たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

都議選結果と安部首相 <首相インタビュー 「安倍改憲」なお強気>を読んで

2017-07-04 | 政治 経済

170704 都議選結果と安部首相 <首相インタビュー 「安倍改憲」なお強気>を読んで

 

昨夜は寒いかなと思いながらも窓を開けて網戸越しの涼風の中、いつの間にか眠ってしまいました。案の定、夜中に少し寒さを感じて目覚めてしまいました。暦では4時半頃が日の出のようですが、それよりはずっと早い時間でした。

 

田舎生活の良さは、こういう自然の涼風を感じながら夜を過ごせると言うことでしょうか。帰宅時間だとまだ暑さが残っていますが、少し経つと気温も下がり、278度くらいで田んぼや川の流れ、スギ・ヒノキ林のおかげか、暑さを感じません。そんなわけでクーラーも買っただけで一度も使っていませんし、ま、調度品みたいなものでしょうか。扇風機を使ってみようかと思うこともありますが、すこし暑さに慣れると、必要を感じないため、これも使わないままです。

 

花への水やりをしていて、一旦花が全部枯れて落ちた後、再び花が咲き出したり、葉っぱも枯れてしまっていたのが次第に葉っぱが鮮やかな緑色を取り戻し、どんどん大きくなるのを見たりしていると、こちらまで元気になります。自然の輪廻再生とまではいかなくても、その一端を間近に感じるようにさえ思えるのです。

 

今日はある遺産分割調停の申立書や、借地契約書などを用意したりして、形式的な事柄に気を遣いすぎ、少々ぼっとしています。とりわけ申立書は裁判所の書式でワード文に書き入れるだけで、便利と言えば便利なのですが、なぜか文字の大きさが固定していて、一向に思うような大きさにならず、簡単な内容にもかかわらず、手間ばかりかかってしまいました。

 

裁判所の書式でなく、自分流の書式でやればいいのですが、途中であきらめるのがなんとも気に入らず、長時間かけてなんとかおさまりがつく文字の大きさにでき、完成です。柔軟さの欠けたやり方はあまりおすすめできないですが、性格に加えて高齢化の影響もあってこもったものだと自省しています。そしたら失礼ながら、安部首相の姿勢を思い出してしまいました。

 

一昨日の都議選の結果は予想外の自民党の自爆的大敗退でした。昨日の新聞・TV・ウェブ情報はこの異常事態で満載です。責任の所在を求めたり、いろいろでしたが、私自身はあまり興味がなく、とりあげませんでした。

 

今日も取り上げるつもりがなかったのですが、いろいろ情報を見たり読んだ書籍を考えたりしても、すでに6時近くになっているというのに、興味のわくものがなく、頭も回りそうにない、困ったなとおもっていたら、見出しの記事を思い出したのです。

 

その前に都議選にさほど興味がなかったのは、都民自身の投票行動自体にどれほどの意味があるのか、まだ見定めるものがないからです。だいたい、投票率が51%強ですね、平成に入って低調気味の中で今回もその基調のままで、特別の意識改革があったようにも見えないのです。たしかに自民党議員の対応は不謹慎で議会でのやりとりも恥ずかしいかぎりですから、彼らを選ぶ選択はなかったのかもしれません。といって都民ファーストの議員がどんな人でどんな意見・能力をもっているのか、よくわからない中、大勢選ばれたからと言って、この段階でその是非を論じるほどでもないかと思っています。

 

だいたい、これまでの都議選自体があまり感心しませんし、都知事選にしても、青島氏や石原氏を選んだのはいいとしても継続的な監視を怠った結果、都政事態がますます悪化していったようにも思えるのです。鈴木都政がよかったとも思っていませんが。

 

都議選の話はこの程度にして、安部首相ですね、インタビューが大きく掲載されていました。毎日ですので、安部首相の発言を引用しながら、辛辣に批判する内容です。それでも応じた点は評価してよいかと思います。

 

しかし、内容は頑なに見えてしまいました。むろん都議選の結果は地方選挙で国政とは違うと強弁することはできるでしょう。しかし、とりわけ今年に入ってからの安部首相にかかわる問題は、立て続けに起こっていますね。森友学園、加計学園、そして安部氏が任命した、あるいはそのチルドレン、あるいは一体となって働いてきたメンバーが次々と問題言動となっています。

