たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

知的障がいと家族・社会 <知的障害者 入所25年超4割 進む高齢、重度化>などを読んで

2017-07-19 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

170719 知的障がいと家族・社会 <知的障害者 入所25年超4割 進む高齢、重度化>などを読んで

 

もう一つの話題で30分以上を費やしてしまい、本日のテーマとするつもりだったこの問題、深刻な内容であるのと、記事自体を私の中できちんと読めていないこともあり、今回は紹介程度にとどめさせていただきます。

 

知的障がい者に対する問題は、これまでも何回かこのブログで取り上げてきました。私自身、長年ご家族が家庭の中で世話をしてきたけれども、ご両親も亡くなり、残された兄弟も高齢化する中で、交互に対処してきたものの、ついには無理ということである施設に入所されたのです。その後成年後見開始申立ての手続きの中でもめた結果、私が家裁から後見人に選任された事件を担当しました。知的障がいの程度は残念ながらかなり重く、施設の職員もその方がすでに高齢になっていたにもかかわらず、入浴などを含め一人、二人で対応できない状態の時もありました。

 

そのご兄弟姉妹はみなさん優しい方で、末っ子である知的障がいの方を大事にされていました。それぞれ学識経験等もあり、自分で最近の知的障がい者に対する施設スタッフのあり方や、薬剤投与のあり方などを勉強され、いろいろご意見を言われていました。私も施設や医師との間に立って、勉強させていただき、従来施設管理のあり方や医師の薬剤投与のあり方に疑問を投げかけることに共感を抱くことが多々ありました。

 

とはいえ、施設を頼らず、自分たちで世話をすることは不可能でした。年に一度二度、自宅での宿泊が許されていましたが、一人ではとても面倒を見ることができません。二人でも大変です。それも24時間なにが起こるかわからない状態でした。そんなに大変でも、愛情豊かなご兄弟姉妹の中には一生懸命世話をしていました。

 

こういうご家族を見ていて、まだ経済的に余裕があり、頻繁に見舞いに行ったり、自宅に連れ戻すことができるというの、知的障がいの方のご家族の中ではは希だと思います。私たちが普段見かける方は、割合軽度の方で、集団あるいはご家族と施設に通ったりすることができる人たちを見かけますが、施設にずっといる人、中にはご家族もあまり来られない方などは、ほぼ施設内での生活に終わってしまうのでしょう。

 

区画ごとに鍵が厳重にかけられ、問題があると部屋なども施錠されます。ときにはそれ以上のこともあるようです。私のわずかな体験の一端を記憶で書き出すのはどうかと思いながら、相模原殺傷事件の深刻さ、その背景の重さが、いつの間にか忘れ去ろうとしている中、、毎日が現状調査を行い、問題の概要を報告したことは評価してよいと思うのです。

 

毎日朝刊一面には<稲田氏の隠蔽了承>と大々的に報じられていましたが、稲田氏の問題は私としては取り上げるに値しないと言っちゃうと失礼ですが、これまでの発言も含め疑問だらけなので、それはマスコミの追求にお任せしたいと思います。

 

その一面の下に、<知的障害者入所25年超4割 進む高齢、重度化 毎日新聞施設調査>と地味ですが、現状の問題を数値化、比率で表し、的確にまとめています。

 

より本格的な内容として3面全体を使い、<クローズアップ2017知的障害者、施設から地域へ 理念どまり、推進半ば>と地域的取り組みの理念が形骸化している現状を掘り下げています。

 

地域での生活の核となるべきグループホームについて、<障害を持つ人が地域で暮らす受け皿となるのがグループホーム(GH)だ。厚生労働省によると、利用者は2006年度の約3万7000人から10年間で2・9倍に増えた。日本グループホーム学会によると、中軽度の「支援区分2~3」が全体の約半数を占め、最重度の「6」は5%にとどまる。>と厳しい現状を指摘しています。

 

これに加えて重度障がい者の場合もより申告です。<重度障害者の受け入れには、障害特性に応じたきめ細かな支援や身体障害を併せ持つ人への医療的ケアが必要だ。しかし、福祉現場の慢性的な人手不足もあり、専門的な能力を持つ人材を確保するのは難しい。費用面でも施設に比べて経営効率が悪く、スプリンクラー設置義務化で新たな負担も増えた。15年から重度者支援の報酬加算が大幅に引き上げられたが、新規建設に二の足を踏む法人は少なくない。>

 

他方で、家族の高齢化がどんどん進み、とても家族の中で支えることが困難な状況だと思います。

 

施設管理者、グループホーム事業者、家族だけで取り組むのはでは無理な状況ではないでしょうか。日野原氏のような暖かい心を知的障がい者の方にも配慮する取り組むが求められているのでしょう。そういう意味では東京五輪パラリンピックの盛り上がりの中で、忘れ去られている問題の一つではないかと思うのです。

 

