170714 弱者とリスク <高松・エスカレーター事故 車椅子死亡 ベビーカーもやめて>を読みながら
今朝も暗闇(といっても少し欠けた月の明るさが届いています)に目覚め、ついつい古地図の本をひもときながら、なぜ絵の才能豊かな人が次々と輩出されいた室町時代以降でも、あんな適当な、というか子どもの落書きのような絵図ばかりなのかと不思議に思うのです。伊能忠敬の日本地図のように、正確な測量を基にリアルな地図がでてきても、海岸線だけで土地利用を含め曖昧なものばかり。いや、見る人がみればわかるというのかもしれませんが、素人の目ではさっぱりです。
むろん1811年発刊の紀伊国名所図会などは、地図ではないですが、見事に土地利用が描写されています。高野山なんかもかなり正確に表現されています。ただ、樹木はおそらく薪用などに利用されていたのでしょう、かなりまばらです。維新時の鎌倉・鶴岡八幡宮の周辺の山も同じですね。これは異邦人の写真で残っています。
8代将軍、吉宗は知識を貪欲に追求して、海外の書籍や文化を積極的に導入していますが、当然ながら地図にも相当関心があったようです。吉宗が全国に地図の作成を命じたといったことがあったようですけど、それでも当時、土地利用がわかるようなものとしてできあがったものがあるのでしょうかね。そういえば、吉宗の指示で、小田井用水路の開設を指揮した大畑才蔵の作成した図面も残っていますが、かれの天才的な測量技術の割には、地図は稚拙な(失礼ながら)内容です。当時は、軍事的な要請もあって正確な地図作成を禁止する背景があったのでしょうか。境界紛争や検地のために作られる地図も、とても粗雑に感じます。
と思いながら、本読みにふけっていると、6時半を回っているのに気づき、今朝は遅い気象となりました。でなにやら不思議な鳥がヒノキの梢にとまっているのに気づきました。どうもはっきり同定できません。ヒヨドリくらいの大きさで、腹が白っぽく、羽に縞模様が見られました。おそらくはシロハラかなと思うのですが、検討しているうちに飛び立ってしまいました。
わが家の周辺にはいくつかの種類が飛んできますが、なじみになった、留鳥的な存在は、ホオジロの家族、ヒヨドリ、ムクドリ、シジュウカラ、ヤマガラ、ツバメ、ハクセキレイなどどこにでもいる鳥がほとんどです。ま、わが家の仲間たちでしょうか。
さて、今日も雑用に追われて、少し眠気があったりして、時間を見ると6時過ぎ。たまたま日弁連の消費者問題ニュース今月号が来ていて、住宅の耐震性を問題にするシンポが一面に掲載されていたので、これをテーマにしようかと思ったんですが、このテーマ以前にも取り扱ったことを思い出しました。記事を見ると4月8日開催のシンポです。別に旬の話題を求めるわけではないですが、記事がちょっと遅れ気味かなと、少し読み込んでいたのですが今回はパスします。
で、毎日記事の<高松・エスカレーター事故車椅子死亡 ベビーカーもやめて 業界団体が呼びかけ>を取り上げることにしました。安全性の問題について、どう考えるか、私なりの感覚を自省を込めて検討してみたいと思うのです。
記事では<高松市内の商業施設で10日、エスカレーターで車椅子が転倒し、後ろにいた女性(76)が巻き込まれて死亡する事故があった。エスカレーターでの車椅子利用は法令で禁じられていないが、業界団体は「非常に危険」と注意を呼びかけている。>とのこと。
事故状況は、<無職男性(81)が妻(79)を乗せた車椅子を後ろから支えて3階で降りる直前、段差に前輪が引っかかり、バランスを崩したらしい。2人は車椅子ごと転げ落ち、少し後ろの女性も巻き込まれて転落。出血性ショックで死亡し、夫婦も重軽傷を負った。>
で、当事者の夫婦ですが、<夫婦は車で来店。男性が施設の車椅子を借りた。近くにエレベーターがあったが、男性は「何も考えずに乗ってしまった」と話しているという。>
なんとも気の毒なという言葉では言い表せない事故ですね。この事故で亡くなったのは、車椅子で転げ落ちた夫婦でなく、後ろにいた女性といのですね。
男性は妻と一緒に商業施設にやってきて、妻を車椅子に乗せて店舗の中を移動していたのですね。施設の車椅子を借りたというぐらいですから、妻はそれほど足の不自由な方ではないのでしょう。その妻を車椅子に乗せて押していくというのですから、仲のよいご夫婦なんでしょう。