 

だいたい安部氏の言動自体が、一国の総理、与党総裁としての品位、品格を問われているように思うのです。彼を引き立てた小泉元総理はたしかに問題発言もあったでしょうし、その自由奔放のような行動、とりわけ私的な活動は人間味の豊かさを感じさせてくれたり、思考の柔軟さを訪仏させてくれたように思うのです。橋本元総理は、滅多に感情をあらわにしない印象を受けていましたが、忍耐強さを示してもらい、そこに信頼感を生んでいたようにも思うのです。むろんいずれも私の考え方とは大きく違いますが、総理総裁としての人格は尊重できるように思いました。

 

でも安部首相がこのインタビューで固執している憲法改正は、彼の強い思いかもしれませんが、自衛隊を憲法に規定することがどれだけ意味があるのでしょうか。彼の元々の持論である、押しつけ憲法の立場とは矛盾しないのでしょうか。憲法改正という名目だけを狙った姑息な姿勢ともとられかねないのではないでしょうか。

 

だいたい、多くの国民は自衛隊の存在を認めています。存在自体を憲法違反だと思っている人は憲法学者と一部の人たちだけではないでしょうか。むろん自衛隊の権限拡大については憲法抵触の疑いが強いとの考えは相当数いると思いますし、私もそのような考えに近いと思います。強いて言えば、憲法論はともかく、自衛隊にはできるだけ軍事兵器を持たすべきでないとの立場ですから、きわめて少数派の一人かもしれませんので、私見は一応おいておきます。

 

他方で、国政の責任を負う場合に、国際情勢の悪化を踏まえて、現実的な施策をとること自体は、国民の支持があればやむを得ないと思っています。

 

では自衛隊員の立場を考えてといった安部首相が主張する改正理由の根拠は妥当性があるのでしょうか。むろん自衛隊員は、稲田防衛大臣のように憲法の基本理念・規定もわきまえない無責任な発言をしないでしょう。彼らの心の内は簡単ではないと思います。いま国民の誰もから支持されているのは、自衛隊による災害救助など公益活動ではないかと思います。これが海外派遣にはじまり、昨年の改正で始まった駆けつけ警護などになると、その支持は大きく分かれるでしょう。

 

それは憲法に十分な議論もなく、自衛隊を規定することによって、自衛隊員やその家族にとって、自分たちの活動が支持されるものになったとの意識をもてるようになるかというと疑問です。安部首相の考えは、このような重大な問題について、期限をきって発議して国民投票で改正しようというのですから、いくら慎重にとか、丁寧な説明でとか、いっても何の説得力もないでしょう。

 

この憲法改正議論のような唐突で、自民党改正論者にとっても論理矛盾と理解されるような代物を平気で改正議論のまな板にのせて、特別多数決の議席をもつ与党リーダーの権威を振りかざす姿勢は、どうも「自由民主」な政党総裁として期待される人格・意識・考え方とは大きくかけ離れているように思うのです。

 

なぜか多くに自民党の閣僚経験者やベテラン議員も唯々諾々としてまるでカメレオンのように一挙に方向転換する姿勢に驚きます。しかし、それは自民党だけでなく、官僚国家と言われ、議会での不毛な論争にとらわれず、行政としての理念を追求してきたかのようにいわれる官僚たちも、右へならえという状態が、先に挙げた問題などを通してクローズアップされています。

 

安部首相を旗頭にいつの間にか監視統制化された、政党・官僚になってしまっていないか、ここでしっかりと自省してもらいたいと思うのです。

 

小池都知事がガラス張りの都政と言って躍進したのであれば、安部首相もまけずそれぐらいの気構えで、対抗してもらいたいと思いますが、現在の安部体制ではだれもそのような助言をする人もいないのかもしれません。ちょっと気になったのは、森友学園で園児が安部首相万歳でしたか、素直な子どもたちが応援してくれたことで、昭恵夫人が涙したということだったかと思いますが、この夫婦、そのようにしてまで支援されないと自分の心に響かないのかな、そして心が安まらないのかなとつい、思ってしまいました。

 

そろそろ雑ぱくな話は終わりにします。1時間半も使ってしまいました。