170717 宅配と人の気持ち <細る「イエ」 宅配送骨>を読んで
この記事を見てびっくりです。「宅配送骨」という言葉ですね。たしかに宅配は有毒物質や爆発危険性のあるものなど、一定のものを運送することはできません。
国交省告示の「標準宅配便運送約款」によれば、第6条で運送の引き受けを拒絶できる場合として次の項目を挙げています。
<一 運送の申込みがこの運送約款によらないものであるとき。
二 荷送人が送り状に必要な事項を記載せず、又は第四条第一項の規定によ る点検の同意を与えないとき。
三 荷造りが運送に適さないとき。
四 運送に関し荷送人から特別の負担を求められたとき。
五 信書の運送等運送が法令の規定又は公の秩序若しくは善良の風俗に反するものであるとき。
六 荷物が次に掲げるものであるとき。
ア 火薬類その他の危険品、不潔な物品等他の荷物に損害を及ぼすおそれのあるもの
イ その他当店が特に定めて表示したもの
七 天災その他やむを得ない事由があるとき。>
日本郵便やヤマトなどは個別に詳細な約款を用意していますが、基本は上記の内容でしょう。
それでは「宅配送骨」というネーミングされている遺骨はどうでしょうか。約款上は引き受け拒絶できないでしょうね。すると普通に宅配便として送付されることになるでしょう。
毎日の連載記事<明日がみえますか第5部 死と向き合う/2 細る「イエ」 宅配送骨>では、それを取り上げています。
<日本郵便の宅配便「ゆうパック」に遺骨を詰めて寺院に送り、永代供養墓に埋葬してもらう「送骨サービス」が注目を集めている。1件数万円と安価で、寺院に出向く必要もないと評判になり、インターネット上には送骨を扱う仲介業者や寺院などのサイトがあふれている。>
当然このサービスの仕掛け人は日本郵便ではないですね。<「永代供養ネット」を運営する仲介業者「プロ」(名古屋市)は全国の約40の寺院と提携し、毎月30~50件の申し込みがある。料金は3万~5万円で、2010年のサイト開設以来、依頼数は右肩上がりだ。>
むろんこういった業者も仲介するのみですから、依頼人がいるわけですね。<神奈川県厚木市で1人で暮らす男性(65)も送骨の利用者だ。4月末、かつて内縁関係にあった女性の遺骨を、NPO法人「終の棲家(すみか)なき遺骨を救う会」(東京都世田谷区)にゆうパックで送った。救う会は遺骨の扱いに困った人の埋葬の支援をしている。>まずはNPOですか。
でもそこに依頼する人こそ、まさに現在の「個人社会」の一面を代表しているように思えます。記事で詳細が語られています。
家族関係の崩壊が背景にあるのでしょうか。記事は<家族が身内の弔いを拒否し、自治体が税金で火葬・埋葬するケースが増えている。家族関係の希薄化と貧困が背景にあり、送骨はこうした社会の受け皿になっている。>といっています。
この「宅配送骨」の最後の引き受けて、まさに遺骨処理の終局のプレイヤーは、<送骨を前提にした納骨堂>を運営する寺です。
<全国からネットで送骨を募った愛媛県伊予市の寺院が、納骨堂の運営を不許可にした市の処分取り消しを求めた訴訟。松山地裁は13年、住職との面談や宗派の制限なく安価で遺骨を受け入れる手法について、「商業的な印象は否定できない」と訴えを棄却した。寺側が2審も敗訴して判決は確定した。>
このケースを判例データベースで調べると
一審松山地裁(判例地方自治390号77頁)は、対象となった納骨堂について、寺院の境内につくられ、「コンクリートによって築造された前部が階段状となっている構築物であり、その内部には6段の棚が、後部にはアルミ製の引き戸が設けられている。棚上には骨壺を並べて焼骨を安置することができ、階段部分の上には、家名を彫った墓石のようなものが並べられている。」と判示しています。
原告の寺院は、納骨堂でないと争っていますが、当然ながらこれはばっさりと否定されています。
で驚いたのは、一審が墓地埋葬法第1条の目的規定にある、「国民の宗教的感情」への適合性を根拠に、納骨堂経営不許可処分を適法と結論したことです。
その点、一審は、原告寺院の事業内容そのものを問題にしているのです。
ちょっと長くなりますが、引用します。
「〈1〉本件不許可処分の当時、インターネットを通じて全国から利用者を募集し、郵送により焼骨を受け取るという方法による納骨堂の運営形態が広く一般的に利用されていたとは言い難い状況下にあったことに加えて、〈2〉宗旨・宗派を問わないとする点や、〈3〉殊更に安価な価格であることや、遺骨を持参して住職と面談することなく郵送により受け入れるなどと簡便であることを強調していることなどを総合的に勘案すると、前記(1)のような利用者の募集方法が、商業主義的との印象を与えるものであることは否定し難い。また、原告は、利用者を募集する際に、その受入可能数を明示しておらず、原告が、当該地域はもとより原告とすら何ら縁のない遺骨を無制限に募っているとみられかねない事情もあった。」と事業の問題性を指摘します。
そして、このような事業形態は、「被告地域における風俗習慣等に照らし、前記のような本件施設の運営方法が、地域住民の宗教感情に適合しないものであるとした被告の判断が、合理性を欠くということはできない。」として、上記の判断を導いています。
二審の高松高裁も(判例地方自治390号75頁)、一審判断を支持して、控訴を棄却しました。どうやら、違法判断の根拠とした上記の点について、行政指導で指摘されたおらず、不許可処分の決定の中で初めてでてきたことが問題にされていますが、むろんこのような議論はよほどの事情がないと通用しませんね。
ともかく、「送骨パック」を前提として全国展開する永代供養方式が裁判を通じて墓地埋葬法上の核心的利益を脅かす可能性のあることが問題となり、裁判所は積極的に解して、行政判断を是としたのです。
ただ、地域性を吟味しているなどから、直ちにこの裁判例が各地でのこういった事業(あるいは商売)に大きな支障となるとは限らないと思います。
それにしても、毎日記事で<聖徳大の長江曜子教授は「健康上の不安があるなど、やむを得ない事情で『送骨』を利用するのは仕方ない面もある。だが、商業主義や利便性を優先して遺骨を扱うことには違和感がある。死者の尊厳をもっと大切にしてほしい」と苦言を呈した。>と指摘されているように、いま新たな葬送のあり方が問われているのだと思います。
たしか私の記憶では、アメリカの散骨方式では、20年以上前にすでにネット広告ですでに類似の方式が大きく取り上げられていたと思います。
ネットの便利さと受け入れる地域の事情を十分考慮して、考えていく必要を改めて感じます。