<男性は「何も考えずに乗ってしまった」>ということから、さほど車椅子を押す経験がなかったという見方も否定できませんが、むしろ施設で車椅子を借りて、まるで自分の足のようにエスカレータに無意識に乗ってしまうわけですから、むしろ車椅子を押すことは慣れていたのかもしれません。エスカレーターの高さも5mですから、ちょっと上がる程度で、気軽に乗ったとすると、この利用にも慣れていた可能性もあり得ます。
とはいえ、段差への配慮はあっても老齢のせいでうまく前輪をあげるなど対応ができなかったのかもしれません。
高齢者の自動車事故や踏切での横断中の事故など、日常の場で事故が多発しているように思います。
そこから、エスカレータが危険なので、車椅子の利用は禁止とか、さらにベビーカーの利用はやめるようにということにつながるのか、検討してみたいと思います。
実は私自身、子どもが小さい頃、ベビーカーでエスカレータを普通に利用していました。ベビーカーの車輪の動きとエスカレーターの段差や動きをしっかり理解しておけば、特段の危険な状況にはならないと思っています。むろん、エスカレーターの動きや段差の変化などに十分注意を払っていないと、危険性を内包していることは確かですので、常に細やかな注意払う必要があると思います。機会ですから突然とまることもあるでしょう。何かあった場合、ベビーカーごと自分で抱くくらいの注意と、周囲への配慮が必要で、人が大勢いるときとかは避けるのが望ましいように思います。
昔、重い旅行バックを持って海外旅行などしているとき長いエスカレータ(ロンドンなど)でも十分注意を払えば特段、危険な状況にはなりませんし、そのために上がっていく途中での安定を保つ配置などに配慮しておけば大丈夫でしょう。
とはいえエスカレーターの危険性は否定しません。だからといって、ちょっとでもリスクがあれば、リスクを避ける方策も限度があるように思うのです。車椅子とベビーカーとでは、多少リスクの程度が違うかもしれませんが(車椅子を押した経験がないのでここは自信がありませんが、基本的にはエスカレーター移動でも十分安定を保つことや段差のクリアは同じ条件と思っています)、動かす人が十分な体力と注意を払えば対応可能だと思います。
他方で、そのような利用に不安を感じる人もいるので、利用に際しては誰が見ても安定的な方法を獲得した上で、実施してもらいたいと思うのです。たとえば、誰も乗せないでなんどか練習して、こつをつかむとかですね。他方で、普通にエスカレーターを乗り降りすること自体が不慣れな人は、逆に立ち止まったり、なかなかスムーズに乗り降りできない人がいますね。そういう人は過剰な不安感に支配されているように思うのです。
安全姓の確保と不安感とは前者は客観的な基準を打ち立てその基準に則って行えば安全性を確保できるという保証がありますね。後者の不安感は、心理的な要素が中核ですので、個人差や主観的なものに左右され、それを個人の問題とせず第三者に強制するとなると注意を要する場合があると思うのです。むろん客観的な安全基準といったものも、時代や科学技術の進展などで変わるので絶対的なものはありませんが。
さてこの事故を受けて、社協は早速、消極的な対応を示していますね。<高松・エスカレーター事故車椅子介助、手引き削除 県社協HP /香川>
車椅子介助をよりどこでも誰でもできるようにするのも、重要な施策ではないかと思うのです。この手引きはその意味で有効だと思うのですが、削除することで、車椅子利用の場を狭めてしまうのではないでしょうか。バリアフリーのためにエレベーターを増やしているではないか、あるいはもっと増やせばいいという意見もあるでしょう。
皆さんは1階上に上がるのに、エレベーターを利用しますか。通常は数階上とかの場合に利用しませんか。私の場合雰囲気のいいエレベータだと、たとえば昔、できたばかりの有楽町マリオンなんかだと、エスカレータを上まで利用していました。車椅子の人もそういう利用があってもいいではないでしょうか。閉鎖的な空間のエレベータよりずっと開放感がありますね。
危険な箇所、道具などリスクのない状況を少しでも少なくしていくことは大事なことです。他方で、リスクを常に意識して、それに対応する努力・工夫をしていないと、人間が本来的に持っていた恐怖への対応能力を失う可能性も心配します。
私が抱く安全性というもの、それへの配慮は、おそらくある一部の場面で、あるいはあらゆる場面で、常識的な判断と違っているかもしれません。今後時折、こういった問題についても言及してみたいと思います。
といいながら、なんどもこのブログで書いていますが、そういう私という存在がほんとうに実在するのか、それを追求する散策でもあるのですが。
今日はもう1時間以上過ぎました。これでおしまいです。