170728 筆跡の意味合い <最新の筆跡鑑定ソフト・・>などを見て少し考え見る
久しぶりに寝苦しい夜でした。最近はずっと湿気があって温度も28度を超えているようです。でも暑さは扇風機をかけるとさほど気になりません。最初の眠気はすぐやってきます。ところがなにかの拍子で一度目が覚めると、なかなか寝付けないのです。
今朝はとりわけそうでした。なにかゴーッというような音のようにも、ザッと言う雨音とは違う、少し遠くになにかうねりのような大きな音が海鳴りのように聞こえてくるのです。まだ寝ぼけているのでなんとも判断できないのですが、気になってか眠りに入らないのです。その音は最初は雨音が異様に聞こえているのかなと、最近の異常気象でもありますし、昨日は当地も大雨警報が突然出たので、夜中に何か異変があったのかなと思っていました。
でも雨音とは違うような印象が次第に生まれてきました。カエルの鳴き声もなく、蝉の声もない。とても静寂の中、その重みのある音が遠くから聞こえるのです。そしてついに起き上がりました。目の前は雨一滴も落ちていません。ただ、庭の土を見ると相当湿っています。昨日降った雨で、夜中のものではなさそうです。ではどこからこの音が来るのか、しばらく考えて、紀ノ川の水嵩が増えて堤防一杯に近い状態で流れているために聞こえてくるのではないかと思ったのです。
少し早めに事務所に向かい、堤防添いを走る河南道路に入ってみたのですが、いつもよりは相当水量が多いのですが、一段上の河川敷にはまだ余裕のある状態で、とても氾濫するような危険な状態ではありません。そういえば音も聞こえません。ではあの音は一体何だったんだろう。音に対する感受性の鈍さを改めて感じてしまいました。
昨日はDNA型鑑定について少し触れましたが、いまある事件で、ある人物の署名とされた筆跡が誰によって書かれたものかを多くの文書、それぞれについて検討する作業を合間合間にやっています。それで少し筆跡鑑定というか、筆跡について考えてみたいと思うのです。
私はこれまで筆跡鑑定士による鑑定書をなんどか作成してもらい、その結果、訴訟に勝利をもたらす重要な要素となったケースがあります。そういうこともありますが、筆跡は日頃から気にしています。というのは、私自身の筆跡を経験的に見ていて、同一性が自分で判断できるものとそうでないものとがあるのです。筆跡は人柄を表すとも言われることがありますが、私の場合どうも安定していないと思うのです。
まず、書き道具で当然変わりますね。昔は万年筆が中心でしたが、この万年筆もものによって違ってきます。割と気に入っていたモンブランだとこんな感じ、時々使うパーカーだとあんな漢字と、相当数もっていたので、それぞれで微妙に違ってくるのです。よくいうハネがるかどうかとか、右上がりか左下がりかとか、それもそのときによって違いますね。いまは万年筆はどこかにしまってあって何十年も使っておらず、もっぱらボールペンです。これも100円くらいのものから1万円近いものまでありますが、普通は前者。でも一本一本微妙に感触が違い、現れる文字も違うのです。
あと道具と言えば、毛筆ですね。下手の横好きで、毛筆をしばらく独学で学んできたのですが、結局、まったくだめで、長続きせず、それでも拙い文字を書いて裁判所に郵送するときに宛名書きにします。最近のラベルや印刷もいいのですが、練習するのにちょうどいいと毛筆で書いています。これがまた違うのですね。
でもこういった道具の違いは、文字に現れてもたいした差ではないですね。むろん筆跡鑑定などでは簡単に同一性・異同性が判別されるでしょう。
むしろ書く媒体ですね。そしてその媒体が置かれている下の材質が大きく影響するように思うのです。同じような紙でもやはり下の材質によっては、文字が違ってくるのです。おそらく私は軽く握っていることも関係するのでしょう。相当異なるイメージの文字になります。一見すると同一人物の文字とは思えないと感じます。
複写式のカーボン用紙などもそうですね。別の紙に書いた文字とは大いに異なる印象を与えます。筆跡鑑定士が識別の基準に、文字の全体、一部の方角とか、肉厚とか、いろいろ検討しますが、どうもそれでは判別できないのではないかと自分の文字に関して感ずることが少なくないのです。これが一般化できるかどうかは他の人がどの程度、そのような違いを示すのかあまり多くを検討したことがないので、なんともいえません。
