えても仕方ないかもしれないが、とても面白かったのは事実だ。