たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

見聞と行動の間隙 <『何でも見てやろう』 ・・小田実の世界旅行記>を読みながら

2017-07-25 | 人間力

170725 見聞と行動の間隙 <『何でも見てやろう』 ・・小田実の世界旅行記>を読みながら

 

昨夜、録画してあったNHK<列島誕生 ジオ・ジャパン 第1集 奇跡の島はこうして生まれた>を見ました。これはいま読んでいる地質学者のいろいろな書籍と比べると、さすがNHKの描写力というのでしょうか、わかりやすくダイナミックスに描いていました。とはいえ、詳細を捨象しているので、物足りないはやむを得ないところでしょうか。

 

さて今日もいつの間にか5時を過ぎているので、本日の話題は何かと新聞を見ていましたら、いま話題の国家戦略特区についてその推進者、批判者などの意見がそれぞれの立場で掲載されていましたので、これを取り上げようかと思いつつ、これらの議論だけではまだわからないことだらけなので、別の機会にします。

 

それより冒頭の記事、正確には<岐路の風景『何でも見てやろう』 現地での交流も惨苦も 小田実の世界旅行記>を見て急に過去のある旅行を思い出し、つい自虐的ではありますが、書いてみようかと思ってしまいました。

 

まずは小田実著『何でも見てやろう』を熱心に語る<ノンフィクション作家の石井光太さん(40)>の発言を取り上げましょう。石井氏は<「本の中で小田さんは現地で知り合った文学者や女の子たちとすぐに仲良くなってしまう。日本にいたら人と人の間に感じてしまう壁のようなものを、外国に行けば乗り越えられるように思えた」>と言うのです。彼は10代の時にこの本に出会って大学に入って海外に羽ばたき、<「理屈が現実を前に壊れていく過程の方が真実なのではないかと思った」>というのです。

 

そして石井氏はさらに、<「小田さんは旅の中でタイトル通りのことを実行している。本来、人間には『何でも見てやろう』『何でもしたい』という好奇心があるが、みんな勇気がなくてできないでいる。この本はそんな好奇心を肯定してくれる」と石井さんは本の魅力を語る。>と、好奇心と勇気をこの本で得たようです。

 

その好奇心が時として問題になる点についても<「好奇心というのはともすると、『やじ馬根性』などの言葉に転化されて、否定的に考えられてしまう。このご時世、特に厳しく見られる。それでも、物を見るということは成長する上でとても重要なこと。この本はそれらすべてを認めてくれている。だからこそ読まれ続けているのではないか」>と否定的な面を乗り越えるだけの価値を持つことを訴えています。

 

そして最後に、<児童虐待をテーマにした著書『「鬼畜」の家』など、近年では国内での取材活動に力を入れ、「あらゆる分野に取り組みたい」と意気込む石井さん。尽きない好奇心と向上心には「何でも見てやろう」の精神が息づいているように感じる。「一つのことを専門でやっている人より、いろんなことをやっている人の方が僕にはかっこよく見えた。小田さんもその一人です」>と好奇心の有用性を専門的な研究よりもある意味で高く評価しています。

 

さてさて私自身、この小田作品をまだ読んだことがありません。その私がなぜこの記事を取り上げたかというと、私自身、ある種の好奇心だけでか、若気の至りか、浅間山荘事件があった頃、海外へ飛び立っていました。

 

羽田からアラスカを経て北極海経由でロンドンを出発点に、ヨーロッパ(当時は東西冷戦時代ですから西側だけですが)を飛び回り、そしてアメリカに渡りました。その後撮った写真を見ることもなく、忘却の彼方に行ってしまっています。それから20年近く海外に出ることが亡かったのです。

 

あまりにショックを受けたのかもしれません。小田氏のように美術館からトイレまでということもなく、誰とでも話すということもなく、ただ、心に残ったのはわずかな断片的な思い出でした。

 

美術館や博物館などは結構見て回ったと思います。ルーブル美術館ではモナリザの絵の前で一時間くらい?はじっくりと見つめていたような記憶がわずかに残っています。それほど混雑していないというか、ぱらぱらといる程度だった記憶なのです。大英図書館はマルクスが長年そこに通って勉強したことで有名ですが、私もそんな気分を一瞬でも味わおうと行ったはずですが、思い出せません。

 

あるフランスの若者(医者のタマゴ?だったか)と偶然出会い、パリのレストランで話をし、ワインをおごってもらい、マルセイユに行くので一緒に行くかなどと誘われたことがわずかに記憶しています。そのほか、スイスのジュネーブだったか、パリからの終着駅だったように思うのですが、それから先の電車もなく、とまるところも決めてない中、つたない英語も通じない、フランス語かドイツ語かもさっぱりわからず、結局、警察のご厄介になり、そして案内されたのはなんと女子修道院でした。

 

