たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

充実した生と死 <日野原重明さん死去 命は人のために 生涯現役貫く>を読んで

2017-07-18 | 人の生と死、生き方

170718 充実した生と死 <日野原重明さん死去 命は人のために 生涯現役貫く>を読んで

 

真夜中、ザッと雨の落ちてくるような音がして一瞬意識が覚めました。それからあれこれとある事件のことを思い浮かべて、しばらく考えていました。最近はあまり仕事のことを考えることがなくなったようですので、珍しいことです。大正2年生まれですでに亡くなった方ですが、その人のものとして残されたわずかな資料からいろいろな推論を働かすのです。ただ、小説家のように、その人の人物像や物語が浮かんでこないので、面白みはないですが。

 

寒さもあって、ちょっと起き出して新聞でも読もうかと思ったら、今日は休刊日。まだ5時台なのに朝刊を見ようと外に出て空の郵便受けを前に間抜けな感覚になりました。新聞を読む代わりに、外を眺め、目の前のスギ・ヒノキを見つめていると、改めて元気のなさを感じてしまいます。その幹の細さからすると、まだ50年生か60年生に見えるのですが、元気のない葉の様子、梢もなよなよしていて天に向かうような元気な姿からはほど遠い印象です。木肌も密集した枝葉の合間に少し見えますが、苔むしたというか、なんか溌剌さを感じさせません。

 

カナダ・バンクーバー島で原生林を訪ねたことがありますが、苔むしていても図体がでかくどっしりしていて、太古から生きていていまなお現役だとその魂の力強さを感じさせてくれます。また、屋久杉は樹齢1000年生以上をいうそうですが、たいてい新鮮な息吹を絶やさない印象でした。

 

どうせ生きるなら力強く生きて、寿命が来ればさっと命を絶つのがいいなと勝手な思いをしてしまいます。

 

人の人生は、スギ・ヒノキなどの樹木に比べれば、短いもので、長寿になったと言ってもせいぜい90歳、100歳、それも思うようにならない状態が多いのが普通でしょう。

 

でもこの方は違いますね。TVでしか知りませんが、すごい気力と体力だと常々尊敬して尊敬していました。

 

毎日夕刊記事<日野原重明さん死去命は人のために 生涯現役貫く>で、<100歳を過ぎても現役の医師を続け、元気に活動できる高齢者の姿を体現してきた日野原重明・聖路加国際病院名誉院長が105歳で亡くなった。>と報じています。

 

最近あまりTVでみかけないなと思っていたら(といっても私自身がそれほど見ていないので出演されていてもみていないだけと思っていました)、突然の訃報です。104歳の時の写真が掲載されていましたが、このときはお元気な様子ですね。お体の具合を悪くしていたのかどうかも知りませんが、この方の場合あまり苦しむこともなく、認知症状になることもなく、食事もある程度普通にされ、最後まで意識明瞭でこれからのことを考えながら、一瞬のうちに他界されたような気がしてならないのです。

 

そういう生き方、死に方をされる方ではないかと思わせる人だったと思うのです。見事な生き方ですね。死に方ですね。私はこんなにも長く生きることができるとは思っていませんが、最後はこうありたいと思う次第です。

 

記事によると<戦中戦後の厳しい時代を若手医師として働いた経験から一貫して平和の尊さや命の大切さを説いた。>だけでなく、医師として、病院長として、日々先を読み、どのような緊急時対応をもあわてず即断実践できる方だったのでしょう。

 

あのサリン事件の時、だれもが適切な対応を考えるいとまもなかったでしょう。日野原氏は<95年の地下鉄サリン事件での迅速な負傷者受け入れ。外来の受け付けをやめて全職員が救急搬送される患者の手当てに当たり、個室に入りきれない軽症者には緊急事態に備えて酸素吸入ができるよう配管を整備していた廊下で処置をした。>というのですから、その心構えと、実践力のすごさはたぐいまれな方だと思うのです。

 

87年といえばすでに70歳ですから、普通は大病院の院長として、後輩の指導も次の世代にゆだねるような年齢かと思うのですが、<87年から全国の小中学校で「いのちの授業」も続けており、200校以上を訪れた。子どもたちに、「命は生きている時間そのもの。大人になったら、自分の時間を誰かのために使ってほしい」などと語り掛けてきた。>

 

その情熱こそ、若さ、柔軟でしかも強靱な意志の秘訣かもしれません。多くの高齢者(いまどき60代、70代は高齢者というに値しないかもしれませんが)にとって、生き方の鑑になるような、でも到底かなわない方なのでしょうね。

 

柔らかい語り口と柔和な笑顔、お元気な姿は、誰しもが心癒やされてきたのではないかと思うのです。無理は承知でも、日野原氏のような生き方、死に方ができるようにするには、自分をどう変えればよいか、少しだけ考えてみたいと思ってしまいます。

 

<睡眠は1日4時間半ほど、食事は控えめという生活習慣を守り、講演や執筆、大学での講義、病院の回診も続けて生涯現役を貫いた。>というのですが、今後は日野原氏の詳細な生活実践の一端を、科学的な健康法の実践例として紹介してもらうと、私も少しはまねごとをするかもしれません。

 

わが家の前に立つ、危なげなスギ・ヒノキ林のようにはなりたくないと思っていますが(実はこの木々はそれなりにしっかりと生きているのかもしれませんが)、人間の人生は明日どうなるかわかりませんので、そのことを意識しながら、今日の一瞬を大切にしていきたいと思う次第です。

 

最後に日野原氏に感謝の気持ちと哀悼の意を述べたいと思います。

 

ちょうど一時間経過しました。今日はこの辺で終わりとします。