ただ、事件で暑かった限りの筆跡だと、年齢による違い、老齢化・認知症などによる違い、メモ的に書いた場合と丁寧に書いた場合との違いとか、一般に想定されるような違いは、個人の筆跡鑑定ではさほど悩むことはないと思われます。それにもかかわらず、私の筆跡はほんとに同定できるかしらと時折感じるのです。
むろん丁寧に書いたときは、大きな違いがあっても、基本の骨格的な部分にはほぼ同一性が簡単に見つかるように思いますので、自筆の遺言書も識別は用意だと思っています。
上記に述べた以外に、感情的な起伏があるとき、筆跡に現れて、かなり文字の外形に違いがでてくるようにも思います。
さて長々と自分の筆跡に関する雑な感想を述べてきましたが、それはこれまでの筆跡鑑定がどこまで合理性を担保してきたかについて疑念をもっているからです。
そして最近のIT技術などの進展がどうかを見たくなり、ちょっと古いウェブ情報ですが、<最新の筆跡鑑定ソフト 運筆状況や字画形態を数値化して比較>というのを見つけて、どんなものだろうと興味をもったのです。
記事では<話題の映画やドラマの監修も務める日本最大の民間鑑定会社「法科学鑑定研究所」を取材した。ここでは筆跡鑑定の最新事情を紹介する。>とのこと。
<ここでの主役はコンピュータだ。専用に開発された筆跡鑑定ソフトで文書を読み取り、一文字ごとに運筆状況や字画の形態を数値化して比較するのだ。しかし、字を似せて書けば、コンピュータも騙されるのではないかという疑問が湧く。
「人によって、書くたびに字の形が異なる、ブレの大きい字があり、そのブレも数値化されます。字を似せて書くと、ブレがなくなってしまうので、偽造だとわかります」(法科学鑑定研究所・三崎揮市氏)>
やはり私のように、文字の形が一様ではない人も少なくないわけですね。それがブレをも数値化することで、逆に、字を似せて書くと(これもよくあることですね)、偽造と判別できると言うことでしょうか。
ただ、この記事の説明だけでは、なんともPC能力がよくわかりません。DNA型鑑定に技術進化があるように、初期段階はかなり杜撰でしょうし、手法が拙いと合理的な解析データが生まれない可能性もありますね。
別の筆跡鑑定の情報<筆跡のマクロ撮影・デジタル補正>はアナログの発展段階のようにも思えて、説明自体はわかりやすい印象です。
マクロ撮影の技術力が優れていればデジタル化して有効な情報がとれるというのはわかりやすいですね。
<筆圧、筆順、等の運筆状況を確認する為には、原本の証拠そのものをデジタル化する必要があります。一度高解像度でデジタル化した筆跡データは加工や保存形式を「jpeg」等の、非可逆圧縮に変更しない限り劣化する事が無いため、デジタルデータに変換した画像処理の高い専門知識が筆跡の鑑定にも役に立っています。>
ただ、デジタル化したからといって、それによって一定の法則性をどのようにしてデジタル情報から解析するのか、そのあたりもどこまでこの分野で確立しているのか気になるところです。
筆跡鑑定が元々捜査手段として閉鎖的なレベルで活用されてきたきらいがあるように思うのです。より公開の議論でデジタル情報などを合理的な基準で人の識別情報になり得ることを科学的に確立する必要があるようにおもうのですが、私が知らないところでもう大丈夫という風にいえる状況でしょうか。
こう私が愚見を披露するのは、これまで筆跡鑑定となると、双方異なる鑑定士による鑑定結果を出し合い、それぞれの議論に必ずしも普遍的な合理性を見いだすことが容易でないことを感じているからです。
最後に<近未来の筆跡鑑定①>を取り上げたいと思います。ま、これは最近は情報自体がデジタル化している中で、そのデジタル情報の内容から作成者の同定を判断しようというものでしょうか。う・・・ん、こうなると、本日のテーマから離れすぎてしまうことになりました。ただ、ここで指摘されている文章の内容というか、特徴とかから本人を識別するというやり方は、筆跡鑑定士は通常行わないと思いますが、弁護士の場合は当然のこととして議論の中核に据えていますね。その人の人格と異なる文章表現とか、いろいろありますね。
さてそろそろ一時間です。今日はこのへんで終わりとします。