そのときあまり寝ていなかったので、疲れ果てて、そこで3日間くらいお世話になったように記憶ですが、自信がありません。なにせかわいらしい修道女?が食事を持ってきてくれたりしたので、居心地はよかったですし、ジャンバルジャンのように追われる身ではないので、のんびりすごさせてもらいました。でも会話が一切通じないので、身振り手振りでなにかを伝えるほどの勇気もなく、体調が回復するとまた別の旅を始めました。

 

いまとなっては夢幻の世界のような気がします。ほんとにそんなことがあったのかといわれても、そういう思い出しか残っていないのです。

 

後思い出としては、やはりニューヨークでの出来事でしょうか。美術館とかセントラルパークとか、まだ当時は世界一高かったと思うエンパイアステートビルディングとか、いろいろありますが、ほとんど記憶に残っていません。残っているのは当時はひどい状況の地下鉄に乗り、黒人街・ハーレムを歩いたことでしょうか。そしてとあるハンバーガーかなにかの店に入ったときのことが強烈な思い出として、いまだに残っています。

 

まず街の中を歩いていると、黒人の人たちがじっと私の方を見つめるのです。多くの黒人が通りにたむろしていましたが、その人たちが強烈な視線を送ってきました。当時、私はなにかあってもそれは仕方なし、なるようにしかならない、事実を見つめようと思っていたのでしょうか。日本では安保闘争がようやく沈静化しつつある中、なにかけだるい気分もあったと思います。多少は公民権運動にも関心があったのかもしれません。マルクシズムへの関心と混乱があったかもしれません。要は自らの立つ位置がわからなかったのでしょう。海外にでて何かを探し求めたのかもしれません。小田氏の本を読まなくても、当時、若者は悩んでいたと思いますし、私自身がそうでした。

 

店の中に入るにも勇気がいりましたが、なるようにしかならないという思いもあり、入りました。当然ながらすべて黒人です。一瞬、私は全身が凍り付いたのかもしれません。いまは思い出せません。ただ強い視線が投げかけられたじろいだ思いは残っています。

 

ただ、それだけのことです。どのようにして街をでて、再び地下鉄に乗って帰ったか、どこにとまったかもまったく覚えていません。よほど緊張していたのでしょう。

 

そのほか断片的な記憶はいくつかありますが、ハーレムの衝撃ほどではありません。でもそれが私に何らかの変化を与えたかもわかりません。小田氏のように記録を残せればよかったのですが、この旅行での経験をほとんど人に語ることもなく現在に至っているのですから。

 

何でも見てやろうというのは、若者の特権でもあり、それは若い意識があればいつまでもこの気持ちを発揮できると思うのです。しかし、見聞するといっても、見る力、聞く力、その理解力といったものがないと、見たとしても見えていないのではないでしょうか。聞いたとしても聞こえていないのではないでしょうか。

 

私の最初の旅行はまさにそれでした。突然、思い立って旅をして、準備もなにもせず予備知識もなく、英語もいい加減です。しかも行動力も、それなりの目的なり能力がないと、ただ動いているだけに終わってしまうと思うのです。石井氏のようにその旅行での経験を糧にできればいいのですが、私の場合は、何でも見てやろう、も中途半端でした。

 

いまはこういう具合に日々の思いを書き連ねていますが、以前は一切書いたこともありませんでした。何でも見てやろうは、最低限、その見たことを書くといった表現などを通して、ようやく意味をもつのではないかと思うのです。むろん書かなくても、その体験を踏まえて行動に移せればそれも意味があるかと思うのです。

 

私がその後海外にでるようになったのは日弁連の調査に参加するようになってからです。その中には、調査内容を出版したものもいくつかあります。私の先輩で一緒に調査旅行したとき日々の経験を細やかに物語風に残してくれた人もいました。これはわたしにとってはいい刺激でした。しかし、紀行文や日誌を書いたことがない筆無精な私には、その後も書くことがなく、ようやく数年前からfbで書くようになったのでしょうか。

 

この間一人でカナダに2年滞在していましたが、当時はメールもなく、せいぜい絵はがき程度を書いて送った程度ですので、その時のさまざまな経験は生かし切れていません。fbでは時折紹介したと思いますが、隔靴掻痒で、すでに20年近くたっているため鮮明な印象が、その時々の痛烈な感覚や問題点と感じたことがリアルでなくなっていて、折角の見聞も台無しです。

 

書き始めて来客があったため、中断してまた書き出したこともあり、いつものように冗長となり、趣旨不明になりつつある(いやもうすでになっているよでしょうか)ことから、そろそろおしまいとします。

 

見聞と行動の狭間というようり、見聞を有効にするには、事前、事後、そしてその瞬間を大事にしておかないと、自己満足に終わってしまう、何でも見てやろうになりかねないことを自分の不出来な体験話を交えてしました。終わります。