たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

DNA型情報の取り扱い <超高精度、DNA型鑑定 作為や先入観の排除が課題>を読んで

2017-07-27 | 科学技術

170727 DNA型情報の取り扱い <超高精度、DNA型鑑定 作為や先入観の排除が課題>を読んで

 

日本各地で豪雨が頻繁に起こっていますね。当地でもついに雷豪雨警報がさきほどでました。それも私が出かけた直後でした。わずかな距離でした傘を持っていなかったので、ずぶ濡れとまではいかなくても、豪雨の一端に出会いました。

 

ともかく仕事がなかなかスムーズに進まないため、今日もその事務処理に追われて次の仕事ができないまま、もうすぐ5時になろうとしています。夕方から会議なので、簡単にでもブログを仕上げようと、テーマを考えていました。

 

仕事で経験はありませんが、<科学の森超高精度、DNA型鑑定 作為や先入観の排除が課題>は長い間自白中心の捜査のあり方が問題にされる一方、科学的、客観的な裏付けに基づく捜査が求められてきた中、まさにエース級存在として、最近脚光を浴びているようにも思えるこのDNA型鑑定について、その功罪を取り上げているので、簡潔に後30分程度で書き上げようかと思っています。

 

まず荒川涼子記者は、<捜査現場や刑事裁判で活用されているDNA型鑑定。最近では容疑者特定とは反対に、冤罪(えんざい)の救済に役立てようとの動きが広がる。ただ、鑑定の精度は高く「究極の証拠」と言われる一方、使い方次第ではもろ刃の剣にもなり得る。>とそのポイントを要約しています。

 

そして<DNA型鑑定はどのような仕組みなのか。>について、<人の体細胞には遺伝情報を含む染色体があり、デオキシリボ核酸(DNA)と呼ばれる物質で構成されている。DNAは二重らせんの形状で、DNAを構成する4種類の「塩基」約60億個が二つずつの対になって並んでいる。この並び順を比較して個人を識別する。DNAは容疑者が残したたばこの吸い殻や封筒の切手についた唾液のほか、皮膚片、毛根、血液などから採取できる。>というのです。

 

ここからが問題の一つが取り上げられます。<だが事件現場に残されるDNAの保存状態は必ずしも良くなく、鑑定できない場合もある。限られたDNA型を効率よく分析するために開発されたのが、ショート・タンデム・リピート(STR)型検査法という方法だ。塩基が200~400個になった断片的なDNAでも鑑定可能だ。

 少ないDNAを増やすポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法という方法も活用されている。DNA溶液を加熱すると、二重らせんが解けて1本ずつの鎖に分かれる。それを特殊な酵素と反応させ、分かれた1本鎖を基に、対になる鎖の部分を繰り返し複製し、数十万倍に増幅できるとされる。>

 

以前であれば、わずかなDNAの残存だと鑑定できなかったのが、最近の技術開発で上記の通り鑑定が容易になり、最近では、<足利事件(90年)や、東京電力女性社員殺害事件(97年)>、<1966年、一家4人が殺害された袴田事件>も再鑑定により従来の鑑定結果が覆っています。

 

しかし、DNA型鑑定が万能かといえば、それは一定の限界があると言うべきでしょう。

記事では<しかし、鑑定結果が決定的な証拠となりやすいため、都合に合わせて捜査や裁判に利用したりしなかったり、人間の作為が入り込むことが課題となっている。>と作為的な操作を問題にしています。

 

 その結果えん罪事件が発生しています。<鹿児島地裁で問われた12年の強姦(ごうかん)事件では、鹿児島県警はDNAを採取したが、微量で正確に鑑定できないとした。1審で男性が別の証拠から実刑判決を受けたが、控訴審段階で行った鑑定でDNA型が別人のものと判明した。県警が残りのDNA溶液や鑑定メモを捨てていたことも分かり、男性を有罪にするために意図的に鑑定結果を隠したとの疑いが浮上。男性は16年に逆転無罪判決を受けた。>

 

それだけではありません。<東邦大の黒崎久仁彦教授(法医学)は「一般に鑑定を過信するのは禁物だ」とも指摘する。試料に異物が混じったり、手法を間違ったりすれば誤った結果が出る可能性もある。>人間が結局、実施するわけで、その方法が検証可能で、科学的に合理性を担保しているか常に問われるでしょう。

 

そして結果について評価するというのが鑑定ですが、まさに人の判断に関わることで、そこに問題が生じうるわけですね。<正しい手法で結果を導いても、型が容疑者と一致するかしないか人間が評価するため、先入観などで判断を誤る余地もある。救済センター副代表で、甲南大の笹倉香奈教授(刑事訴訟法)は「鑑定結果は客観的で公正、完璧だとは限らない。手法は適切か、結果は正しく評価されているかを検証する中立的な組織が必要だ」と訴える。>というのは当然でしょう。

 

で、ここまでが前置きです。

 

実はこの記事を見たとき、先月の「日弁連委員会ニュース」の中にあった記事を思い出したのです。タイトルは「DNA採取は拒否できる?」というものです。人権擁護委員会第二部会特別委嘱委員の小関員氏が投稿したものです。

 

上記記事では、捜査側が犯行現場に残されたDNA資料の取り扱いを問題にしていますが、実はそれ以外の場面で、いま急速にDNA型資料の収集が「任意」という形で捜査側によって行われ、ビッグデータの一つになりつつあるようです。

 

小島氏によると、<警察庁は、2005826日から、事件現場の遺留物や容疑者本人から得たDNA型情報を各都道府県警が警察庁に送り、警察庁でデータの整理や保管を一括 して行うというデータベースシステムの運用を開始しています。>とのことです。この制度は、「DNA型記録 取扱規則(国家公安委員会規則)」など法令に基づかない運用で行われているとのこと。

 

ところで、DNA型情報については、小島氏によると<最新のDNA研究では、 これまで遺伝情報とは関係がないとされていた部分にも病気などの遺伝情報が含まれていることが明 かとなっており、データベース に登録される DNA型情報が単なる数字の羅列であり、遺伝情報とは関係がないといえるのか、という疑問が提起されています。したがって、遺伝情報とは関係がない部分としてデータベースに登録された DNA型情報にも遺伝情報が含まれている可能性が否定できないのです。また、 DNA型情報には親子や兄弟姉妹、血縁についての情報も含まれているのであり、指紋と同等の個人情報であるとの評価は当たらず、より慎重な取扱いがなされるべきです。>

 

まいえば、一般の個人情報と言われているものと比べ、DNA型情報は個人その人以外の情報やその人自身も知らない病気などの情報も含まれていて、個人の判断で任意の求めに応じて提供できる性格ではないともいえるわけです。基本的には令状主義に則り、身体検査令状等によって法的手続きにより採取すべきと言うのです。

 

興味ある議論です。いずれにしても、捜査側も安易に提供を求めて同意をとって採取するという方法については、慎重に行われるべき事は確かでしょう。

 

ちょうど30分となりました。今日はこれでおしまいです。