たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

前向きに見る <どう変わる医療と介護 2018年度・・・>などを読みながら

2017-07-05 | 医療・介護・後見

170705 前向きに見る <どう変わる医療と介護 2018年度・・・>などを読みながら

 

朝起きて野鳥の声を聞いていたかと思うと、いつの間にか日中の仕事が続き、もう夕方というより630分目前です。

 

いなかでのんびりのはずが、どうもいきません。時間があっという間に過ぎていきます。この繰り返しで年をとるのも早くなるのでしょうか。そしてあっという間に天寿を迎え昇天するのが最高かもしれません。

 

とはいえ、世の中、医療だ、介護だと話題沸騰です。今朝の毎日記事<どう変わる医療と介護2018年度 同時報酬改定 複数サービス、柔軟に提供>では、<「看多機)」>なるなんとも奇妙な言葉も登場、事態は年々歳々、日々変化を続けており、ま、追いつく必要もないですが、少しつきあいたいと思います。

 

この奇妙な言葉について、毎日記事は<認知症や中重度の要介護高齢者が、住み慣れた地域で生活できる介護保険サービスとして注目されているのが「看護小規模多機能型居宅介護」。通称「看多機(かんたき)」だ。>というのです。

 

<訪問看護だけでなく「通い」「泊まり」など複数のサービスを柔軟に組み合わせて使え、医療的なケアが必要な人にも対応できる。>手軽でフットワークがよく普通の人には最も自宅感覚を味わえるいい感じに聞こえます。

 

実際の看多機の様子が次のように表現されています。

<川崎市の住宅街にある民家風の看多機「ナーシングホーム岡上」。政夫さん(仮名、74歳)は個室のベッドに横になり、胃に穴を開けて管で栄養を送る「胃ろう」で昼食をとりながら読書していた。政夫さんの要介護度は最も重い「5」。脳梗塞(こうそく)の後遺症で半身にまひがあり、糖尿病のためインスリン投与も必要だ。腎不全で人工透析のため週3日通院もしている。

 妻(68)と2人暮らし。政夫さんは約3年前に1年間、脳梗塞で入院。退院後は自宅での暮らしを強く望んだ。妻が介助を担い、妻の仕事がある週3日はホームへ通い日中を過ごす。宿泊は月2回、自宅への訪問看護も月1回利用し妻の負担減を図る。「やっぱり自宅はいい。ホームは家みたいな雰囲気。職員との会話も楽しい」>というのです。

 

しかも費用はお手頃。<看多機は、「訪問介護」「通い」「泊まり」のサービスを備え2006年に始まった「小規模多機能型居宅介護(小多機)」に「訪問看護」を加えたサービスだ。12年に「複合型サービス」としてスタート、15年度に名称を変更した。看多機の基本的な月額利用料は要介護度ごとに定額で、1割負担だと1万2341円(要介護1)~3万1141円(同5)となる。>

 

いい感じですが、<しかし看護師など人材確保が難しく、広がっていない。>とのこと。

<課題は「泊まり」「通い」を受け入れる事業所の整備と効率的な運営、看護師の人材確保。横浜市では17年度中に21カ所の整備を計画したが、14カ所にとどまる見通し。担当者は「看護師不足で事業者から手が挙がらない」と話す。>

 

この看護師不足の要因について、<日本看護協会の斎藤訓子副会長は「看護職員の8割は病院や診療所で働く。在宅に関わる看護師の育成が必要だ。また看護師を基準より手厚くして医療依存度の高い人のケアをする事業所を報酬で評価することも求められる」と指摘する。>つまりは、介護分野での看護師の報酬評価が低いようです。

 

<「地域密着型サービス」は、「小多機」「看多機」のほか、24時間対応の「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」▽認知症のグループホーム▽29人以下の小規模特別養護老人ホーム--などがある。>それぞれの地域の実情に応じて配分を決めるのが望ましいでしょう。ところが、<しかし、小多機が全国で4984カ所(昨年4月時点)なのに比べると、看多機は看護職員の確保が必要なこともあってその10分の1にも満たない。また市区町村への周知も十分でないことや、経営の難しさも背景にあるようだ。>とのこと。

 