今日は合計で1時間あまりかかりましたので、これでおしまいとします。

 

実は、日野原氏とほぼ同じ時期に生まれた方の相続問題がなかなかうまく戸籍・除籍などの謄本収集がすすまず、頭を痛めています(天保生まれまで遡ったり、日本各地を探したりなど)市民課の窓口の方と、これからも同種問題がどんどん起こってきて大変ですねと、窓口も、関係者も、現在の制度の中で相続処理をスムーズにすることの難しさを感じていることに共感しつつ、疲れを感じているところです。


a little developed in years <訃報 日野原重明さん 新しい老後、体現>などを読んで

2017-07-19 | 人の生と死、生き方

170719 a little developed in years <訃報 日野原重明さん 新しい老後、体現>などを読んで

 

昨日、日野原重明氏の死去について触れましたが、なにか物足りないと思っていたところ、今朝の毎日は続けて盛りだくさんの記事を掲載していました。

 

もう時間が6時を回っていて、果たして別のテーマを取り上げることができるかわかりませんが、この話題を除くこともできず、簡潔に取り上げたいと思います。

 

さて毎日朝刊は、まず、<訃報日野原重明さん 105歳=医師新しい老後、体現 最期まで現役>と一面で取り上げていました。

 

同記事では<早くから予防医学の重要性を説き、民間では初となる人間ドックを同病院に開設。「生活習慣病」という言葉も生み出した。一方で、「75歳以上」の人を「新老人」と名付け、00年には「新老人の会」を設立。老後の新しい生き方を提唱した。>

 

75歳以上になると、本当に次の新しい生き方が可能になることを実践された方ではないかと思うのです。

 

これを読みながら、アメリカ社会、といっても多くはアメリカ映画でみる社会ですが、その違いをすごく感じてしまいます。映画「最高の人生も見つけ方」(The Bucket List )は私が好きな一つです。医師から余命半年を告げられた二人、たまたま同部屋になっただけで見ず知らずにもかかわらず、棺桶に入るまでにやっておきたいリストをやる話です。一人が60代、もう一人が70代の役柄でしたか。前者をモーガン・フリーマンが、後者をジャックニコルソンが演じる二人のトークの素晴らしさもありますが、ストーリー展開もなかなかのものです。

 

ニコルソンは大金持ちの役柄なので、なんでもできます。そのやりたいことのリストは映画を見て楽しんでもらえばいいかと思うのですが、そこがまさにアメリカ映画らしい内容で、きわめて個人的欲望追求型なのです。それを夢見ても実現しそうにない観客にとって、終末期の過ごし方としては理想的と思うのはアメリカ人らしいかもしれません。

 

この映画の中の大きな転換点の舞台で、フリーマンが一人酒場で酒を楽しんでいたとき、近寄ってきた女性からの一言がとても思い出深いものでした。二人がエベレスト登山に挑戦して悪天候で断念した話をしたら、その女性いわく、そんな危険なことに挑戦するにはa little developed in yearsと言うのです。これはにくい表現でした。その会話の発展の中で、フリーマンは家族への思いを揺り動かされ、その後のリストを断念するのです。

 

何が言いたいかというと、developed in yearsを成熟と字幕で表現されていたと思いますが、より深いそれこそ発展的な意味合いを感じています。それこそ、日野原氏が75歳からの新たな人生の発展を啓蒙した意味合いに通じるものかと思うのです。そして日本人的には、それが他のために役立つという発展的な生き方ではないかと思うのです。

 

その意味では、「最高の人生も見つけ方」という訳も妥当なものか気になりますが、映画の内容からすると、それも可なのでしょう。でも、この映画の面白さでは、とても日野原氏の最高の人生の見つけ方にはかなわないというか、比較にも値しないと思うのです。

 

もう一つの記事<自然体の生、まっとう 延命措置拒む>も、生き方も素晴らしければ、死に方もさすがと思うのです。

 

<福井院長は日野原さんの主治医も務めた。日野原さんは近年、転倒や発熱などで短期的な入院を繰り返していたが、3月の入院では消化器系統の機能が一段と低下。そのため福井院長が直接消化器に栄養を届ける経管栄養や胃に管を通す胃ろうを提案した。

 日野原さんはこれを拒み、自宅での療養を希望した。自宅に戻った後は、とろみを付けた食事や水を口から取りながら生活を続けた。経管栄養を拒否した理由について福井院長は「人工的で、自然な人生の終え方ではないと考えていたのではないか」と推し量る。

 今月14日に言葉を介した意思の疎通が困難になった。17日に福井院長が耳元で「何かつらいことはありませんか」と尋ねると強く顔を横に振ったという。「日野原先生は常々『死は生き方の最後の挑戦』『命に感謝して死んでいけたらどんなにいいだろう』と話していた。望ましい人の生き方を実践して生を終えたのではないか」。福井院長は振り返った。>

 

改めて心から合掌