170716 散骨と墓 <無縁仏 政令市、10年で倍増>と<劉暁波氏死去 火葬後、海に散骨>を読みながら
早暁の読書は、昨日に続き堤之恭著『絵でわかる日本列島の誕生』です。基礎知識が欠けていることと、この分野の発見?がものすごい勢いで進展しているようで、私の理解力ではなかなか簡単なことも頭に入ってこないのですが、やはり日本という列島がどういう風に形成されたかは気になるところです。だいたい自分の国とか、自分の故郷、生まれたところだと、愛着を抱くのが普通でしょう。私の場合その感覚が少し弱いかもしれませんが、それでも内心ではそれなりの意識はあるように思うのです。相対的に関心が少し弱い程度かもしれません。
いま住んでいるところと、生まれたところが中央構造線付近にあるということも、なにか引きつけるものがあるのかもしれません。ただ、堤氏が日本列島が「付加物」で形成されているといわれてもなかなかその意味を理解できないのです。また、大陸から離脱?すつとき漢音開きで西日本と東北日本が分離しつつ開いていったと言われてもなんだか不思議の世界に迷い込んだままです。では真ん中の関東とか中部地域は?という疑問はどこにも触れていないようで、むろん論文ではきちんと言及されているんでしょうね。
海にあったものが単純に隆起されたわけではないことはわかるような気がしますが、どうも中央構造線という存在自体も、四国や紀伊半島あたりは明確なようですが、その先は東も西も連続しているか明確でないような指摘なのですね。だいたい中央構造線の意味合いも、紀ノ川の成り立ちを学んでいる気になってきた程度、いまなお無明の彼方にあります。
そうこう考えていると、何が生きて何が死んでというのもどのような意味を持つのか、有機物だけ、生命体だけという考えも、地球的な意味合いで存立しうるのかわからなくなります。無機質もその意味では変化を繰り返し、そこに命を感じることもできるかもしれません。
昔、アメリカの環境訴訟の中で、峡谷の原告適格性を認める判決がでて、その後自然の権利に基づく環境訴訟が一躍広がった時代があり、わが国でも類似の訴訟が提起されましたが、大陸でさえ、変化を通じてある種の生々流転の歴史を億年単位で繰り返してきたことを、人間の驚異的な作為が温暖化を含め地球の自然な営み?を大きく変え、破壊を招いているという言い方が成立するかも、悩ましい事柄かもしれません。
いま地球という生命体が温暖化に向かっていって人間を含む生態系の危機をまねているといわれても(こういう議論に四半世紀以上わずかながら携わってきた身としては)、実感できるのはほんの一面的な事実だけですね。それでも私は法然さんを信じた親鸞のように、それを信じる大勢の科学者のほうを信じてみたいと思っています。
余談はこの程度にして、人間の死をどう迎えるか、2つの記事を中心に地球の大きな変貌とは別の観点で、多少はそれを意識しながら、考えてみたいと思うのです。
ひとつは<無縁仏政令市、10年で倍増 貧困拡大背景>というわが国での最近の傾向です。もう一つは中国の民主化・人権運動家でありノーベル平和賞を受賞した<劉暁波氏死去火葬後、海に散骨 中国、墓の聖地化警戒>です。
最近、わが国でもいろいろな考えから、火葬・散骨を選択する人が少しずつ増えてきたように思います。家制度のしがらみに苦しんだ人はその解放を求め、独身者などでは墓守がいないことを理由に、あるいは経済的に安価になるという理由(業者や手法で異なるでしょう)で、あるいは山や河、海が好きだったという純粋な理由で、散骨を選ぶなどそれぞれの思いはいろいろです。
私はとくにこだわりはありませんが、遺骨などに意味を見いだせないことや自然をこれ以上壊してまで墓は不要と思うことや、墓とか仏壇、位牌といったものに自分の精神なり魂なるものが仮にあったとしても、そこにはないですよと思うなど、いくつかの理由でとりあえず散骨かなと思っています。
私のことは本来関係ありませんが、私がこの問題に四半世紀以上関わってきたのは、なにかこだわりがあるのでしょうね。自我があるのかを追求するこのブログの中で、そういう観点からも触れていこうかと思います。
さて、<劉暁波氏死去葬儀 「劉氏を最後まで侮辱」 友人ら当局映像を非難>劉氏の火葬・海への散骨は、政府が遺族の意思や友人らの意思に反して行われたといった抗議が、少なくとも友人や運動家から起こっていますね。
私自身、四半世紀前、葬送の自由を進める会のメンバーとして、上海市内で、火葬場、墓地、そして海上での散骨を見学したことがあります。ちょうど中国の大都市が散骨を始めたところだったと記憶しています。中国は広大な土地がありますが、都市域はかなり限定されていて、上海市もゾーニングが厳しく、市域を離れた途端、一世紀前の農村風景でした。その中で墓地も広大な区域がありましたが、それぞれの墓碑がとてつもなく大きいので、ほぼ満杯状態でした。