<同時改定の議論では、看護師などの配置基準や人員確保のあり方について検討される見込み。>ということですが、この記事で取り上げられたような議論がなされそうな雰囲気に見えないのですが、どうでしょう。

 

<、看多機については、みとりまでの対応の評価についても議論されそうだ。>ということですが、それは多くの看護師にとって一定の覚悟というか心構えがないと、厳しいのではないでしょうか。以前、終末期医療として自宅での看取りをする活動に参加していましたが、むろん医師に加えて看護師が主力に活動していましたが、まだまだ少数でした。

 

いま毎日朝刊で連載中の浅田次郎著「おもかげ」は意識喪失状態で臨死に近い患者に対する看護師の心遣いのある仕草・言葉がふんだんにでてきますが、こんな看護師の人がベッドサイドにいたら、私も病院で最後を迎えるのもいいかなと、心変わりしてしまいそうです。

 

病院は嫌いですが、看護師さんのちょっとした気遣いがあると、とても気持ちはれやかになる、場合によってはそれで元気になる?ということもあるんではと思うことも、若い頃はありました。都内でもいろいろな病院で診察・治療を受けましたが、T病院の看護師はだいたいにおいてすてきでしたね。それは昔の話ですが。

 

さてくだらない脇道をしてしまいましたが、もう一つの記事を紹介したいと思います。<私の社会保障論 社会保障の持続可能性=千葉大予防医学センター教授・近藤克則>です。

 

日本は人口減社会で後期高齢者が増大する状況です。このことにどう対応するか、唯一絶対の回答はないでしょう。

 

ただ近藤氏が指摘するように、<後期高齢者が増えると、医療・介護ニーズが量的に増えるだけでなく、質的にも変化する。入院・入所者の増加に加え、高齢者の1人暮らしや高齢夫婦のみの世帯の増加に伴う、虚弱層の生活支援ニーズ、健康層を含む介護予防ニーズなどが増大する。>ことは確かでしょうね。

 

<持続可能性を高めるために「社会保障の見直し」>をどうするかについては、いろいろな見方があるとして、

 

<財源の話を脇に置き、給付や医療・介護サービス提供の側面に話を限定すると、給付見直し=抑制すればサービスの水準が下がり不幸な人が出る。>

<社会保障制度のうち、保健、医療、福祉、年金などの間での配分を変える方法である。>

 

で近藤氏は、<討すべきは事後的な対策から予防的なものへのシフトである。

 

そのうち、<疾病予防が進めば、病気になる人が減り、入院医療費などは減少するだろう。しかし、より長生きする期間の年金が必要になり、その間、のみ続ける高血圧の薬代などの医療費や、寝たきり期間が延びれば介護費用も増える。社会保障費用の総額でみると、抑制できるかどうかは、実は状況次第である。>というのです。

 

他方で、<介護予防は、一石四鳥の社会保障の持続可能性向上策である。死亡する間際まで要介護状態にならない人が増えれば、介護費用は抑制可能である。また、家族の介護離職問題も回避でき、就労を継続できる人が増えれば、その人たちの所得税や社会保険料分の財源確保につながる。>とこちらに軍配を上げています。

 

実際そうでしょう。<さらに介護の専門人材が38万人不足するという問題の緩和にもつながる。何よりも、寝たきりや認知症になるより、元気な高齢期を楽しむ方が本人にとって良い。>介護のやっかいにならないで、天寿を全うできれば言うことなしではないでしょうか。

 

私の母親のように介護の世話になってからでは遅いですが、それでも介護施設に入らず、自宅で頑張っています。私自身、気持ちは介護の世話にならないように、近藤氏のご高説に賛同して、介護予防に心がけ、死は瞬間に迎えたい、あるいは自ら準備して死を迎えたいと思うのです。

 

良寛さんは孤高の人生を歩みましたが、最後はいろんな人の助けを借りたようです。無理をしすぎたのでしょう。私にはそんな無理をするほどの能力も体力もないですので、せいぜい疾病予防と介護予防で、事後対策の医療・介護の世話にならず、天寿を全うしたいと思うのです。これってかなり無理な話でしょうかね。人生一度の経験ですので、小さな挑戦ですが、試してみたいですね。

 

これで30分くらいでしょうか。引用ばかりですが、いい意見は大事にしたいと思います。

この辺で終わりとします。