それでいて都市住民が増大する一方でした。まだ工場労働者などは、大勢の少女が自転車で通勤しているのに出会いましたが、赤いリンゴのほっぺで、とてもすてきな感じでした。
市当局としては、墓地問題の解決策として、揚子江での大量の散骨実施を始めたのです。上海市がその散骨事業に、われわれを招待してくれ、たしか副市長とわれわれの会長との児湯同会見が船上で行われました。大きな船でした。私たちの会も自然葬というネーミングで始めたのがその一年か二年前でしたか、まだ細々と、節度をもって行っていました。
ところが、上海市の散骨は、揚子江の河口、広大な海といった場所まで船で連れて行き、500体くらいの遺骨を、船尾にいくつかの投入用のステンレス製みたいな筒状の中に、次々と投入させるのです。むろん家族が行うのですが、人数も制限されているようで、まるで機械的に投入するのです。中国人も儒教精神が根強く残っているのではないかと思うのですが、火葬場などでは大変な嘆きの感情を見せ、大勢が見守ります。そういう風習・慣行がここではあまりというか、ほとんどみられなかった記憶です。
四半世紀前の話ですし、上海市の事業ですので、現在の散骨がどう行われているのか知りませんが、友人たちの抗議は、遺族の意思がいわば当局によって実質的仮装された疑いがある中、当然のことだったように思うのです。
火葬や散骨は、行政的な目的や当局の意思によって選択されるべきでないことは当然です。遺体の葬送のあり方は、まさに故人の思いと遺族の意思こそ尊重されるべきです。まして、わが国の散骨が基本的に故人と遺族の意思によって行われている、きわめて個人的な葬送行為であることと対比して、中国の散骨は行政の意思が強く介在していると思うのです。
葬送という行為は、きわめて個人的な事柄であり、他方で、安易に慣行・風習といったことを当局が言及すること自体、疑問です。だいたい、中国では私の理解では四半世紀前までは散骨はほとんど行われておらず、わずかの間でそれが慣行・風習になるといったことは行政の無理な擬制に過ぎないと思うのです。
他方、わが国で起こっている事件は貧困の悲惨さと、心のゆとりのなさを感じてしまいます。
<明日がみえますか第5部 死と向き合う/1 「葬式代ない」妹に隠し 父の遺体放置、有罪判決>の記事では、無職の男性(55歳)が一緒に暮らしていた父(84歳)が死亡を発見したものの、葬式代もなく、別世帯の妹に頼れず2ヶ月半も放置したため、遺体遺棄罪で執行猶予付きの有罪判決を受けたというものです。
この事件は、父親の死亡前に、それを回避する対策がとられる必要があった貧困ケースだと思います。それと同時に、母親の時は葬式代が200万円かけたというのですが、そこにいくつかのこころのしがらみを感じます。
私が関係した事件で、多額の借り入れをした債務整理事案で、その使途が葬儀費と平然と話すのですが、すでに多額の借財をしている中で、とてもそんな高額な葬儀費を出すためにまた借り入れするという意識には驚きます。
故人を大事に思う心と、その心を示すには世間並みの葬儀をしないといけないという思い、多くの、古い時代の家族の心にあるように思うのです。墓もです。
むろん貧困の状況を解決することが先決ですが、貧困の状況を踏まえて、葬儀のあり方を見直してもいいのではないかと思うのです。
<無縁仏政令市、10年で倍増 貧困拡大背景>では、<無縁の遺骨は公営の納骨堂などで一定期間保管され、期限が過ぎれば合葬墓に合祀(ごうし)される。だが、遺骨は増え続けており、大阪、札幌の両市は合葬墓の収容量を増やした。>と行政の対応を指摘しています。
この問題は、墓地埋葬法の改正を審議していた90年代から取り上げられています。<無縁>という表現も気になりますが、もっと現状にあった、また、故人となる人の意識にそうネーミングの新たな葬送のあり方を検討してもらいたいと思うのです。
貧困の解決が先決であることはたしかですが、資本主義社会において、また、ムラ共同体を壊して成立する都市生活において、この問題への対応は不可避と思うのです。葬送のあり方自体が、葬儀というものの存立意義、あり方、墓地の存在意義、あり方とともに、きちんと議論して、それぞれが早い段階で、死の備えをしておくことが大事ではないでしょうか。それはその人個人の問題だけにととどまらず、家族、名目的ではあっても地域共同体的なもの、行政などが、ステークホルダーとなる必要があるのでしょう。
今日は少し長くなりましたが、この辺で終わりとします。